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SNSとインターネット

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#コミュニケーション

物理的に皆同じ空間に存在していても、行動やイメージの世界は分かれていて、Aという世界とBという世界の間に実質的な交流はなく、情報だけがSNSを介して共有されている状態。 Aの人がBに行きたいと切望しても叶わないくらいの隔たりがある。

発言は迷惑になるという意識をなくし、ブレインストーミングの一部だという意識を持つこと。 完結させようとしたり、支配しようと思わないこと。 発言はあくまで提案だと思うこと。

批判したり指摘することがパブリックにできる X は比較的デマ・偽情報は流れにくくて、 LINEやインスタやTikTokのような当事者以外から見えにくいSNSは、その面では至らないスペックだなあと思う。

人と人とは、だんだん交わらなくなってきているのかな。少なくともネットの上では。 コメント欄が和やかに賑やかなSNS投稿を見かけにくくなった。 ほとんどはコメントなし。いいねが何百あってもコメントなし。 SNS創生期、ブログ時代が懐かしい。その前の掲示板(BBS)の時代もね。

閉塞感打開術 ①コメントしまくる

①と書きましたが ②があるかどうか分かりません💦 なんか自分のなかでイマイチだなー、うーん、、と思うことがあると思います。 そういうときには・・ 投稿しまくる コメントしまくる メッセージちょっかいしまくる というのが打開策になる場合があります。(場合です) コメントコメントって、言って相手がどう反応するかって、気になりますよね。 それはね、一つだけコメントして待ってるからなんです。 あっちこっちの人にコメントしてたら、そんなのイチイチ考えなくなりますから。 返信

他人からどう見られているかは訊いてみないと分からない

他人目線を気にする人と、しない人がいますね。 僕はわりと気になる方です。 その割にはSNSで好きなこと言ってるし連投もしてます。 その辺が INFJ-A なのでしょうか。自分でも分からないことがあります。 他人からどう見られているかは気になるけど、他人に言われたからってその通りにしないのが自分かな?😊 いずれにしても、他人が自分をどう見ているかというのは、その人に訊いてみないと分からないですね。絶対に。 日頃コミュニケーションがある人なら相手の素振り、言動などでなんとなく

言葉遣いと通信プロトコル

先のつぶやきの続編です。 通信機器や端末がお互いに通信するときには、通信プロトコルという決まりがあって、データのやり取りの方法や順序などが決められています。 通信プロトコルに則らない自由な信号を発信しても、互いに通信はできません。 人間のコミュニケーションに使われるのは「言葉」ですが、その通信プロトコルにあたるものは「言葉遣い」であるかと思われます。 ある言葉遣いで会話が成立しているコミュニティに、まったく違う言葉遣いをする人が入ってくると、人間の場合はその意味は理解し

言語化の重要性

今回もNHK「あさイチ」からヒントをもらいました。 あさイチには俳優さんがゲストで登場することが多いのですが、今の若い俳優さんはとてもしっかりしているなと感じることも多いですね。 なぜしっかりしているという印象を受けるのか?おそらくそれは「言語化」なのだと思います。 自分が考えていることを、皆に分かるように説明するのが上手だということではないでしょうか。 僕のイメージにある昔の俳優さんは、シャイな人が多くて「ちゃんと喋らない」という印象です。 役作りの話も、きっちり全部は

他人を理解するには → やり取りが必要

SNSでの会話は、会話ではありません。 なぜかというと、ほとんどの場合、 コメントして → 返事して終わりだからです。 それで相手を理解したような気持ちになっているのは、単なる思い込み。 でもSNSでは何度もコメントすると嫌がられるから、仕方ない面はあります。その場合は、折に触れて投稿にコメントするぐらいしか、相手を理解する方法はありませんね。 嫌がられない程度に、コメントを繰り返す。 当たり障りのないコミュニケーションでは、人間を理解できません。 「腹を割って話す

SNSの経済と社会のアクティビティ

SNSはコミュニケーションを活性化するため、さまざまな活動に向いていますね。 経済活動(ビジネス) → 直接的な利益は自身と社会 社会活動(ソーシャル) → 直接的な利益は社会 ホビー → 直接的な利益は自身(または社会) これら3つぐらいの活動にSNSは威力を発揮するでしょう。 自分の場合僕は仕事がらみでSNSをやっていますが、SNSで直接的に利益を上げていないため、経済活動ではないと思っています。 また、SNS自体が趣味のようなもので、SNSをやることが自分の嗜

さっきの X のポストまとめ|SNSの変化

(以下 X でポストした内容) Xでポストすることが自分にとってメリットがあるかというと、とくに思い浮かばないからメリットはないのかもしれないね。 昔の一時期はTwitterでリアル友達ができたりした。(郷愁) 自分の問題かもしれないけど、今はそういうことはない。 自分のいる界隈によるのかもしれない。 (とくに X について) SNSの初期は純粋に仲間づくりをしようとしていた人が多かったと感じているし、ビジネスでも趣味でも、それで何らかのメリットがあったと思う。 フツーに

リプライチェック|返事に出る人柄・人間性

SNSで「なんか素敵な感じの人だな」と思ってコメントしたら、イメージと違う返事が返ってきて、ガッカリしたことはありませんか? そう、それがその人の本質です。怖いですね。 僕もうかうか返事できません(笑) 返事はコミュ力返事をするということは、コミュニケーション能力が問われる行為なのですね。 SNSで自分をよく見せるのは、書き方を練習すれば上手くなるけど、とっさに誰かから何か言われて、それに素敵に答えることは難しいのです。 なぜかというと、 いつもと違うパターンだから

自分らしい生き方はネットのおかげ

1990年代以前の昔に出かけていって「みんな自分らしい生き方をしようよ」と言っても、今とは違う受け止め方がされると思います。 ネットがないということはどういうことかあの頃は、他人がどういう人生を歩んでいるかなど、テレビや雑誌でクローズアップされる人以外のことは、あまり分かりませんでした。 つまり多数の個人のナマの声をダイレクトに聞く機会というものが、日常的にほとんどありません。 いま思うと、 あの頃、自分らしい生き方をしていた人は、 相当なツワモノだなと😎 たとえば単身

多国間コミュニケーションの時代

世界的に、みんなでなんかする、という方向に行っていると思います。 みんなでやるけど → 一人ひとりを尊重というイメージの2020年代ですね。 公用語は一応、英語だけどSNSでは・・ 自分の言語で書いて → (相手は)自分とこの言語に変換して読む という状況ですので、もうちょっと時代が進むと、会話もそんな感じになるんじゃないでしょうか? ウェアラブル・デバイスによって、 相手の言語を自分とこの言語に変換して聞き、 自分の言語で話して 相手も自分とこの言語に変換して聞く