老犬
老犬は目を覚ますと大きな欠伸をしてそれから伸びをした。
主が近づいてくるのを目で捉えると尾を立てて高くひと吠えした。
老犬は自らの尾が、古びた喫茶店の隅にある置き時計の振り子のように、ゆっさゆさと揺れていることを、温かな尻で感じた。
主に目線を注ぐ。はぁはぁと舌を出しながら息を吐く。促すのだ、散歩へと連れて行けと。
首にかかる鎖を主が持つと、蒙古の草原を駆ける馬の足並みのごとく、軽やかな足取りで走り出す。
急発進に遅れをとった合金の鎖は波打ち、主と老犬の繋がりを象徴するかのように、あるいはその主従関係を露出するかのごとく、ぴんと張った。
進め、進め、楽しい、楽しい、進めよ進め
老犬は家からの55間の散歩道を ー長年変わらぬ縄張りをー 駆け巡った。
寝起きの尿は勢いよく街灯の足元にかかった。
商店街でちゃりんこ漕ぐ女子高生の洋袴の裾のように、それはそれは軽やかに進んだ。
車止めに、消防の赤看板に、いつもと変わらず尿を放った。
道を渡り、橋へ差し掛かった時、老犬はどこか違和感を覚えた。
橋の付け根に右後ろ足をあげ、いつもと変わらぬ姿勢で陰茎を向ける。
だというのに、尿は出ない。
老犬は悔しくなって、だけどその感情をぶつける先がわからずに、地べたを三度後ろ足で蹴った。
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