派遣神様・前
神様には二種類いる。
一つは治める世界を自ら所有している神様だ。詳しく説明するとこの神様もまた幾つかに分けられるのだけれど――この説明は後回し。
もう一つは、治める世界を自ら所有していない神様。つまり彼らは、雇われの神様だ。
派遣、と言っても差支えない(実際、そう呼ばれているし)。
自分では治める世界を持っていないために、彼らは神様がいない無人の世界へ派遣されることになる。
そこに神様個人の意思や希望などが考慮されることはこれっぽっちもない。「お前の現場はここだ」と、上からそのようにお達しが来るだけだ。
また、神様にも能力には個体差がある。
出来ること、出来ないこと―—あとは神様個人の性格や過去の経験、業務成績や好き嫌い……およそ個のスキルやスペック――あるいは上司の好みによって勝手に振り分けられた派遣先で、多くの神様たちは仕方なしにしぶしぶ働いている。
こんな世界にして欲しい、
あんな世界になったらいい
――そうした《注文》をつけてくるのは《オーナー》様だ。派遣の神様やその上司よりもずうっとずっと、偉いひと。世界の本当の所有者。
派遣の神様たちは自らの勝手な判断では世界を作り変えていくことなどおよそ出来ない。
自分の世界ではないのだから当然だ。仕事の全ては指示書や仕様書の通り進めるようになっているし、神様としての奇跡の行使については上司の許可(ハンコ)を貰う必要がある。
辛いことだが、そんな現状に彼らは文句をいうことなど出来ない。
そんなことをすれば次から自分に仕事が回ってこないことを派遣の神様たちはうんとよくわかっているし、なにより多くの神様たちは自分の給料分の労働しかしない。文句を言って上に逆らう分だけ給料は減らされるし、契約が切られでもしたら路頭に迷う末路が待っている。
神様……と言うと聞こえはいいが、後者の彼らはつまり《Administrator》権限を持つただの運用者であり、ここ《カペー》の世界においてはただの一労働者に過ぎない。
仕様書にそって監視をしながら、時折世界を作り変えたりする為のアップデートシステムを走らせるだけの単純労働者。
単純労働者たちも様々な業務に従事しているが、わけても特に忌み嫌われているのが《PM屋》と呼ばれる神さまたちである。
「ええと……つまり、その……」
俺はもうなんだかわけがわからなくなって、今一度目の前に座る二人を交互に見つめた。
一人は女、もう片方は男。全く見覚えのない赤の他人。突然我が家を尋ねてやって来た招かれざる客ども。
「あんた……もしかしてあれね? 興味のない話には適当に《うん》とか《ええ、そうですね》とか相槌を打つタイプの人間だわ。人の話なんか少しも聞いちゃいないのよ」
女の方はまくし立てるような早口でそう言うと、しっかりと俺が出したコーラをずずいと吸い込んだ。足首が出た袴……のようなみょうちきりんな衣装はこの辺ではさっぱり見かけない。何かのイベントか!?
「こら、サンガツ。こちらの都合で突然家に押しかけといて、馬鹿呼ばわりすんな。失礼じゃねえか」
それはあんたのことだろうよ、と俺も流石に心の中ではツッコミを入れる。俺だっていつまでもニコニコしたえびす顔で客人をもてなしていると思ったら大間違いなのだ。
「つまり、だ」
そう話を続けるようにして男の方が喋りだした。
こちらはよくいる柄の悪い営業マン風。高そうなスーツを来て、中にはおしゃれな柄シャツ。スーツにこういう派手なシャツを合わせる奴はおおよそ人間性がよろしくないことを俺はよーく知っている。
まあ……これは単純に俺の勝手な社会人経験に基づいた予測だけれども。
「今日び神様って奴も人手が足りなくてねえ。そもそもは国家資格が必要な職業だもんで、そうそう数が増えねえのさ。そこで始終アシスタントを募集してる」
「アシスタント?」
「そうよ。神様のアシスタント」
言うが早いか、彼女は脇に置いていたブランド物の紙袋から何やら大きなものを取り出して俺んちの大きな座卓の上に広げた。
「神様には二種類いるのね。自分の世界を持ってる神様と、そうでない神様と。あたしは後者の方の神様で、所謂派遣。公社に所属していて、神様がいない無神の異世界に派遣されて仕事をするわけ」
「執政官、っていうんだ。公務員みてえなもんさ」
「はあ……神様ってつまり……日本でいうところの、天照大神とかそういうたぐいの? 日本はいろいろな神様がいるから無神ってわけでもないと思いますけど」
「そういうのはお前ら土民が勝手に拵えて勝手に信仰してる土着の宗教だろ。神様っつっても俺達はただの労働者だよ。世界がうまくいくように管理監視してるだけさ」
「ど、土民……」
なんちゅう差別的な言葉だろう。ますます不安を隠せない。
「そういうことね。で、あんたが今住んでるここの世界はね、あたし達のカペー領の遥か外域の果てに位置する、第四十七ペトルシアンという領地なのよ」
彼女がざらりと広げた大きなそれ―—つまり、古びた地図を指して言った。
「ここの世界って……つまり、日本が?」
「日本もアメリカも中国もみんな! 全部よ、全部! あんたがおよそ《世界》と呼んでいる場所の全てが《第四十七ペトルシアン領》よ。日本はもちろん、アジアはおろか地球のすべて、太陽系の全部、銀河の星々の遥かその先の果てまで全てよ!」
彼女は地図をドンと叩いて続けた。
「そうしてそこを管理しているのがこのあたし! あたしはあんたたち土民が暮らすこの《第四十七ペトルシアン領》を担当している執政官なのよ。いわゆる、派遣の神様!」
そう叫ぶや、勢い良く立ち上がって胸を張る。見た目はいちおう女性のようだが、胸はあまり大きくない。
「そういうこった。で、俺達は早い話がお前さんをそうした執政官の補佐役にしたいのでスカウトしにやって来たというわけさ」
俺はもう頭がこんがらがってきた。
一度口の中を潤そう……楽しそうな目の前の二人にかなりの不安を感じつつ、俺はコーラを喉に流し込んだ。
どうしてこんなことになったのか……その始まりのことを少しばかり思い出しながら。
東京の不動産会社をたった一年ばかりで退職した俺は、北関東にあるど田舎の実家へ一時期帰郷していた。
辞めた理由は上司とも会社とも反りが合わなかったという言葉に尽きるわけだが、そもそも営業という仕事自体が俺には向いていなかったのだと思われる。唐突に退職届を突きつけて辞めてやったもんだから、当然次の就職のアテなどあるわけもない。
そんなわけでヒマが出来た無職のニートは実家でひとり、ぼんやりと今後のことなどをうだうだ考えていたわけだが……そんな所へやって来た来訪者が件の二人だった。
「こんにちわあ。こちらって、神様のお宅ですよねー?」
東京に住んでいた頃の俺ならば玄関のチャイムなど完全無視を決め込んでいたが、ここではそういうわけにもいかない。
何せ田舎というのはご近所との濃密なコミュニケーションこそが何よりの命綱である。おまけにうちは玄関に鍵は掛けないのがデフォルトだ。このあたりの家なんてどこもそうだろうけども。
「ええっと……うちは、神(じん)ですけど……どなたですか?」
時折野菜を持ってくる近所のばばあのようなノリで玄関に入ってきたのが、件の妙ちきりんな衣装を着た女――サンガツ、だった。
「あら……神(じん)? 神(かみ)じゃなくて?」
サンガツと名乗ったそいつは、下げていたブランド物の紙バッグ(買い物すると商品を入れてくれるアレのことだ)から書類のようなものを取り出すと、俺とそれとをしばらく見比べていた。
「……ええ、まあ。よくネタにはされますけど……何か御用ですか? 今家族が誰もいないので俺は何もわからないんですよね」
「あらそう。ほーんとニホンゴってむつかしいわね。まったくいやんなっちゃう。みんなで同じ言葉を使ってくれれば管理する側としたらこれほどやりやすいこともないのに……人外地ってほんと不便よ」
「仕方ねえだろ、サンガツ。土民ってのは元来神経質な連中なんだ。習慣や文化や信仰がちょっとでも違うと相容れない。全員で同じ言葉をしゃべったりなんかするもんか」
「だけど支社長? さも当然のように言ってるけど、うちの領内に一体いくつ言語があるか知ってるわけ!? 管理する側としたら面倒くさくってたまらないわよ! そもそも国がいくつもいくつもばらばら存在してるだけでも鬱陶しいのに」
「あのう……」
玄関先で繰り広げられる不穏なやり取りに、俺はようやく水を差した。
「ああ、そうそう。俺達はお宅のひいじいさまのひいばあさんのお兄上さまがご所有の領地を管理している者だ。つきましてはそのことで、色々とご相談があるんだがね」
「はあ!?」
素っ頓狂な声を上げた俺が目を丸くしないうちに、二人は「お邪魔します」とも言わずに玄関を上がり、すたすたと俺の両脇を歩いて行ってしまった。キョロキョロと周囲を見渡しながら、ひとつひとつ部屋を覗いてゆく。
「……おいおい、公爵家の屋敷にしちゃあずいぶんせせこましい住まいだな。外観もそうだが、中はいよいよ使用人小屋みてえだ」
「仕方ないじゃない。だって没落華族でしょ? おまけに税金まで滞納してるんだもの、中央政府からの取り立て屋に追われて……それできっとこんな辺鄙な場所へ隠れ住んでいるんだわきっと。あたしだってこんなところにいるなんてことは知らなかったし」
「ちょおおっと! 一体何なんですか。今家の者はみんな出払っていて誰もいない。何の用事か知りませんけど、俺は何もわからないですからお引き取り頂けませんか?」
俺がありったけの声を出して言うと、二人が同時に俺の方を振り返った。
「はあ? 家の者がいないって……お前さんがいるじゃねえか」
「いや、自分はいつもは東京に住んでいるんですよ。確かにこの家の人間ではありますけれど、そういう話はよくわかりませんので……父か母が戻ってきてからにしていただきたいんですけど……」
「あらそう。でも大丈夫よ。この家の人間であるなら別にあんたでもいいわ。馬鹿でもわかるように話すから大丈夫よ!」
そういう意味じゃねえんだけど―—とうなだれながら、俺は二人に引きずられるようにして廊下を歩き出した。
アポなしで突然やって来た謎の二人組は、自らのことを《スカウトマン》だと言った。曰く、神様のアシスタントが人手不足なので働き手を探しているのだという。
「神様の最高ランクはもちろん、《創造主》だ。ゼロベースで何もかも一人で世界を創造(クリエイション)しちゃうやつ。だけど大体そういう奴はもんのすごく矜持が高くて面倒くさがり屋な変人ばかり。作ることは作るけど、気に入らなかったらすぐにぶっ壊すし、管理なんかは「面倒くせえからやりたかねえ!」って奴も多い。だからそういう連中の為に、神様が拵えた世界を管理する専門の神様がいるんだな。プロパティマネジメントってやつさ」
「そうよ。それがあたしたち! PM屋、なんて呼ばれるわね」
ああ、そう――俺は暗い気持ちでそう相槌を打った。俺はそもそも少し前まで不動産会社で働いていたから、同じような単語を死ぬほど耳にしたのだ。
「あたしだって《創造》こそ出来ないけど、それなりにはスキルを持ってるわ。主に管理のスキルをね。あんたにだって奇跡のひとつふたつ見せることくらいは造作もないのよ? 血をワインに変えたり、肉をパン切れに変えたりね」
「ええ・・・・・・そういうのが管理のスキル?」
俺は深まる疑心を声に乗せてサンガツを見た。
「そうよ。世界を管理するためには必要不可欠だわ。奇跡くらい起せなきゃ神様だなんて名乗れないじゃない」
なんだか妙な宗教に掴まってしまったのかもしれない……俺はしばらくじっと考えながら上手いことこいつらを追い払う口実を考えていた。
「ええと……俺はまあ、実のところ仕事を辞めたばかりの求職中の身だから、働き口を世話してやろうというのは大変ありがたいお話ではあるんですけれども……」
「なあんだ、そうなの!? それなら悩むことなんてないじゃない。ラッキー! 超ツイてる!」
俺は「ひゃっほう!」と叫んで拳を天井へ突き上げるサンガツの姿を、暗い気持ちで見つめていた。
実家に戻ってひと月あまり。俺が東京で仕事に失敗して出戻っているというウワサはご近所中にあっという間に知れ渡るところとなり、いろいろな人間がいろいろな話を持って両親や俺の所へやって来た。
例えば婿養子に来て欲しいという話だとか、村役場でボランティアを募集しているだとか、うちの畑を手伝ってほしいだの、行き遅れた四十七歳の娘がいるからどうだ、とか……そういうありがたいのかありがたくないのかよくわからない話の数々を。
これもそういう類のものなのか!?
「うちはその……先祖代々の墓もあるし、宗教の類はちょっと……」
すると突然男の方が背中を反らせて大声で笑い出した。ひとしきり笑うと男は、
「まあな、確かにそうだわな。神の手伝いなら、そりゃあ宗教の類いだわな」
と言って隣の女の肩を叩いた。
「信仰の勧誘じゃねえから安心しな。俺は中央属領公社所属の執政官で、フォルテといいます。こいつとおんなじ所謂神様の資格を持ってるもんだが、俺の場合はこいつらをマネジメントする立場でね」
「そうそう。フォルテ支店長はこのあたりの領地を取り仕切ってるリーダー長なの。うちのボスよ」
「はあ……」
俺はフォルテの奴が座卓の地図の上に置いた名刺を眺めながらため息混じりにそう声を振り絞った。
中央属領公社 東部外域第三支部 総取締――なんとも御大層な肩書の下に突然カタカナの名前が来るもんだから、なんとも違和感が半端ない。しかも更にその下には俺が見たこともない謎の文字のような記号が細かに沢山書き連ねてある。名刺のデザインの一部のようにも見えないこともないけれども。
「へーえ……神様も名刺なんて作ってるんですか」
「そういうのはあんたたち土民のレベルにまで合わせてやってんのよ。感謝して欲しいわね! あんたみたいな連中はこういうものが必要だろうと思ってわざわざ経費使って作ってんの。公式サイトとかfacebookもね」
「そうだぜ。ちゃんと名刺にも載っけてる」
そう言うとフォルテは自分の名刺をひっくり返した。確かに、幾つものSNSアカウントやURL、QRコードがずらりと並んでいる。
ずいぶん世俗慣れした神様だ。ますます以て胡散臭い。
「さっきも言ったが、神様ってのは慢性的な人手不足なんだよ、ジンさん。そこで時折こうしておたくらみてえな土民もたまーにスカウトすることがあるのさ」
「あのう……その、土民というのは……一体何です?」
「土民ってのはカペーのご領主さまの力が及ばぬ人外の領地に住む土着の民族のことよ。ご領主さまの許可も得ずに勝手に住み暮らしている連中なの。例えばあんたたちのようにね」
サンガツはそう言って俺を指した。
そうして座卓に広げていた古い地図に手のひらをひるがえす。
その刹那、上下に少しの重力を感じたかと思うと辺りはまるで走り出した新幹線の車窓のように見たこともない風景がざあっと流れて行った。
俺の記憶の中にもない、テレビでもネットでも見たことのない街並みが、風景がどんどんと目の前を流れては消えて行く。
まるで夢を見ているようで、俺はわけも分からず頭も身体もなるように任せた。
「・・・・・・この世は遍く全ての世界のはじまりの創造主・カペーのご領主のものだわ。あんたたちのような土民が暮らす世界はカペーの領内では外側にあたる……《外域》と呼ばれる場所にある世界のひとつなの」
「お前さんたちはそんなことを何も知らずに暮らしてるだろ? 土民ってのはそういうものなのさ。領主の恩恵が届かねえ世界に暮らしてるもんだから、そうしたこともカペーの領内のことも何も知らねえんだ。領主の恩恵はおろか、統一言語も貨幣も浸透してねえしな」
「あんた達のような土民が暮らしている恩恵も届かない領地のことは《人外地》と呼ばれていて、外域には未だそういう未開の地が沢山あるのよ。異世界、って言えばわかるのかしら?」
「異世界……」
俺は周囲の光景が見知った渋谷のスクランブル交差点に切り替わったことに安堵を覚えた。たったひと月前はここで働いていたというのに、東京の雑踏がひどく懐かしい。
「ここの領地もそうだけれど――人外地の多くは、創造主がカペーをお作りになった古い時代に作られたものなの。特にこのこの第四十七ペトルシアン領は《旧時代名品(オールド・コレクション)》なんて呼ばれていてね、集めている物好きが結構いるのよ。あんたの一族のずっと昔のご当主さまのようにね」
サンガツが俺の顔を指す。俺は無言でフォルテに目をやった。
「そうさ。そいつこそがお前さんのひいじいさまのひいばあさまの兄上、ムシュカ・ペトルシアン公爵。そいつがもともとここの世界の所有者だった。中央政府にも税金を治めてお前さんが暮らすこの世界を《所有》してたんだよ」
「そう。そうしてあたしにそこの《管理》をお任せくだされたというわけ」
渋谷の景色がだんだんと見慣れぬ風景へと変わっていく。それはまるでいつかどこかのテレビ番組でみた映像のように、どんどんと時が早巻き戻しされているようだった。
「ペトルシアン公爵ってのは所謂変わり者の好事家でね。お前さんたちみたいな土民が住んでるオールド・コレクションの人外地を手に入れる道楽があったのさ。ここより他にも外域にいくつも人外地の異世界を所有してた。その管理をまるっと俺のところが任されていたというわけだ」
「ははあ……なるほど、この……」
俺はフォルテの名刺を見つめて呟いた。
「……中央属領公社、東部外域第三支部……」
「公爵ってのはカペーの領内にいる特権階級を持つ貴族のことで、華族と呼ばれてる。“華やかなりし一族”って意味の神様どもで、元をたどるとどいつもみんなカペーのご領主の親戚筋なんだそうだぜ。華族どもは普通は内域に領地を賜ってそこを治めて暮らしてる。ただし領国経営ってのも今日び中々難しくてねえ。中央政府に多額の税金を治めなきゃならねえし、所有の領地には俺達みたいな執政官を置くという決まりもある。だから当然ペトルシアン公のように手に入れた人外地や華領を手放さなきゃならなくなるようなケースもあるわけさ」
「人外地や華領……つまり、異世界ってのは《固定資産》と呼ばれて、持っているだけで税金が掛かるのね。領地の面積にもよるし、土民や領民が住んでいるかいないかにもよるんだけれど……昔は今よりもずっと人外地の固定資産税は優遇されていたの。ペトルシアン公爵が人外地を収集していた頃は、未登記の人外地には固定資産税が全く掛からなかったのよ。未登記の人外地を所有していることも合法だったしね」
「手に入れた異世界を登記すると正式に所有が認められて、この世界には領主からの《恩恵》を授かることが出来るんだ。と、同時に所有者は中央政府へ固定資産税を治める必要が生じる」
「ええっと……恩恵、ってつまり、こういう魔法みたいなものが使えるってこと?」
俺は自分の周囲を見渡して言った。
「その通りよ! 神の奇跡で荒れ狂う大海原を二つに割ったり、大雷で大地を割ったり出来るわ! もちろん、男を女にしたり、処女に子供を身籠らせることだってね」
俺はあいた口が塞がらなかった。
「ええっと……じゃあ異世界で……そういうことをするためには……その異世界の所有者が固定資産税を払ってないとダメなの?」
「そうよ。当然よ。だってあたし達が奇跡を行使するためにはちゃんとインフラを整備したりしなくちゃならないもの」
「インフラて……魔法って……奇跡ってそういうもの!?」
固定資産税!? インフラ!?
魔法って……もっとファンタジーなものじゃないのか。神の奇跡の行使になんでインフラ整える必要があるんだよ!
「ある時を境に領内の領地所有の法律や税法が一律に大幅改変されたのね。これに伴って、いかなる理由があっても手に入れた人外地は必ず登記をしなければならなくなったの。おまけにこれまでは領主の恩恵を受けないことと引き換えに全く税金を払わずに済んでいた人外地にまで固定資産税が課せられることになって……人外地をコレクションしていた華族たちが大騒ぎしたわ。ペトルシアン公爵もその一人よ」
「人外地にも最低限のインフラを整えるべきだという声を受けての改正だったらしいが……とにかく、ペトルシアン公爵のような土着の人外地を原初そのままの姿で愛で楽しむことが好きな物好きにとっちゃあとんでもない改悪さ。インフラ整備という名目で所有している人外地が荒らされるだけでなく、税金までむしり取られるんだからな。そういうわけで、この第四十七ペトルシアン領もきちんとペトルシアン公爵所有の登記がなされ、必要最低限度のインフラ設備が整い、俺達のような管理業務を生業とする執政官が派遣されるに至ったというわけだよ。まあ……あまりの心労続きに、ペトルシアン公爵はその後ぽっくりとお亡くなりになっちまったがね」
不意に辺りが暗くなり、閃光が弾けるように眩しくなるとそこはいつもの俺の実家の居間だった。
「ええ? 神さまも死んだりするの!?」
「まあ、滅多なことじゃあ死なんわな。だから、相当な心労だったんだよ。そうしたら途端にペトルシアンの家は傾いた。家同士の争いなんかもあったし……今じゃ名実共に滅亡寸前。爵位も領主お預かりと来たもんだ。継ぐ人間がだあれもいないもんだからな」
「公爵が所有していた人外地は税金の滞納でぜんぶ中央政府に差し押さえられてしまったのよ。今はまだあたしたちが中央政府から言われて管理を任されているけれど……これが大競売(オークション)にでも掛けられて人手に渡ってしまったら……」
「きょうばい!?」
するとフォルテは持ってきていた黒い角ばったブリーフケースから書類を幾つか取り出した。そうしてそれを座卓の上に広げる。
「ジンさん? 俺達があんたをアシスタントにスカウトする一番の理由はな、俺達はこの第四十七ペトルシアン領を買おうと思っているからなんだよ」
「買う? この世界を……買う!?」
何を言ってんだ、こいつらは―—俺は驚きのあまり、脇の下に変な汗をかいている。
「そう。税金の滞納で差し押さえられた華領や人外地は所有者のもとを離れて中央政府の管理下に置かれることになる。一定期間の間は猶予があるが、その間にも滞納した税金の支払いがなされぬ時は、政府主催の公開競売で新しい持ち主を探すことになるんだ」
「その競売で落札されて新しい所有者の手に渡ったら、あたしがこれまで一生懸命丹精込めて管理してきたこの第四十七ペトルシアン領もどんな風にされてしまうかわからないわよ! だって、どんなやつの手に渡るかなんてわかったもんじゃないんだもの!」
「ええと……つまり、お金を払えば誰でも俺達の世界の所有者になれると……そういうことですか?」
フォルテは頷いてコーラを一息に喉へ流し込んだ。
「入札には資格がいるが、基本的にはそういうことだぜ。中には本当にろくでもない輩もいるんだ。これはもう偏に《好み》の問題だが、カペーの華族様の中にはお前さん達のような土民を《汚らわしい畜生》だなんて言って毛嫌いしてる奴もいてね。そういう奴がこういう領地の所有者になったら、お前さんたちのような領地に住まう土民たちは一斉に領地を追い出されるか……」
「悪くすれば、あたしたちみたいな執政官に《殺処分》なんて依頼が出されることもあるわよ」
「さ、殺処分て……」
「あんただって中古で買った家にネズミやゴキブリが湧いていたら駆除してもらうでしょ。煙を炊いて毒餌をまいて、残らず皆殺しにするでしょ。それと同じよ」
俺は言葉を失った。
つい一日前までのんびりと求人サイトを眺めていた俺なのに、それが急にこんなわけのわからない話をされることになるなんて!
「このままじゃあいずれペトルシアン公爵所有の人外地は全て競売に賭けられちまう。そうなりゃ、せっかくこれまでうちに一任されてた管理を他所の奴らに持って行かれちまうかもしれねえじゃねーか! そういうわけでな、うちも腹をくくったんだよ」
「そうよ。あたしたちの支店がペトルシアンシリーズの領地をまるごと競売で買い占めて、オーナーになるの! そうすれば引き続きあたし達はこれまで通りこの世界で神様を続けられるんだものね」
「そ、それが……俺のスカウトと一体どういう関係が……」
「ああら、大アリよ!」
いいこと? と前置きしてサンガツが俺の顔に突き出した書類は俺も見たことがある。
登記簿だ。土地や建物、会社なんかの情報が記されている書類。
ただしそれは俺がよく知る不動産の登記簿謄本ではなく……この世界、つまり―—俺が住む日本という国があり、地球という星を有するこの、第四十七ペトルシアンという領地、世界のものの所有者などの詳細情報が記された書類であったけれども。
「大競売は中央政府が差し押さえた異世界の所有者を探す公開競売で、一年に一度《ラ・トゥール》と呼ばれる大属領の都市で行われるイベントなの。資格さえあれば誰でも参加することが出来るわ。一番高値を付けた参加者が購入する権利を得るというわけね」
「だが、華族も競売関係者も参加者も、華族の失地回復には同情的だ。いかな理由や事情があったかはさておき……一度は手放さざるを得なかった自分の家の昔の領地を再び買い戻そうという輩がいることを知れば、みんな金額を入れるのをためらうもんだぜ」
ああ、なるほど……そういうわけなのか。俺にもようやくわかることがあるのだと分かって、俺は少しだけほっとする。
「つまり、その公爵の……前の所有者の親戚筋がいれば、この世界を競り落とすのに分がいいってことですか」
フォルテもサンガツも頷くタイミングは同じだった。
「だからあんたにはぜひうちの公社所属のアシスタントになって貰いたい。そうして来るべき大競売に参加して、この第四十七ペトルシアン領を取り戻すんだ」
「そういうことなの! いいでしょ? いいでしょ? 執政官なんて言うとなんだかダサい公務員もどきってことがバレるけど、いちおう《神様》なんだもの。自分の世界はもちろん、異世界を管理するお仕事ってちょっと興味あると思わない?」
・・・・・・異世界を管理する仕事?
「そんな馬鹿な」と言いかけてしかし、俺は先程目の当たりにした不思議な光景が頭から離れなかった。
まるで子供の頃に見た「銀河鉄道の夜」のアニメーションの様な世界。現実には有り得ない、見たこともないような美しい空想上の風景のような世界。
あれが彼らの言う「異世界」なのだとすれば、この世はなんと美しいもので満ち溢れているんだろう。
俺がついうっかり
「いいかもしれませんね」
という台詞を漏らしてしまったのは、未だ自分がストレスで少しばかり心がくたびれていたせいかもしれなかった。
北関東の片田舎で一生懸命勉強に励んでも、上京した先の大学の毎日はパッとなんかしなかった。俺は所謂陰鬱な大学生で華やかな学生生活とは無縁だったし、就職先はなんだかよくわからない、望みもしない不動産業界の中小企業。朝から晩までこき使われて、千や二千という数のチラシ撒きをするばかりの毎日だった。
渋谷や新宿の都心の真ん中で天に向かって聳えるビル群を見上げていると、なんだかこことは違う別の場所へ行ってしまいたい衝動に駆られた。星も見えない都会の夜空は人を殊更不安にさせる。
「ようし、それじゃあ決まりだな!」
「さっそく手続きの支度をしなくちゃね。事務所へ連絡入れるわ、支社長」
りりん、りりん、と軒下に吊るした風鈴の音がして目の前の二人に再び目をやる。
しかし、つい今しがたとびきり弾んだ声を聞かせていた彼らは、もう俺の実家の居間のどこにも姿が見えなかった。
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