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デザインと服

こんにちは。

地獄のような暑さにうなされている 企画部 の イシバシ です。

皆様は体調は大丈夫でしょうか?

最近は毎日風呂上がりにアイスを食べないと気が済みません。

食べないとソワソワします。

そんな私が皆さんにおすすめしたいアイスは

『BLACK』です。

ネーミングもパッケージもシンプルなところに「グッ」っときて...

味も余計なものを削ぎ落とした感じで食べやすく、分かりやすく美味しいです。

甘いものが得意ではないので、甘すぎないのもポイント高めです。ココアとチョコレートの中間のような味わいです。

調べて見たところ1978年からある製品のようで...

『原点にして頂点』

この言葉がふさわしいアイスですね。

それでいて70円前後で売られているのをよく見ます。赤城乳業さんありがとうございます。

今夜のアイス選びに困ったら是非...!

本題です。

「デザインと服」なんてタイトルにしましたが

特に規模の大きい話でもありません。

僕にとって大切な「デザイン」と「服」のつながりについて

ふわっと話します。

高校生の時、初めてのバイトで貰った初給料... 感動しました。

「働くってこういうことか...!」とか思ったような気がします。

バイトですけどね。

大事な大事な初給料で買ったのが「腕時計」でした。

生粋の優柔不断人間の私は

探して探して悩んで悩んで...

一番使いやすそうで、心にしっくり来た腕時計を買いました。

買ってからは毎日ウキウキでつけてたのを覚えてます。

それから身につけるものに拘りたくなり「服」への興味が強くなりました。

高校生の時は、「NIKE」のスニーカーとその界隈のファッションにハマっていました。

限定発売のモデルとか、ちょっと変わった目を引くモデルに心惹かれ

給料の半分以上はスニーカーに使っていました。

(そのせいでいつも財布の中は寂しい感じでしたが)

珍しいことに、僕の通っていた高校は「靴」に関しては一切指定がありませんでした。

なので僕の通学靴は、全く高校生らしさの無いスニーカー達でした。ローファーなんて履いたこともありません。

側からみたら、毎日日替わりでお気に入りのスニーカーを履いてくる「変わり者」だったのかもしれません。

でも、毎日楽しかったのを覚えています。

登校下校はよく下向いてました。

お気に入りのスニーカーに目を奪われて...笑

店の窓ガラスに映ったスニーカーを見て

「やっぱり格好いい...」とかも、良くやってた気がします。

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これは確か、一番初めに買った高いスニーカーです。2015年の写真でした。

こんな派手なの履いて通学してたんですよ。

「アホ」としか言いようがありません。よく先生に怒られなかったなと思います。

当時買ったものはここ何年かでいくつか売ってしまいましたが、

僕の「格好良い」と思うモノのルーツとして残しておきたくて

今でも大切に履いているものもあります。

そして時は進み、大学に入学しました。

相変わらずスニーカーは大好きでしたが

「服」の方にも興味が出て来ました。

「90年代頃のストリートファション」みたいなものに憧れて、古い雑誌のスナップとか、海外のインスタグラマーのスナップとか、ショップの店員のスナップとか見つけては

「これかっけー!真似しよう!」

といった感じで、よく古着屋巡りをしてました。

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人とかぶるのが嫌いだったので、基本一点モノの古着に引かれたというのもあるかもしれません。

人と被るのが嫌だったので「格好良い人の真似」だったとしても

「自分らしさ」みたいなものは必ず入れるようにしていました。

はっきりとした言葉にはできませんが心の中に確かにあります。

そうやって「自分らしさ」を日頃から考えていたからか

ある時から先生や友人に、

「イシバシの作品は、パッと見でイシバシが作ったって事がわかりやすい」

と言われるようになりました。

きっと褒めてくれていたのだと思いますが

僕は悩みました。

「単調って事?」とか「癖が強いんだろうか」とか

色々思い悩みましたが、

『出てくるモノに一貫性が見えないよりは良い』と信じて

学生時代は様々な作品を作ってきました。

以前お話しした「軸足」というやつがここでいう「らしさ」なんですかね。

僕はもう学生では無いので、仕事で何か作るものに対して

「イシバシらしさ」は重要ではありませんけどね。

ですが、何を作るにしても

何かを人に見せる時、見て欲しい時に「らしさ」が客観的に見てすぐ分かるようにすることの大切さはよく理解できました。

「ここにいるぞ!」と埋もれないように声をあげるようなイメージです。

「あ、あの会社だ!」とすぐ分かるように...

これは絶対に忘れちゃいけない要素だと思っています。

当たり前かもしれませんが

僕が大切にしていることです。

最近はあまりオシャレをする機会もなく

自室の大量の服が泣いているような気もします。

また気兼ねなく出掛けれる世の中に戻ったときのために

僕は着る機会が少なくてもボチボチ好きな服は買い続けます。

僕にとって「服」はアートみたいなものです。

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死ぬまで自分らしい「服」を着続けます!


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