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12日目 新居宿~御油宿

さて今回も張り切っていきましょう。まずは新居宿の紹介から。

㉛新居宿(静岡県湖西市)

31.新居

新居宿は浜名湖の西岸に位置し、関所が隣接するなど交通の要衝として活躍した。古くから地震や津波の被害を受けるが、壊れては再建しを繰り返して現在に至ったようである。宿場というよりかは関所としての役割のほうが大きかったようだ。

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というわけで午前9時の開場と同時に中へ入る。道路を挟んで反対側にある旅籠、紀伊国屋との共通券で500円。宿場に隣接されているため新居関所と呼ばれるが、正式名称は今切関所だそうだ。明治時代に入って役所としての機能は失われたが、正面に映る面番所の建物は小学校の校舎、また役場の庁舎として1951年(昭和26年)まで現役として使用されていた。主要街道の関所建物としては唯一現存するものだそうで。これは貴重だ。

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中へ入ってじっくりと見ることができる。こちらは面番所といい証書等の確認をする場所。

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警備用の武器。

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東海道線が近い。奥の砂利の色が手前と違っている場所には蔵があったらしい。

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全景。

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渡船場跡。

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旅籠、紀伊国屋。これまでにも日坂宿など旅籠に入れる機会はあったが、営業時間外であった。しかし今回は入れる。前回舞阪宿の脇本陣に続いて新居宿では関所と旅籠、そしてこの先の二川宿では本陣が楽しめる。今日は歴史に浸かろう。

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紀伊国屋は新居宿で最大規模の旅籠で、紀州藩の御用宿となっていたそうだ。明治時代の火災で消失したものの、その後2階建てに建て替え、1959年までは営業していた。中には6畳と8畳の部屋が広がる。古い農家とかに行くと今でもこのような造りをしていることが多いよね。

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風呂場。ん…?何の写真だ?

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まさかの由美かおる。まあ入浴シーンといえばこの人であるが、今の若い人はわからないんじゃないの?しかしこのユーモアセンスは結構好き。

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各宿場の名物。食べ物が多いな。

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二階は天井が低い。当方身長185cmであるが、真っ直ぐ立つと頭が天井にぶつかる。江戸~明治時代の平均身長を考えたらこれで十分だったのだろう。

関所と旅籠で1時間半くらい費やした。結構長居してしまったな。さて西へ向かう。

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道が折れ曲がっている。ここが新居宿の西端だったのだろう。

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松並木が続く。曇りだと涼しくて快適だ。

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ああ、坂だ…。結構急そうに見えるが実際はどうなんだろうか。

まあ急には違いないが、小夜の中山に比べたらそうでもなかった。息は上がるものの、途中で休憩しなければならないほどのキツさではなかった。坂の上には学校があるようで、下校途中の生徒とすれ違った。この坂毎日登ってたら健脚になるよなぁ。

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坂の中腹から遠州灘を見下ろす。この坂は潮見坂という名で、その名の通り海が見えるのが特徴。西国から江戸に向かう際は、ここで初めて太平洋や富士山を拝むことができる場所として、旅人の感情をゆさぶった土地だったとか。

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登り終えるとそこは白須賀宿。

㉜白須賀宿(静岡県湖西市)

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白須賀宿は遠江国最西端、現在でも静岡県最西端の湖西市に位置する。元々は海岸沿いに宿場があったが、宝永4年(1707年)の宝永地震と津波の被害を受けて潮見坂の上に移ったという。坂の上にあるため東海道線はこの地を避け、その結果当時の面影が少し残っている。

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東海道を東進する旅人がここで初めて海を目の当たりにした。ここからの風景は江戸時代からそう変わっていないはず。また天正10年(1582年)に織田信長が武田勝頼を滅ぼして尾張に帰る際、徳川家康が茶亭を新築して信長をもてなした場所だという。明治天皇の東京行幸の際に初めて太平洋をご覧になった場所でもあるらしい。歴史詰まってるなぁ。

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道幅はせまい。自動車の行き違いもなかなかしんどそうな感じ。

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道が折れ曲がっている。ここが白須賀宿の西端だったのかな。この折れ曲がった道のことを曲尺手かねんてと言って、宿場の出入り口をあえて折り曲げることで敵の侵入を防いだり、参勤交代の際に大名行列同士が道中かち合わないようにする役割を持っていたそうだ。

ここから先は緩やかな下り坂が続く。そういえばこれまでの道中は下りも急なことが多かったなぁ。

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そして愛知県に突入。新幹線を使えば2時間の距離に10日以上かけてたどり着いた。

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久しぶりに国道1号線と合流。左右にキャベツ畑、奥には山地、のどかだなぁ。

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バスの時刻表がなかなかインパクト強かった。国道1号線だよねここ?調べたらシンフォニア・テクノロジーまでも3~4kmありそうだ。このあたりで怪我したら身動きとれないなぁ。

その後も怪我に気をつけながら黙々と歩き続け、新幹線の高架をくぐって国道1号線とさよなら。

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道幅も一気に細くなり古風な住宅が奥の方まで続く。二川宿に到着である。

㉝二川宿(愛知県豊橋市)

33.二川

二川宿は三河国最東端の宿場。征夷大将軍の天領だったそうだ。このあたりは土地もなだらかなため、東海道線の二川駅も宿場の近くにある。

二川宿の見どころはやはり本陣資料館だ。舞阪宿の脇本陣でそう教わったため、非常に期待している。東海道で本陣の建物が現存しているのは、二川宿と草津宿だけであるとか。

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外から玄関を覗き込む。時代劇でなんとなくこんな光景を目にした記憶がある。入場券を買っていざ中へ。入館料は400円で、本陣、資料館、隣にある旅籠に入れる。お得。

とりあえず資料館から回ってみる。

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お、案外しっかりとしてそう。駕籠に乗って記念撮影しても良いらしいが、185cmの大男は駕籠に収まりそうにないし撮ってくれる人もいない。展示物もかなりしっかりしている。今朝立ち寄った新居関所の資料館と内容は被っている部分も多いが、こちらは東海道以外の四街道との比較などもあって充実している。またA4両面印刷の資料が随所に置いてあり、これがまた興味深い内容であった。大学生の頃に立ち寄りたかったなぁ。

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本陣の中へ入った。とにかく広い。図面で比べると旅籠の3倍はありそうだ。

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上段の間も立派だ。

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玄関から外を見る。立派な家紋だけど、どこの家紋だ?と思ったら吉田城主松平伊豆守の紋だそうだ。同家の祖は知恵伊豆として有名な松平伊豆守信綱。知恵伊豆ってのも久しぶりに聞いたなぁ。

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続いて旅籠、清明屋。旅籠へGO!の語感いいな。

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旅人はまずここで道中で汚れた足を洗う。

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基本的な造りは新居宿の紀伊国屋とほとんど変わらない。

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旅籠の食事比較。こちらが新居宿の紀伊国屋。うなぎの蒲焼がある。

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こちらは二川宿の清明屋。主菜がうなぎか別の魚かの違いくらいで、その他は大差ない。旅籠では煮物と魚の一汁二菜か、もう一品ついて一汁三菜になることが多かったそうだ。健康的だな~。

一通り見終わったので、次の吉田宿へと向かう。天気予報だとこのあたりで雨が降る予報となっていたが、むしろ晴れている。

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ヤクルトの販売所も景観を意識した外観となっている。

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郊外の国道感あふれる景色。これが長く続くと飽きてしまうが、景色自体は嫌いじゃない。特に何ということもなく吉田宿に到着した。

㉞吉田宿(愛知県豊橋市)

34.吉田

吉田宿は現在の愛知県豊橋市の中心部に位置する。徳川将軍家の老中・大坂城代・京都所司代格の大名の吉田藩の所領で、吉田藩は幕府の重臣となるための登竜門のひとつだったそうだ。めちゃくちゃ格式高いな…。現在も東三河地方の中心都市であり、豊橋駅には2時間に1本ひかりが停まる。

余談だが名古屋に用事がある人におすすめしたいのがひかり号だ。ひかり号は大まかに2種類あり、東京駅毎時03分発が岡山行き、東京駅毎時33分発が新大阪行きで、この33分発のをおすすめしたい。新大阪行きのひかりは東京、品川、新横浜の後、小田原か豊橋のどちらかに停まり、名古屋以降各駅停車となる。のぞみ号は東京、品川、新横浜、名古屋の順なので、のぞみ号の停車駅+1駅で名古屋に行けるのだ。所要時間も5分程度伸びるのみで、それでいてのぞみ号よりは空いている。

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東惣門。いきなり門だけ現れてとてもシュール。

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やはり都市部だけあって歴史を感じさせるようなものは少なめ。看板に菜めしと書いてあるが、間の宿菊川の名物だった菜飯田楽かな?

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本陣跡。江戸まで73里、京まで52里。もう京都の方が近いんだなぁ。

時刻はこの時点で15時半。次の御油宿までは3里近くあるが、なんとかそこまでは行っておきたい。

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豊川に架かる豊橋を渡る。

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道幅も細くなってゆく。岡崎あたりまで基本的に旧東海道の道幅は狭い。この地点はむしろ広い部類に入る。戦禍を免れた証拠ではあるのだが、それが仇となって再開発には向かなかったようだ。

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豊川市に突入。豊川市の印象は豊川稲荷と豊川放水路しか浮かんでこない。逆になぜ豊川放水路を知っているのかというと、新幹線からよく見えるからだ。この先に橋があるが歩道がなく、極力車の通行の邪魔にならないように全力で走った。

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基本的に歩道はない。現れたと思ったらすぐに消える。それを繰り返していくため、自動車には十分注意されたい。

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ああ、夕日が沈んでいく。今日は関所の開館時間に合わせて出発したていうのと、資料館等の見学に時間を費やしたので仕方ない。

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実るほど頭を垂れる稲穂かな。

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田んぼが広がってるなーと思ったらみかんの木もあった。黄色くなり始めてるね。

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御油宿の手前。道幅がかなり狭くなっている。その上交通量も多いため常に前後に気をつけながら進んだ。写真で見るとまだ明るいけども、実際は結構暗くなっていた。

宿場の中心部に到着することにはかなり暗くなっており、写真等は翌日に回すことにしてホテルのある豊橋へと戻った。名鉄乗るの人生で2回目だわ。本日の総歩行距離は40.2km。見学に時間を使ったがそれを挽回すべく結構ハイペースで進んだ。

以上

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