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Trainspotting

1996年に製作されたイギリス映画。監督はダニー・ボイル。
原作は小説らしいが、未読。

昨日初めて見て、今日朝いちで見なおした。そのあとブックオフを3軒回ってサントラを探したが見つからなかった。残念。
非常に面白かったし惹き込まれた。(映画の感想では大体いつも面白かったって言ってる気がするけれど)ほぼ終盤では、エンドロールが流れるまで拍手を我慢したくらいだった。

英語で、日本語字幕推奨。吹き替えは声の質こそいいけれどちょっと丁寧すぎる。ただ主人公のレントンは平田広明さんなので、好きな人はいいかも。私としては役者さんでやって欲しかった、誰とは思いつかないけれど。


舞台はスコットランド、主人公はまともなヤク中の若者・レントン。
それにナイーブさとか軽薄さとか、一言では形容しきれるはずのない青春の仲間たち。青春って言葉ではあまりにも美化しすぎているけれど。

例えばどんなに底辺でトイレが汚くて頭が悪くて仲間がクソだったとしても絶望はしない。ヘロインにしがみついたって生に食らいつく。一種、あるべき姿なんじゃないかと思われる。
平凡をクソ食らえと一蹴する所から、最後の平凡を求めるシーン。確かに対照的だけど、別にそれは成長でもなんでもない。レントンには思想があって理想があったから何度でもヘロインに手を出してしまうのだ。

汚い間抜けな出来事ほどおぞましくって、恐ろしいはずの暴力は滑稽で、その中でヘロインだけが平和だとすら思える。


誰がここから救ってくれる?何を選ぶ?ヘロインか?仲間か?



特に印象的なシーンをいくつか。


・レントンが座薬を求めて汚い便器の中に入る
このシーンは私をこの映画に入り込ませる為にはかなり効果的だった。
この映画で最も印象に残っているシーンがここだっていう人も多いだろう。キマる感覚を映像化し、視聴者をただの傍観者から引っ張りだす。

・禁断症状で悶えるレントン
まあドラック絶ちの為に部屋に閉じ込められるんだけど、そのシーンの音楽のせいか部屋の壁紙の模様はただそこにあるだけなのに何故か速度を伴う圧迫感を伴い、何か永続的な不安を抱かせられた。
そしてベッドのシーツの中から映しだされるレントンが痛切でいたたまれなかった。あの経験ってないだろうか。自分の感情に手をつけられなくてシーツをかぶって頭を押さえるんだけど、そのシーツの中すら恐ろしくて叫んでしまうのに何故かシーツの中でもがくだけで抜け出せない自分がいる。睡眠をとるべきその穏やかな場所が何より抉ってくる。幻覚とまではいかないものの、頭の中には死にたくなるような想像と過去と言葉と被害妄想。
頭がジクジクした。

・金を持ち逃げするレントンに、首を振るスパッド
そのつい直前に手を切られてしまっていても、友達を裏切れないスパッド。他の面子には内緒でその金を分けてもらっていても全く不問だ。300万にも満たない金を持って逃げたところで何が出来ただろうか。1年で使いきれる。それは、縁を切るための口実に過ぎなかったのだし。


他にも、街で就職するときの音楽とかレントンがマンションの前を歩くシーンとか計算されてて格好良い。計算されていて、というのはこうやって感想を書いて映画を反省してみて思うことなのだけれど。

泣き叫ぶアリソン、死んでしまった赤ん坊、「ヤクを作る」という台詞。この流れだけは不可解だった。いや、その文字通りの意味ではなく、見ていて、どうして?どうしちゃったの、赤ちゃん。って言葉が口をついて出てしまった。わかっているのに。ただそういうしんどい場面はいくつかあっても、映画は引きずらないでストーリーは進む。仲間の死も然り、今までたまたま起こらなかっただけで、彼らにとってはいつだってありえた事、出来事以上にその背景はいつでものしかかっていたのだから。


背景っていうけど、何も行動しなかっただけじゃないか?っていう見方もあると思う。青年期ってそういうもの、って言葉では片付けたくないけれど物事をシンプルに考えることって結構難しい。折り合いがつかなかったりつけたくなかったり。世間様の正しいが怖い、という感情がただ若いってことならすごく虚しい。それならいっそ、私にとっては社会なんてものはないも同然だ、ってこと。

10年後に見たら肩透かしだった、という事は十分にありえるし、そういったレビューもあるけれど、私はどうなっているだろうか。

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