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「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の生涯と代表的な作品


レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)はルネサンス期の15~16世紀を生きた、イタリア出身の芸術家である。

「モナ・リザ」「最後の晩餐」など優れた芸術作品を残しており、後年にも多大な影響を与えた天才芸術家だ。

ひとつの作品を完成させるのに多くの時間をかけていたと言われており、現存するレオナルド・ダ・ヴィンチの作品は10数点しか確認されていない。

今回は、レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯や代表的な作品について解説する。


〈目次〉
1.レオナルド・ダ・ヴィンチは多才な発明家
2.レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯
(1)幼少期について
(2)ヴェロッキオに弟子入り
(3)「最後の晩餐」が生まれたミラノ時代 
(4)レオナルド・ダ・ヴィンチとジュリアー
       ノ・デ・メディチ
(5)レオナルド・ダ・ヴィンチの晩年
3.レオナルド・ダ・ヴィンチの美術作品
(1)「キリストの洗礼」
(2)ヴェロッキオに弟子入り
(3)「最後の晩餐」が生まれたミラノ時代
(4)「モナ・リザ」


1.レオナルド・ダ・ヴィンチは多才な発明家

レオナルド・ダ・ヴィンチが天才と評されるのは、芸術的な才能はもちろんのこと、その他の分野でも優れた才能を発揮していたからである。

音楽、数学、解剖学、建築、土木工学、幾何学、生理学、天文学、動植物学、地質学、地理学、物理学、光学、力学などさまざまな分野に精通しており、多くの発明やアイデアを残した。

実際に、レオナルド・ダ・ヴィンチが作成したとされる、ヘリコプター、戦車、自転車などの草案や概念図が残されている。


2.レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯

(1)幼少期について
レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年4月15日にイタリア・トスカーナ地方のヴィンチ村で誕生した。

公証人の父ピエロと、農家の娘である母カテリーナとの間に私生児として生まれた。
幼少期は十分な学校教育を受けられず、独学で勉強したといわれている。

(2)ヴェロッキオに弟子入り
14歳のころレオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネサンス期において有名な芸術家のひとりであったアンドレア・デル・ヴェロッキオに弟子入りした。

ここで兄弟子とともに修行に励み、芸術家としての才能を磨いた。

(3)「最後の晩餐」が生まれたミラノ時代

30歳になったレオナルド・ダ・ヴィンチは、当時ミラノを支配していたルドビコ・スフォルツァに自薦状を提出し、ミラノへ渡った。

このあと一時的にフィレンツェに戻るまでの20年ほどをミラノで過ごし、この間に「最後の晩餐」「岩窟の聖母」などの絵画を制作した。

ミラノ侵攻がきっかけで一度はミラノを去りフィレンツェに戻った。
しかし、54歳のときにフランス総督のシャルル・ダンボワーズに招かれ再びミラノに移住した。
ここでルイ12世の宮廷画家兼芸術家として6年ほど仕えることになった。

(4)レオナルド・ダ・ヴィンチとジュリアーノ・デ・メディチ

ルイ12世に仕えた後、1513年にジュリアーノ・デ・メディチに招かれローマへ移住した。

ジュリアーノ・デ・メディチは当時力を持っていたメディチ家の人間で、芸術に造詣が深く、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ多くの芸術家たちを支援していたといわれている。

(5)レオナルド・ダ・ヴィンチの晩年
1516年、今度はフランソア1世に招かれフランスへ渡った。

歴代のフランス国王が住んでいたというフランス中部の町・アンボワーズで、研究を続けながら晩年を過ごした。

そして1519年、67歳のときに脳梗塞でこの世を去ることになった。


3.レオナルド・ダ・ヴィンチの美術作品
レオナルド・ダ・ヴィンチが残した代表的な作品をご紹介する。

(1)「キリストの洗礼」
・制作年1472~1475年頃
キリストが洗礼者ヨハネから洗礼を受けるシーンが描かれた作品。師匠のヴェロッキオとレオナルド・ダ・ヴィンチの共作です。レオナルド・ダ・ヴィンチは背景や天使などを描いたといわれている。

キリストの洗礼

(2)「最後の晩餐」
・制作年1495~1498年
キリスト教新約聖書に記されているイエス・キリストと12使徒による最後の晩餐を描いた作品。ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれた460×880cmの巨大な壁画です。レオナルド・ダ・ヴィンチは3年かけてこの作品を完成させた。

最後の晩餐


(3)「岩窟の聖母」
・制作年1483~1486年・1495~1508年
洞窟を背景に聖母マリアと幼いキリストと洗礼者ヨハネ、天使が描かれた絵画で、ほぼ同じ構図の作品が2点残されている。

先に描かれた作品はフランスのルーブル美術館、後に描かれた作品はイギリスのナショナル・ギャラリーに所蔵されている。

岩窟の聖母


(4)「モナ・リザ」

・制作年1503~1506年頃
レオナルド・ダ・ヴィンチの最も有名な絵画である。肖像画のモデルはイタリアのゲラルディーニ家のリザ・デル・ジョコンドとされているが、真相はわかっていない。

依頼主のゲラルディーニ家に渡さず晩年まで手を加えていたことや、三層に渡って絵が書き足されているなど謎が多い点が、逆に人々を魅了させている。

モナ・リザ


4.レオナルド・ダ・ヴィンチの人体図

レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたとされるウィトルウィウス的人体図をご紹介する。

■ウィトルウィウス的人体図
レオナルド・ダ・ヴィンチが1487年頃に古代ローマの建築家・ウィトルウィウスの建築論の記述を基に描いたとされる図である。

紙にペンとインクで、両手脚の位置が異なる裸体の男性が重ねて描かれていて、「プロポーションの法則」「人体の調和」などと呼ばれることもある。

ウィトルウィウス的人体図は、現在でも医学のシンボルとして用いられる。

ウィトルウィウス的人体図


参照元: 「マイナビニュース」Webサイト

以上

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