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気づきと考え方

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気づいたこと。考え方について考えた(笑)記事
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#世界

物理的に皆同じ空間に存在していても、行動やイメージの世界は分かれていて、Aという世界とBという世界の間に実質的な交流はなく、情報だけがSNSを介して共有されている状態。 Aの人がBに行きたいと切望しても叶わないくらいの隔たりがある。

SNSは「出来すぎる人」が多い! 近所や、自分の人生のなかに絶対いないような人がゴロゴロいる!!! だから、凡人はそのまま真似しないようにして「そういう世界もあるのだなあ」ぐらいの目線で見ているのがちょうどよい。

Mac周辺に広がる角丸の世界が本当におしゃれなんだろうかという疑問を自らに呈して振り向けばそこにChromebook このパリッとした感じ素敵。

再生

光と影の季節、それは人生と人の営み

美しいもの、素敵なもの、明るいもの、眩しいものを見ると、その反対側を認識する。最近はとくにハッキリと分かるようになった。 ジャニーズや宝塚歌劇団を見てもそうだし、個人の振る舞いを見てもそう。 そうではないものにリアリティを感じる。何気ないものに真実がある。SNSのおかげで、人生を早送りできた。

上ばかり見てしんどいときは下を見よう。 自分が一番下ということはめったにないし、サイテー!と思っても最低ではない。 世界で80億番目が自分なんて想像できないし、まだ1番目の方がテレビで見て知っている。 人は近い所と比較することでしか自分の位置を理解できない。大いに比較すべし。

みんなSNSの世界観に染まっているけど、SNS外の世界もたくさんあるしフォローしている以外の世界もある。 それを是正するために「おすすめ」のアルゴリズムがあるけど全く十分ではない。 去年のバイト先の人でSNSやってない人は普通にいたし、Z世代でもインスタROMだった。

世の中は自分が思ってる以上に混沌としているようだけど、情報がなければそうは思わない。 つまり昔から混沌としているのだった。

挫折について短く語る

昨日シェアしたばかりのため、今日は別バージョンをシェアする。 オリジナルバージョンの Music Video 版 自分のレクイエムだ。 今までの人生で二度、挫折をしている。 一つ目は「贅沢な挫折」 二つ目は「限界的挫折」 挫折すると大きなハンディができる。 その次はほぼイチからの出直しになるから。 アイデンティティをその度に築き直す。 だから挫折なんて何度もするものではない。 仕事、友達、家族、世界、夢。 できることなら積み上げ続けて、 広げ続けて、 長く長く大切

成功者には汚れた英雄もいればホワイトナイトもいる

すごいタイトルですみません。 SNS界隈で暮らしていると、しかも X みたいなSNSで暮らしていると、物事を正しく見つめられなくなるような気はしています。 「有名になると散々disられて、めちゃくちゃにされる」というイメージを持っている人は多いのではないでしょうか? 「それならば最初からブラックで居よう」と思う人もいるかもしれませんね。 でも、有名人や成功者が、常になんらかの汚れを身にまとっているかというと、そうでもなくて、女優の吉永小百合さんのようなクリーンなイメージを

愛について考える

熱意と愛熱意は自分に宿り、または湧き上がるもの 愛は他者に与えるもの、または包まれるもの だと思いました。 熱意は自分のなかで完結できますが、愛は他者の存在無くしては成立しないと思いました。 自分の場合僕、個人的には、愛情が薄いなと思います。 誰かを思って泣くようなことも、ほとんどありません。 可愛い 他人のビジュアルを見て可愛いなと思うことはあっても、それは愛とは違うものです。 贈り物 人にプレゼントをしようという気持ちは、それそのものは行為またはアピールであっ

自分の世界は「取捨選択」して創る

SNSのアカウントを運用していくということは、自分(自社)の世界を創ることなのです。(世界観) でも自分の世界を創ることは、意外に難しいですね。自分を分かっていないとできないから。 「自分」といっても、自分で気がつかないぐらい沢山のものが詰まっています。色々な自分を潜在的に知っているから、いざ「自分」と考えたときにいくつものイメージが出てきて迷ってしまいますね。 「どれが自分なんだろう?全部自分なんだけど・・」 で、その自分すべてをSNSで見せてしまうと、他人は「この人

認識のUpdate.

認識や意識、観念というのは、1回そう思うとずっとそのままということがあります。 「あいつは〇〇な奴だ!」という印象を一回持ってしまうと、何年もそう思っているわけですが、数年ぶりに会うと全然、違う感じの人になっていて「うへー!」と思うこともあったり。 人間でも、文化でも、世界・業界でも、プロダクトでも。 それが生きている限り、進化しているのですね。 いつも同じところに留まっているわけではありません。 「言葉」に関しては、古くなったら、なったままのことが多いのですが、 例え

英語で書けば簡単に世界とつながれる

Instagram も Twitter もそうですが、翻訳機能があります。 どこの国の人でも、自国語に翻訳して、投稿を読むことが可能です。便利な時代ですね。 だからといって、簡単につながれるというものではありませんよね。 英語が苦手な日本人が英語の投稿を見て諦めるのと同様に、日本語が分からないアメリカ人が日本語の投稿を見ても、親しみすら感じないでしょう。 YouTubeの動画でも、タイトルや説明が日本語だと、日本人ばかりがコメントしますが、同じ動画を英語で説明すると海外か

多国間コミュニケーションの時代

世界的に、みんなでなんかする、という方向に行っていると思います。 みんなでやるけど → 一人ひとりを尊重というイメージの2020年代ですね。 公用語は一応、英語だけどSNSでは・・ 自分の言語で書いて → (相手は)自分とこの言語に変換して読む という状況ですので、もうちょっと時代が進むと、会話もそんな感じになるんじゃないでしょうか? ウェアラブル・デバイスによって、 相手の言語を自分とこの言語に変換して聞き、 自分の言語で話して 相手も自分とこの言語に変換して聞く