見出し画像

パパイヤの酵素

※パパイヤは本文とは関係ない。
ぱっと浮かんだ言葉をタイトルにした。今夜の晩ごはんのメニューに青パパイヤの炒め物があったから。

4回目のnoteも25時。今夜は真夜中のひとりごと。

例えば人から求められることと、自分の考え・やりたいこと違う場合、摩擦を生まずにそれを埋めるものは何か。
最近、わたしのまわりではそれを「コミュニケーション」であると結論付けようとしている。

取引先や同僚とのビジネスの現場においても、家族や友達、恋人とのプライベートにおいても、きっとコミュニケーションがすべての元凶であり万能薬であると。

毒にも薬にもなり得るコミュニケーションて一体なんなんだ。
ゲシュタルト崩壊。

コミュニケーションをとっているつもりでも、そこに存在する本音と建て前。(良質な)大人の対応と裏表のある態度の境界はどこにある?

コミュニケーションとは;
社会生活を営む人間の間で行われる知覚感情思考の伝達。あるいは単に、(生物学な)動物個体間での、身振り音声匂い等による情報の伝達。辞書的な字義としては、人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達、などと定義付けられる。[ウィキペディアより]

なるほど。言語・非言語どちらのコミュニケーションもあるということか。

所謂、コミュニケーション不足と言われる現場では、非言語コミュニケーションと言語コミュニケーションが相対していることが多いと感じる。
だって言葉と心は裏腹なのだ。
言葉で繕って誤魔化そうとしても、漏れ出ているネガティブな態度。

コミュニケーションが大事、とかコミュニケーションが足りない、とか誰かが言うときは、コミュニケーションを万能薬みたいなポジティブなものとして発信している気がするのだが、つまるところそれは「配慮のある対話」ってことなのではないか。

むしろ、コミュニケーションを控えめにとるというコミュニケーションもある気がする。

考え方が合わない人と何かしら進めていかないといけない場合は、どうすればゴールに近付けるかなぁ、と考えて、一歩引いてみることが案外有効かもしれないと思い始めた今日この頃です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?