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『文明堂』カステラの歴史



〈目次〉
1.「カステラ」の起源
2. 南蛮菓子から和菓子へ
3. 『文明堂』カステラの誕生
4. 創始の地「長崎」から、発展の地「横浜」へ



1.「カステラ」の起源
今では誰もが知っている「カステラ」ですが、その起源はきわめて古く、紀元前3世紀ごろ『ローマ帝国の穀倉』と呼ばれていたスペインで、その原形となったビスコチョという菓子がつくられたと言われています。

ビスコチョはスペインの修道院や尼僧院などでよくつくられ、古来慶事には欠かすことのできないとてもおめでたい菓子であったようです。


2.南蛮菓子から和菓子へ
種子島に漂着した、南蛮人たちによってもたらされたカスチラ王国の菓子が、その後製法を少しずつ変えながらだんだんと日本に合うように変化し、全国へと広まっていきました。

伝えられた当初は原材料を混ぜ合わせて蓋付の鍋に入れ火で焼くというものでした。

その後時代の移り変わりに従って、炭釜からガス釜へ、さらに電気釜へと変わり、横浜文明堂ではさらに研究を重ね、現在は他では真似のできないただひとつの製法で「カステラ」を製造しています。

「カステラ」は、生まれた当時からふんわりと焼き上がるまでに1~2時間もかかるとても手のかかる貴重品だったのです。


3.『文明堂』カステラの誕生
純粋な焼き色の美しさ、しっとりとまろやかなほど良い甘み、そしてザラメ糖の歯ざわり。

小麦粉と砂糖、卵を主原料に、磨き抜かれた職人の技が生み出す横浜文明堂のカステラ。南蛮菓子に着想を得てつくり上げられた「カステラ」の歴史は大変古いものですが、当時の味は現在のカステラとはまったく異なるものでした。

現在のカステラは、文明堂が永年に渡り研究を重ねてつくり上げた味の芸術品といえるでしょう。 

こうした研究と努力が多くの方々に評価され、本物を見分ける目安となっている「宮内省御用達」の栄誉を担うことになったのです。

しかし私たちはそれで満足しているわけではありません。つねにより美味しい本物の味づくりを追求し続けています。

4.創始の地「長崎」から、発展の地「横浜」へ
明治33年に長崎の地に創始した文明堂は、カステラを中心とした商品の品質と様々な技術でお客様の信用を築いてきました。

その創始の地「長崎」から「横浜」へ、現在本店のある横浜伊勢佐木町に店を構えました。

そこから序々に展開を広げ、仔グマのダンスでおなじみのテレビコマーシャルや、様々なキャンペーンを行っています。

また商品の販売網も直営店はもちろんデパートや量販店、最近では通信販売を行ったり、喫茶室等へと多角化しています。


引用元:   「株式会社文明堂」のホームページ

以上

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