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浦安鉄鋼団地組合

流通・加工に特化した国内最大の鉄鋼団地


■浦安鉄鋼団地組合 創立60周年

千葉県浦安市は、55年前に海を埋め立てて面積が4倍になった。

浦安市には、鉄鋼の流通・加工に特化した団地として国内最大の「浦安鉄鋼団地組合」がある。

この団地は、日本製鉄東日本製鉄所(千葉県君津市)や、JFEスチール東日本製鉄所(千葉市中央区)などで作られた鉄鋼を、必要な大きさと形に加工し、関東の金属加工業に届けている。

巨大な製鉄所とモノづくりの現場をつなげるハブとして、重要な役目を担っている。

この団地に立地する約220事業所が所属する浦安鉄鋼団地協同組合は、2023年6月24日付で創立60周年を迎えた。 

■浦安鉄鋼団地組合の歴史
明治時代、日本の鉄鋼の問屋業は、東京・神田に多く立地していた。

当時は日本に製鉄所がなく、鉄は横浜から輸入され、神田周辺で加工されていた。JR神田駅周辺にある「神田鍛冶町」という町名にも、その名残が見られる。

1901年に官営八幡製鉄所が開業し、鉄の国内生産が始まると、その流通量は増加していった。金属加工業の集積地も神田から八丁堀、本所と移り代わりつつ、規模を拡大していった。

第2次世界大戦が終結した後も、朝鮮戦争にともなう特需や東京オリンピックの開催準備があり、鉄の需要は増え続けた。

ただ、戦後復興で東京の過密が始まり、自動車の交通量も増えると、都内を走る大型トラックの存在が問題視された。鉄を運ぶトラックも例外ではなかった。

浦安鉄鋼団地協同組合の前身である東鉄連は、時代の変化に対応し、自らの持続可能性を追求するため、都外で同業者が集まる「鉄鋼団地」の建設を構想した。

いくつかの候補地のなか、大型トラックが通れる広い道路などを条件に選定を重ねた結果、現在の千葉県浦安市が建設地に決定した。

1963年6月24日には、東鉄連浦安鉄鋼団地組合(現浦安鉄鋼団地協同組合)が結成された。まだ団地が影も形もない、浦安沖の埋め立て前のことだった。

あれから60年。浦安鉄鋼団地は大きく発展した。107ヘクタールの敷地の中に、221社、270の事業所があり、4430人が働いている。

鋼材の入荷量は、年間444万トン、出荷量は445万トンで国内最大である。

浦安鉄鋼団地は60年前と変わらず、「鉄の市場」として日本のモノづくりを支え続けている。


以上


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