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うたを聴く その② "抱擁"を求めて

〜ひとつになりたい〜

私のお気に入りの曲の中の一つに抱擁という曲がある。
歌ってる人はカネコアヤノ。


ちなみに、こちらがアヤノさん↓
かわいい。この写真のおかげでアサヒスーパードライが100本売れるんじゃないかってくらい、いい写真。


初めて彼女の曲を聴いた時は、型に当てはらないような、
カネコワールド爆発みたいな世界観にびっくりしたものの、
度々聴きたくなる時がある。

声も歌い方も、歌詞も、全部に彼女らしさがでていて、いいんだよなあ。
変に飾らないところも良い。

夕方土手を散歩する時とか。

水が溢れてしまった
悲しい きっとこれは誰も悪くはなくて
ただ、ただ、

この3行で人間関係の、距離感とかを鮮明に描かれてると思う。
聴く人によって、思い浮かべる相手は違う。

恋人を思い浮かべる人、
密かに想いを寄せる相手を思い浮かべる人、
また、今はもう届かないところへ行ってしまった友達を思い浮かべる人。などなど…

一番心が通っていた友達と思っていたのに
それが自分の一方的だったと気がつくのは
結構ショックが大きいということを最近感じた。

そして、一度そう離れてしまった気持ちを取り戻すには相当大変だということ。
ほぼ不可能だと思う。

また馬鹿みたいにふざけた話で盛り上がったり、
ビール片手に理不尽な社会を笑い飛ばしたい。
終電逃して私の家でお泊まり会して、
カラオケでオールしたい。

私のキャラじゃないと言われるけど、
私の表面しか知らない人は引くかもしれないけど、
そんなのはどうでもよくて、
私だってそういう「息抜き」が必要なんだと。
彼女が私の近くからいなくなってからそう気がついた。

それに、彼女は恋愛経験の薄い私にとって、
いつだって恋愛マスターで、良き相談者だった (笑)

心の中ではさみしいなあとか、色々思ってるのに、
いざ本人が目の前にいると素直になれなくて、
自分からわざわざ疎遠になってしまうような環境を作ってしまう。

そう。すべては、水が溢れてしまったんだ。

人間関係ってそういうものなのか、と思う。

抱擁をまっていた 胸の中で
まるで私が聞き分けの悪い赤子のようにぎゅっと

そして、サビは自分の素直な気持ちをすうっと歌ってくれる。


そう。
防衛本能が働いてしまった時だって、
私はいつも誰かの抱擁を待っているのである。
でも、誰でもいいわけじゃない。

やっぱり私を理解してくれる人に抱きしめられたい
ひとつになりたい。

ちがう人間だとしても、それだからこそ、ひとつになりたいのだ。

あとは素直に伝えられるように。

今大事と感じる人には、特に素直になりたい。
自分から台無しにしてしまわぬように。

そんなことを思った。





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