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大学とルッキズム

大学の時って今より顔の話めっちゃしてたな。ってこの間友達と話してて本当に思いました。

ルッキズムの頂点のような学校だったからか、そういうお年頃だからかわかりませんが、本当に、我々女子10人程の学科のグループは、よく人の顔の話をしていた。

あの子の顔が1番可愛い。

あの子の顔が苦手。見れない。

あの子の顔は男ウケ。女ウケ。

あの子は可愛い扱いになってるけど私は苦手。全然可愛いと思わない。

あの子は顔立ちは綺麗だけど心が動かない。華が無い。

そんなワンピース着て自分のこと可愛いと思ってないわけないでしょ。

あたしはブスだからあんたにあたしの気持ちなんてわからないよ。可愛いからいじめていいんだよ。

でも顔が可愛いから許されるんだよ。

うちはあんたのこと可愛いと思ったことない。○○とかは美人だなって思うけど…

etc.

男の顔の話はここに書けないくらいもっとえぐかった様な気もする。

友達のサークルでは、合宿の宴会で3男が1女を一列に並べて「可愛い」「ブス」と指差しながら一人一人に判決が下される時間があったらしい。

顔の話か、人の彼氏のスペックの探り合いか、人の彼氏の悪口か、の話をしている時の我々は本当に活き活きとしていた。まあ社会人になってそれは多少緩和されつつも、まだ、あるけど、それでも格段に減った。減ったというか、アクが抜けた。大学で一生分の顔の話をしたのではないか?

大学生って、みんなそうなのでしょうか。それとも私の学校だけでしょうか。わからないけど、まずブスだと入れないサークルがたくさんあって、毎年高レベルのミスコンが開かれて、ミスコンの人じゃなくてもキャンパスを歩けばオシャレな美人がたくさん歩いている環境で、自分の顔や他人の顔に向き合わないということは難しかった。
余程そういうのに鈍感な人か、ルッキズムへの意識が高い人でないと、呪われるか、じわじわ心が疲れる人が多いと思う。

今はどうか知りませんが、少なくとも私がいた当時の、ルッキズムなんて言葉も浸透してなかった時の大学はそういう空間だった。でもTikTokとか見てると若者たちは私たちの時よりも厳しいルッキズム空間に居るなあと思うので、きっと今もそうなのでしょう。

狂ってるね。狂っている時は、狂っていることに気付かない。数年経ってやっと気付くのだ。

ネルソンマンデラ「我々が自分の持つ恐れから自らを解放するとき、我々の存在は、同時に他の人々をも解放することができるのである。」

ソウデスネ……………

社会に出て変わったのは、ブスとかいう言葉はやっぱり一生の呪いになるし、人の外見についてとやかく言うことはアウトだという認識を持てたこと。大学の時は知らなかったわけじゃないけど、そういうコミュニティでは顔の話をして良い、と思ってた。

けど、外見至上主義はキモい、ということと外見は大切。ということは全く別の話で、混同している人が出てくるのは怖いな〜と思います。

外見を気にしなさすぎて汚くなっていくのはダメだし、TPOに合わなすぎる服とか、メイクと服の世界観の統一が出来てないとかは依然として、(いい年して、せめて外見くらいはさあ…)と思ってしまいます。大体日本人の一般人にそういうのが許されるお洒落で個性的な人なんてそうそう居ませんので、やっぱり清潔感が無くて汚いとかすっぴんが似合ってないのにすっぴんだとか主張が無いのに素っ頓狂な服を着るとかはやっぱり、ちょっと正直、見れたもんじゃない。

とかいうとルッキズムだ‼️‼️とかいう人が出てきそうで怖い、という話です。

社会に出る以上、ルッキズムを盾に自己理解をサボってはならない。

人は一生自己理解を辞めてはならない。厳しいけど。自分の内面のことなんて死ぬまでどうせあんまりわからないのだから、せめて外見くらいは、気を遣っていることが人にわかるくらいには気を遣って良いと思います。
(特に男性…………周りの人もそれに対してからかうような文化をやめて欲しいな…。)

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