ダサい、という見え方について
【プロローグという名のグダグダ文】
もっと早い時間から書き出そうと思っていたら、たまたまYouTubeで『リップヴァンウィンクルの花嫁』のプレミア公開をやっていて、途中からだったけど、しっかり最後まで見届けてしまった。
(リンクを貼ろうと思ったが残念ながらもう見れない仕様になっていました。これはこれでとても正しいのでしょうがない)
久々に観たけれども、Coccoやりりィの演技が、きっと歌い手だから表現できるような気がして、それを見越して映画として作品に組み込ませる岩井俊二の凄まじさを改めて感じた。
そしてやっぱり、岩井俊二の映画は深夜に観たくなる。これはいったいなんなんだろうか。
それはそうと、久々にnoteを書き出している。
なんか、新年度をきっかけに、どうにかこうにかしたくなった、というのが正直なところで。
毎日、いろんなことが頭の中を巡っては、消化しているのかしていないのかよくわからないけど、消えては浮かび消えては浮かびの繰り返しで、それが積み重なっていくうちに、モヤモヤの濃さがだんだん視界を妨げ始めているような気がしだしている。きっとこのままじゃいけないんだなって思いながら、何かを始めようとして、その結果、書くことをまた始めている、そんな感じです。
っていうのも、なんかいかにもエイプリルフールな感じがする。
書き始めようと思った理由、なんかもっと、短絡的な気がする。けど、それがうまく言語化できないのもまた事実。単純に、自分の脳みそを整理したいだけなのかもしれない。それと、なんやかんや結局書きたいのかもしれない。ああ、多分これだ。ただ書きたいだけだ。
かといって、毎日書こうと思うとだんだん飽きてまた放置する気がする。ってか、絶対そう。かといって(2回目)、思い出したら書こうなんてやったら、忘れっぱなしになるに決まっている。俺はそういう人間だ。なので、週1ペースを心がけることにしようと思う。毎週末とか。
さあ、何を書こうか。何を書いてやろうか。っていうか、これは誰に見せるものなのか。そんなこともゆくゆくは考えなくてはいけないのかもしれない。でも、とりあえずはとにかく書こう。最近思ったことを。
【最近思うこと】おしゃれでもダサい人っているよねってこと
俺個人としては、ブランドものにほぼ興味がなく、服はユニクロ・GUだったり無印だったりH&Mだったり、あるいはまさかのドン・キホーテだったり。それ以外は、たまに古着を買うかなぁ、くらい。
意外と変な色あるし、とはいえ基本に忠実なものばかりだし、なんかその辺の組み合わせを適当に楽しめるので、あえて高いものは買わず、さらには意外と丈夫なものもあったりするから自分で着古して新しいものも買ってみたいなことを繰り返したりする。
そんな自分がおしゃれとは思わないけど、ダサくはなりたくないとだけは思っている。なので、全身ユニクロとかでもそう見えないように工夫をするのが一つのダサく見えないための防御策だ。
そもそも、俺はきっとブランド品が似合わない。幾何学な柄も似合わない。シンプルなものが好きということもあるかもしれないけど、それ以前にたぶんシンプルなものくらいしか俺には似合わない気がしている。だから、柄物もチェックやストライプやボーダーだけ。でも、その自己認識はとても大事な気がしている。
高い服を着ているのに似合っていないという悲惨なお姿の方がたまにいらっしゃる。その色に遭ってない、そのサイズ見当違い、その柄着こなせてると思っているの?、、、心の中の悪い俺が笑顔全開でひどい言葉を羅列させる。とはいえ、たまにいる、きっと本人なりにこだわりはるのだろうけど似合ってないよその服、っていう方、見ているこっちが切なくなる。おしゃれなんだろうけど、だっせぇな。っていう。
自分をちゃんとわかっているかどうか。これはきっとファッションセンスだけじゃない。人生もだ。本当に人生もだ。
それはそうと俺は、人生については、あんまり自分のことをわかっていない気がする。きっと、俺もどこかで生き方だっせぇなって思われてるんだろうな。いや、もしかしたら、こいつの服くそだせぇって思われているかもしれない。
さあ、こう考えだしたらキリがない。だから、もう、自分がこれだと思ったら、それで生きていくしかない。でも、ダサさを自覚したら修正できる頭の柔軟さは持ち合わせていたい。これだけは切実に思う。
【エピローグという名のもはや掃溜め】
noteが続かない理由(という名の言い訳)に、写真も一緒にUPしなきゃいけない空気感がある。いや、そんなんめんどくせえし。となってしまうので、空気を読むのは辞めにしようと思う。写真は気が向かない限りはUPしないし、noteらしい使い方は気にしないことにしようかなと。見出しはなんかいいから使う。なんかいいから使うっていうのも、なんかとりあえず酷いけれどもいけれども。
というか、無意識に書き進めたけど、【プロローグ】【最近思うこと】【エピローグ】って流れが思いのほかきれいで、こういう書き方、これからしていこうかなと思った。
そもそも、俺はこんな感情駄々洩れな文章、読まれたいんだろうか。読まれてもいいのだろうか、でもまあ、別に構わないし、そもそも多くの人に見つかるともあんまり思えない。けど、見つかったら見つかったで面白い気もする。
見つかる見つからないのことを書いていて思い出したけど、前にnote更新をやめた理由に、俺のnoteを見てなんか心配になったであろう人が、そのことを人づてに伝えてきて、その心配が単純に気持ち悪くてやめた、ということがあった。だったら直接連絡してこいや、的なことを思った(思い出すだけでなんかまた気持ち悪くなってきた。おえぇぇぇぇ)(ついでにそのことを伝えた人にも嫌悪感を持った)(というかそんなにマイナスなことすら書いてもいなかった)。そもそも俺は全員に好かれるタイプではなく、一部の人は割と好いてくれ、多くの人には忌み嫌われがちなタイプだ。なので、結構普通の生き方は諦めてもいる。それを変に心配していろんなことを助言してくる人もいるけれど、なんというか、ありがたいような気もするけど、きっとそういう感覚を持つ人とはわかりあえないし仲良くなれない(本音は仲良くしたくない)。
大事なことって、いつの時代も、きっと、否定も肯定もせず、しれっと寄り添うことだと個人的には思ってる。だから、言いたくなったら言うし、言いたくなってくれたら聞く人でいたい。
自分の意見が必ずしも、誰かにとっての正しいとは限らない。そこに気づいていないのも、ダサいよね。あーーー超ダサい。
さて、そうならないように、気をつけます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?