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太宰のきりぎりすのこと

(給料、上がらないかな〜)などと考えるたびに太宰治の「きりぎりす」を思い出す。お金、それに伴う生活水準というものは上がれば上がるほど良いわけではなく妻に別れを告げられることもあって、これはその妻の心情で、語り手の女性がやっぱり複雑で可愛い。

あなたは、以前は、なんにも知らなかったのね。ごめんなさい。私だって、なんにも、ものを知りませんけれども、自分の言葉だけは、持っているつもりなのに、あなたは、全然、無口か、でもないと、人の言った事ばかりを口真似しているだけなんですもの。

お金を持って調子に乗ってしまった夫と、それに冷める妻。太宰は相変わらず嫌悪感を描かせたらピカイチだね。「ごめんなさい」最高すぎ。嫌いな人には思っても無い「ごめんなさい」を食らわせるべきだ。

私は、ちっともお金を欲しく思っていません。何を買いたい、何を食べたい、何を観たいとも思いません。

こんな良い女の魅力に気付く才能が無かった夫は残念だ。

質素な女が良いという話では全然なくて、自分がどういう生活が気に入るかというのをきちんと把握している人はすごく良い。憧れる。実際お金がたくさんあったらそれはそれで気に入りそうなものなのに、一向に嫌悪感を抱いている所がすごく良い。一貫性こそが人間の魅力だ。この「たとえ神に背いても私は自分に背きません」とでも言いたげな一貫性は、特技と言って良い。

結局ね、給料上がんないかな〜なんてぼんやりしている時点でだめだね。人生はサバイバルなのだから

とにかく私はこれからも(給料上がらないかな〜給料が上がるといえばきりぎりすですが)(まあ給料が上がってもね…)(画家でアレなんだから会社員なんてね…)(一貫性こそが人間の魅力)
を繰り返すのでしょう、

太宰作品の語り手の女はとにかく見習うべき点が多くて、例えば『燈篭』のさき子とか『斜陽』のかず子とか、小説ですから奇怪で醜悪なところばかり描かれてるのに最後に残るのは美しさのみ。みたいな意味不明な女。こうありたい。でも相当強くないと無理。強くなる訓練をし続けたら、美しすぎるから浮いてしまう。なんなんだこの矛盾は。

『斜陽』のかず子の口調が実際の貴族の娘とは違うとか本当にうるさいよ学習院の御坊ちゃまにはこの強さが受け入れられないんでしょ!

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