#シティポップ
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角松敏生 "DO YOU WANNA DANCE" in the "SUMMER TIME ROMANCE〜FROM KIKI"
1983年12インチシングルリリース 1984年リリースアルバム "SUMMER TIME ROMANCE〜FROM KIKI" 収録曲 ハワイKIKI局のDJカマサミ・コングによる曲紹介とともに流れるバージョン。 ホールにいるような臨場感があり、オリジナルよりもこちらのバージョンの方が個人的に好き。 80年代のディスコで真剣に踊っていた人、音楽にのめり込んでいた人、ナンパに使っていた人もいたわけだが・・ 多くの会社員は金・土の夜、あの雰囲気を楽しみに出かけては、なんとなく手足を動かしてブラブラ踊っていたのではないだろうか。自分もその一人。 個人的にディスコは、六本木のザ・リージェンシーと日比谷ラジオシティの2か所しか行ったことがない。会社の友達と「次はトゥーリアに行こうぜ」と言っていた矢先に例の事故が起きた。 それでリージェンシーは現在解体中(?)のロアビルの上階にあって東京タワーが見える華やかな雰囲気の場所。結婚式の二次会が行われたりしていた。 ラジオシティは富士電機かなんかのビルの地下だったと思うが、会社員となぜか女子高生グループがいたのが不思議な雰囲気だった。(たまたまか?)妙に明るい子たちで、東京の高校生は自由でいいなと思ったのを覚えている。 いま思い出せるのはそのくらい。
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杉山清貴 "long time ago"
作詞:松井五郎 作曲:杉山清貴 編曲:松下誠 1986年リリースアルバム "beyond..." 収録曲 杉山清貴&オメガトライブは林哲司の世界でシティポップそのものだったが、独立したあとは杉山清貴の世界に入っていった。この曲などはAORと言ってよいのでは?と思うような雰囲気がある。 "beyond..." ではやはり80年代の透明感が際立っていて、オメガトライブ的な要素もあったように感じるが、徐々にそれは変化していった。 近頃の日本のポップス・ロックには遠い過去を振り返るような楽曲が少ないように思う。例を挙げてと言われても挙げられない。 楽曲の世界から「人生の1ページ」のようなストーリー性が無くなったと感じるのは自分だけだろうか。
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杉山清貴&オメガトライブ "JOANNA"
作詞:秋元康 作曲・編曲:林哲司 1984年リリースシングル "RIVERSIDE HOTEL" B面 1985年リリースアルバム "Single's History" 収録曲 「シティポップ」は単なるプロモーション上のコピーみたいなものだったが、シティポップ的な世界観をあえて作った「オメガトライブ」プロジェクトは、まさにシティポップの王道だと言ってよいと思う。 角松敏生のように純然たるAORをやっていた人たちから見ると「シティポップ」はミーハーな印象があったと思うが、リスナー目線で見ると、こういう世界観に憧れた人は、当時はとても多かったと考えている。 で、個人的に「ビストロ」というものをこの時、初めて知ったのだが、ビストロと名乗るレストランに初めて行ったのは90年代の神戸だった。
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菊池桃子 "Night Cruising"
作詞:藤田 浩一 作曲・編曲:林 哲司 1986年リリース・アルバム "ADVENTURE" 収録曲 菊池桃子のシティポップ・ナンバーを一度まとめてシェアしたことがある。 https://note.com/expwakui/n/nf333059ba304 当時、聴いていた記憶がなかったが、聴くとあの頃の空気感がわーっとやってきて切なくなるね。 とても遠い世界に、ふわふわと浮いている幻想のようだ。 戻りたくても戻れないあの日々に、なんと問いかけようか? 元気かい? 違うか(笑) さようなら、でもない。 確かにいたよね?そこに? あいつとか、あの子とか、 隣に僕が来ているのに、気づかない。 スパークリング持って、ビリヤード越しに、笑っている。 青暗い水平線のなかを、花火を持ってはしゃいでいる。 誰に向かって笑っているの?? とても切ない。いま。