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北里柴三郎/ 日本近代医学の父


北里柴三郎は、紙幣デザイン変更に伴い、2024年7月3日から新しく千円札に肖像画が採用されることになった人物である。

細菌学者、教育者、医学者など、さまざまな顔を持つ北里柴三郎がどのような活躍をしてきたのか。以降、概要をご紹介する。

引用元: 「国立印刷局」特設Webサイト


〈目次〉
1.北里柴三郎とは 
2.北里柴三郎の経歴
3.北里柴三郎の大きな偉業
① 血清療法を発見
② ペスト菌を発見
③ 自らの研究所から有名な研究者を多数輩出


1.北里柴三郎とは 
北里柴三郎は「日本近代医学の父」と言われている。日本にとどまらず、世界的に見ても北里柴三郎は近代医学の発展に大いに貢献した。


北里柴三郎の偉業には数多くのものがあるが、そのなかでも特に有名なのが「破傷風菌の純粋培養の成功と血清療法(治療法)の発見」と「ペスト菌の発見」である。

予防はできても治療方法のなかった破傷風の治療方法を見つけたことも、「黒死病」とも呼ばれて恐れられていたペストの原因菌を発見したことも、大きな功績として世界中で称賛を浴びた。


2.北里柴三郎の経歴
1853年 熊本県生まれ
1871年 熊本医学校(今の熊本大学医学部)へ入学。オランダ人の医師マンスフェルトと出会い、医学を志す。
1874年 東京医学校(今の東京大学医学部)へ入学
1885年 ドイツ留学
1886年 その後も長い付き合いになる医師・細菌学者であるコッホに師事
1889年 破傷風菌の純粋培養に成功
1890年 破傷風の血清療法を確立
1892年 帰国。私立伝染病研究所を設立
1893年 日本初の結核専門病院を作る
1894年 伝染病研究所移転、ペスト菌発見
1899年 伝染病研究所が内務省の管轄の国立研究所になる
1913年 日本結核予防協会を設立
1914年 伝染病研究所が文部省に移管されることになり、所長を辞任、私立北里研究所創立
1917年 慶応義塾大学医学科を創設する、貴族院の議員になる
1923年 日本医師会を創設、初代会長になる
1931年 脳溢血により亡くなる

学校法人 北里研究所


3.北里柴三郎の大きな偉業
北里柴三郎が残した偉業のうち、特に大きな偉業と言われている3点について、少し詳しめにご紹介したい。

①血清療法を発見

「傷口を汚いままにしておくと、ばい菌が入って破傷風になる」と言われることがある。

実際に破傷風は、傷から破傷風が入り込むことで感染する感染症だ。全身に痛みが広がり、息ができなくなって最悪の場合には命を失う危険性もある。

北里柴三郎は、この破傷風の原因となる破傷風菌について、初めて純粋培養を成功させた。

その後、破傷風菌の毒素を無毒化、あるいは弱毒化して少しずつ注射することで、体の中で抗体を作ることができる「血清療法」を生み出した。

この血清療法は、画期的な予防・治療法として世界中から注目を集めた。


②ペスト菌を発見
香港でペストが流行したときに、内務省から研究のために北里柴三郎が派遣された。

北里柴三郎は到着したあと、たった2日間でペスト菌を発見して、論文を発表した。この論文は北里柴三郎の恩師であるコッホが追試(論文の内容が正しいかどうかを確認するために同様の実験を行うこと)し、間違いないと確認された。


③自らの研究所から有名な研究者を多数輩出

北里柴三郎が開設した研究所からは、志賀潔(赤痢菌を発見)や野口英世(黄熱病)などが輩出された。教育者として数多くの研究者を育てたことも、北里柴三郎の大きな偉業である。

研究中の北里柴三郎


参照元: 「みんなのマネ活」Webサイト

以上

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