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隅田川の橋について

東京都の下町に流れる代表的な川、「隅田川の橋」について、ご説明いたします 


〈目次〉
1.隅田川の橋とその歴史  
2.現在、台東区にある隅田川の橋について
(1)白髭橋(しらひげばし) 
(2)桜橋(さくらばし) 
(3)言問橋(ことといばし)
(4)吾妻橋(あずまばし)
(5)駒形橋(こまがたばし) 
(6)厩橋(うまやばし) 
(7)蔵前橋(くらまえばし)


1.隅田川の橋とその歴史 
(1)古くは千住より上流を「荒川」、浅草近辺を「浅草川」、駒形近くは「宮戸川」、両国より下流を「大川」と呼んでいたといいます。昭和51年(1976年)より北区岩淵水門で荒川と分岐したところから下流を「隅田川」と称しています。

昭和51年(1976年)に、北区岩淵水門で荒川と分岐したところから、下流を「隅田川」と称することになりました。


(2)江戸時代はわず5つの橋だけが架けられていました。これは江戸幕府の軍事上の問題から橋の架設には積極的でなく、渡船(渡し船)が隅田川をわたる役割を担ってきました。

5つの橋は次の通りです。なお、【】は江戸時代にその橋がかけられた年を指します。
 (1)千住大橋【文禄3年(1594年)】
 (2)両国橋(大橋)【万治2年(1659年)】
 (3)新大橋【元禄6年(1693年)】
 (4)永代橋【元禄11年(1698年)】
 (5)吾妻橋【安永3年(1774年)】



(3)明治40年(1907年)頃、隅田川には18ヶ所の船の渡し場があったといわれます。理由はあるにせよ、残念ながら、隅田川を渡る舟は、昭和39年(1964年)「佃の渡し」を最後に廃止されてしまいました。


2.現在、台東区にある隅田川の橋について
隅田川が流れる代表的なエリアして、台東区があげられます。現在、台東区にある隅田川の橋について、ご説明いたします。 

(1)白髭橋(しらひげばし)
竣工:昭和6年(鋼アーチ、鋼トラス桁、橋長168.8m、幅員22.1m)

「明治通り」にあり、橋名は墨田区にある白髭神社に由来しています。

隅田川では、最も古い渡し舟と言われている「橋場の渡し」のあった場所で、平安時代の歌人である在原業平が渡ったとも言われています。

(2)桜橋(さくらばし)
竣工:昭和60年(鋼箱桁、橋長169.5m、幅員12m)

台東区と墨田区の姉妹提携事業として1985年(昭和60年)に完成したX型の橋で、隅田川唯一の歩行者専用橋です。

春には両岸の隅田公園に見事な千本桜が咲き、たくさんの花見客でにぎわいを見せます。 

引用: ウィキペディア

(3)言問橋(ことといばし)
竣工:昭和3年(ゲルバー式鋼板桁、橋長236.8m、幅員22.0m)

「言問通り」に接しており、橋名は、歌人の在原業平(ありわら の なりひら)の『名にし負はば いざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと』と言う歌に由来すると言われています。

かつて、この橋の上流には「竹屋の渡し」、下流には「山の宿の渡し」と呼ばれた渡し舟がありました。


(4)吾妻橋(あずまばし) 

竣工:昭和6年(鋼アーチ桁、橋長150.3m、幅員20.0m)

「雷門通り」の側にある橋で、江戸時代に隅田川で架橋された最後の橋です(1774年/安永3年)。

当初、大川橋と呼ばれていましたが、1876年(明治9年)の架け替えの際に吾妻橋と改名された。かつては、この辺りに「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟がありました。


(5)駒形橋(こまがたばし)
竣工:昭和2年(鋼アーチ桁、橋長146.3m、幅員22.0m)

「浅草通り」にあり、橋名は、西詰にある「駒形堂」に由来しています。駒形堂は、浅草寺の本尊である観音像が、この辺りから引き上げられたことにより建てられたと言われています。

かつては、この辺りに「駒形の渡し」と呼ばれた渡し舟がありました。 


(6)厩橋(うまやばし)

竣工:昭和4年(鋼アーチ桁、橋長151.4m、幅員21.8m)

「春日通り」にあり、橋名は江戸幕府の御米蔵にある米を運ぶ荷駄馬用の馬小屋があったことに由来しています。

初めて架橋されたのは1874年(明治7年)です。かつてこの辺りは「御厨河岸(おんまいがし)」と呼ばれており、その河岸に「御厨(おんまい)の渡し」と呼ばれた渡し舟がありました。


(7)蔵前橋(くらまえばし)
竣工:昭和2年(鋼アーチ桁コンクリートアーチ桁、橋長173.4m、幅員22.0m)

「蔵前橋通り」にあり、橋名は地名に由来しています。蔵前の地名は、江戸幕府の御米蔵で「浅草御蔵」がこの地にあったことに由来しています。

かつては、この辺りに「富士見の渡し」と呼ばれた渡し舟があった。 


以上



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