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精神科医が考察するガラージュ④ ~ルウと主人公の救済~

#1 ルウとジュースはヤンを救うか

前回、ヤンは主人公とシェンに分かれたという話をしましたが、
ガラージュの世界にはもうひとつ分かれた機械がいました。

 ルウとジュースです

 この二人の関係性とガラージュでの治療の意義について考察していきたいと思います。


今日も強烈なネタバレがあります

#2 ルウはヒロインだった

 ルウとジュースは雌機械ですが、二人のカゲはプシケです。

 主人公とシェンは2つの機械が競りあってヤンを襲名したように見えますが、ルウとジュースは最終的には同一視されているように見えます。
 前々回くらいにお話ししましたが、ガラージュの世界はヤンの無意識ですから、機械の姿をしたルウとジュースは現実世界のルウとジュースそのものではありません。

ジュースだった機械は「あなたに見えないプシケがいた」と話す。
ルウとジュースが元々1つであって、プシケがカゲであったことを思い出していく。

 ここで注目したいのは、ルウは両性具有で、幼い言葉使いをするのに対して、ジュースは雌機械で、ある程度成熟した話し方をすることです。ゲーム後半では、ルウとジュースのカゲがプシケであることが示され、ルウとジュースがもともと1つであったことが分かります。
 

ルウ(画面右)には、雌機械にあるのと同じ給油管がみえる。
メディチにより雄機械に改造されている。

 ルウは両性具有の機械として描かれ、作中では雌機械として扱われています。しかし、ルウ本人には自分が雌機械と雄機械両方の特徴を備え、「一人で生きていける」と日記に書き残しています。ルウは自分の身体を理解し、ガラージュの世界における機械の性別による役割分担を超越していると自覚できているのです

 この状態を説明するのには、フロイト先生はすこしばかり力不足で説得力がありません。ジークムント・フロイトの理屈を引用すれば、それは性愛の拒絶か男性的な振る舞いであり、日記を見る限りは性愛の拒絶と捉えて良さそうですが、それよりも少し説得力のある説を採用しようと思います。メラニー・クラインの説と、現代的な精神疾患の概念です。
 メラニー・クラインはフロイトの支持者の一人ですが、彼女は譲葉が雌機械に持った違和感に説明を付けたので、ルウが両性具有である理由に応用してみようと思います。

#3 ジュースとルウ

 フロイト的な視座に立って4-6歳くらいの女性のコンプレックスを細かく話す表現がどぎつくなるので、男性も女性もある年齢までは、男性と女性の両方を持ち合わせている、という程度にしておきます。
 フロイトの理屈に沿った解釈と、そうでない解釈があります。

 フロイト的な解釈をすると、ルウが4-6歳より前の状態に固定されているがゆえに、雌機械と雄機械のまま、両性具有の機械として「一人で生きていける」と確信しているのだと思います。

 言い換えれば、ガラージュの外の現実世界に居たもとのルウは、幼く養ってもらわねばならないほど年齢より劣って見えるルウと、そうでない年齢相応に成熟したルウがいたといえます。
 この2つの年齢差は余りにも大きく、ヤンは無意識の中でルウを子供っぽいルウと年齢相応のルウに分けていたのかもしれません。

 一方で、話の後半でジュースルートに入ると現実世界のルウのことが少し分かります。

ガタリは暴力的な欠乏と表現したものが「見捨てられる不安」にあたるのだろう。

 譲葉がおもうに、ルウは自尊心が低く、自分が無力で不完全であると考えていたのでしょう。彼女は見捨てられることもそうですが、一人でいると無力感や強い恐怖を抱いていたと考えられます。自分の欲求をヤンに従属させることでいくらか和らぐのでしょうが、彼女は精神疾患のようにみえます。依存性パーソナリティ障害の可能性はあるとおもいます。

 この弱々しいルウのことをヤンは無意識的に理解していたのだとすれば、ジュースとルウが分かれた理由も説明できます。ヤンが知っている現実のルウのうち、言葉にできる部分がジュース。言葉にできない部分がメディチに改造されたルウです。 

ルウとジュースがもともと同じものであったことを思い出した。

ヤンの無意識にいるのがルウなのです。これが正しいように見えます。
どうしてかというと、ルウの日記には「これで一人で生きていける」と書いてあります。これは、ガラージュの外では「一人で生きていけなかった」という意味の裏返しである可能性が高いと思うからです。現実のルウはヤンに依存して生きていましたし、彼がそのように考えても不思議はありません。

#4 ジュースの自傷

 改造されたジュースが叫び声を上げながら、主人公にノイズの譜面を使う用に仕向ける場面があります。

インターフェイス上は素っ気ない。ダイアローグがノイズの譜面を使うか尋ねるだけだ。
しかし、実は他者に自傷をさせるように仕向けているのだ。
例え、順応度の高さやゲームであったとしても、葛藤を感じる。

 彼女の順応度は高すぎるため、順応度を下げるためにノイズの譜面を使うのです。ゲームの進行上は合理的な行動ですが、これは明確な自傷行為です。もっとも、メディチによって改造されたジュースは移動能力もないので、鳴らすのはヤンであった主人公ですが。

 これは現実世界で行われていた、ヤンとルウの間の関係性に非常によく似ています。ルウが求めるからノイズの譜面を鳴らしているわけですが、これはルウにとっては一時的に苦痛に襲われ、ついでにオルゴールを回している主人公まで順応度がさがります。心中めいた自傷行為です。

現実世界でも同様のやりとりがあり、ルウを死なせてしまっています。

#5 ガラージュは男女の物語ではなく、治療の物語である

 ガラージュは治療のための機械です。

ガラージュは治療機械であり、体験は治療的な意味を持つ。
ゲームの目的である世界からの脱出は、治療者の意図であるが、正しいとは限らない。

 ルウとヤンという男女の物語ではなく、ヤンがどのようにして治療されていったかという物語です。
 ガラージュにヤンがかけられた理由の一つに、ルウを死なせてしまったことが関係しているのは明らかです。
 攻略上は、ルウの走馬灯イベントを見ることが目的になりますが、この結果、ヤンにどのような治療効果が得られたのかというのを考えなければなりません。
 現実のヤンの攻撃性がもともとなのか、ルウの死によって自暴自棄になってしまったのかはわかりません。
 (お酒やクスリで変わってしまったのかもしれませんが、)間違いなく、ヤンの人生はルウによって変わってしまいました。残酷なことですが、「あれもなければこれもなし」という言葉に従うと、ルウがいなければヤンはガラージュにかかる必要もなかったわけです。

ルウの口を借りてガラージュが言わせているのだとすれば、治療としていい流れかもしれない。

 ガラージュの治療というのは、ルウと共に過ごした結果ヤンに起きた変化を、ルウとともに過ごさなかった状態に近づけるというものだったのではないでしょうか

 多くの精神疾患を含む慢性の病気では、一度発症した病気とつきあっていくことが大切です。ガラージュの治療を経て、現実のヤンが少しでも軌道修正できればよいのに、と思うのです。

#6 ガラージュは精神療法の機械である

 精神療法というのは、色々な定義がありますが、「無意識と自我の統合」です。第一回で話した言葉で言えば「意識していなかった自分の心の動きを見つけるように働きかけ、自分の心の再発見や対話を促し、自分を理解したり変化させたりすること」です。
 ヤンはルウのことを認識していましたが、意識していなかった心の動き、つまり無意識の部分もあります。

このように機械の力(無意識)を強化することがゲームの進行上必要である。
即ち「死」に近づくわけであるが、ガラージュの体験は臨死体験に近いものなのだろうか?

 ガラージュは人の無意識と自我をごちゃ混ぜにして、箱庭を形成し、その住民として中を動き回ることで意識していなかった心の動きにアプローチをする治療機械だったのでしょう。

#7 おわりに

 今日はルウのことを話してきました。
 ルウの死を経験した主人公は、自分のトラウマを克服するためにガラージュの世界に入ったのだと思います。
 ガラージュというゲームの目標はガラージュの世界から脱出することですが、ガラージュの世界を脱出することは、越えなければいけないトラウマを克服し、ヤンが破壊できなかったガラージュの秩序を破壊することです。
 ガラージュは、ヤンの箱庭でした。ヤンはガラージュという箱庭療法的な精神療法を卒業し、現実に戻っていったのです。

精神科医が解説するガラージュもいよいよ次回が最終回です。次回はガラージュの通貨「白瓦斯スタンプ」を巡る奇妙な生物たちの話です。


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