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11日目 見附宿~新居宿

横に長い静岡県も大半を通り過ぎた。本日は見附宿からスタートし、おそらく浜名湖を越えるあたりまでは進めそうだ。

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出発直前で雨が降っていたが、通り雨ですぐ止んだ。このまま涼しい一日であってほしいね。見附宿もところどころ案内板はあるものの、基本的には古い建物は残っていない様子。道幅は当時からこのくらいだったんだろう。

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一時間ほど歩くと天竜川に差し掛かる。天竜川は長野県の諏訪湖から流れ出て伊那谷を形成し、静岡県浜松市と磐田市の間を流れて遠州灘へと注ぐ。

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でっかい橋。片側4車線。左側に見える橋は天竜川橋で、渡っているこの橋は新天竜川橋。こちらは歩道もちゃんと整備されている。歩道に幅があると安心感が段違いだなぁと大井川を渡った時を思い出す。狭くて高さのあるところ苦手なんだよなー。

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遠くに浜松一のホテル、オークラアクトシティホテル浜松が見える。

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天竜川の水量も大井川と似ており、基本的にそこまで多いように見えないが、増水時にはかなりの勢いで水が流れるようだ。それこそ名前のとおり竜のように暴れるとかなんとか。

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増水時に流されてきたであろう流木が橋脚に引っかかっている。砂利もだいぶ流されちゃってるね。

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渡り終えると浜松市に突入。さほど気温も高くなく、ここまでは気分良く歩けている。

静岡県の県庁所在地は静岡市だが、実は浜松市のほうが人口が多い。中部地方では名古屋市に次ぐ規模である。歩いていても磐田市よりかなり住宅が多い印象を受ける。ときおり名物の鰻屋さんもある。まだ店開きには早そうだが。

正直に言うと、天竜川を越えてからは特に見どころもなく浜松宿に到着。

㉙浜松宿(静岡県浜松市中区)

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宿場の数の上では袋井宿が東海道の真ん中であったが、実距離でいうと浜松宿がちょうど真ん中にあたる。古くは今川氏の支配下にあったが、戦国時代後半になると徳川家康が浜松城を拠点として成長を遂げた。そのこともあって江戸時代を通じて譜代大名の居城となり、その城下町として発展したようだ。
現在の浜松市は先述のとおり中部地方第二の都市であり、ホンダやスズキが発祥するなど自動車工業都市だ。ヤマハやカワイといった楽器メーカーもある。第一次産業も盛んで、三ヶ日みかんやうなぎ、すっぽんなどが名物。人口が多いため当然第三次産業も発展。

こうしてみると静岡市と性質は似ているが、浜松市は文化的には名古屋寄りなので似て非なるものである。おでんの食べ方ひとつとっても違いが現れる。静岡市ではおでんにはだし粉をかけて食べるが、名古屋寄りの浜松市ではおでんには味噌だ。このような相反する都市があると、見えないところで色々揉めたりするんだろうなぁ。家康の取り合いとかしてそう。

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このあたりが宿場の中心部みたいだが面影はまっっっっったくない。これほどまでに宿場の雰囲気が失われている場所は初めてだと思う。確か戦時中に浜松は空襲以外にも艦砲射撃の対象となっていたので、徹底的に破壊されてしまったのだろうか。そして復興の過程で人口の急増もあり、文化よりもとにかく今日明日を生きることに力を注いで発展したのだろう。

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ホテルオークラ。正式には浜松アクトタワーという。高さは200mを超えており静岡県内最大のビルで、音楽の街を意識してハーモニカをモチーフにしたデザイン。1回は泊まってみたいけど浜松に泊まる用事がないんだよなぁ。

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浜松市マスコットキャラクター「出世大名家康くん」。角度が悪くてわかりにくいね。どうせなら名物のうなぎとか餃子とか食べたかったが、基本的に昼食はあまり食べないのだ。昼に食べるとなんか歩く気力が失せてしまう。その代わり朝と夜はしっかり食べますよーっと。さて後半も頑張ろう。

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浜松市はブラジル人が多いことでも知られる。そのため英語表記と並んでポルトガル語表記もなされている。こういう細かな部分で地域差を感じられるのなんかいいよね。

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道幅はこんな感じ。このあたりは江戸時代からそう変わっていないのだろう。

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舞阪宿の手前の松並木。1日に1回はこのように両側に松が聳える松並木を見ている気がする。なので一見目新しさはなかったが、ここの松並木は長さが他より長かった。後で調べたら700mほどあった。


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ただ長いだけでなく、浮世絵東海道五十三次の銅板を埋め込んだ石碑があった。日本橋から順に三条大橋までしっかりと。

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舞阪宿。さすがに他よりも立派だ。

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松並木を抜けるとほどなく舞阪宿に到達。写真は江戸方見附の石垣。

㉚舞阪宿(静岡県浜松市西区)

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舞阪宿は西に浜名湖、南に遠州灘を臨む水辺の土地。その地の利を活かして漁業・水産業が盛んである。またリゾートホテルや企業の保養施設も見られる。対岸の新居宿との間は今切の渡しと言って舟で往来していたようだ。

舞阪に関してはそれくらいしか知識がなかったが、とても面白いものがあった。

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脇本陣、茗荷屋。1838年(天保9年)に建てられ、旧東海道唯一の脇本陣の遺構として上段の間があった書院棟が残されていた。それを解体修理、同時に母屋も復元して1997年(平成9年)に復活させたらしい。ちなみに入場無料。ものすごいサービス精神だ。


江戸時代の宿泊施設のランク
本陣
大名・公家・幕府役人が利用する施設。平屋建が原則で、門・玄関・上段の間などを造ることが許されていた。

脇本陣
通常は旅籠としての扱いだが、なんらかの理由で本陣が利用できない際に本陣として利用された。大旅籠から転じたものが多いため2階部分があるものも多い。

旅籠屋
武士や一般庶民を宿泊させた一泊二食付きの宿。現在の旅館みたいなもの。

木賃宿
旅人が薪代(木賃)を払って自炊する宿。

中にガイドの方がいて親切に色々教えてくれた。東海道を旅行く人たちがいろいろな情報を持ってくるらしく、舞阪の松並木は東海道中でも優れていること、この先の二川宿が素晴らしいということなどなど、非常に有用な情報も得られた。

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駕籠。乗ってみたいね。そういえば観光地に人力車はたまにいるけど、駕籠は見たことないな。始めてみてもいいかもしれんな。

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下段から上段を。

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上段の間。

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風呂。偉い人が使う方は漆塗りで高級感がすごい。

外から見ると古い家屋のように見え、そんなに広くないように思えたが、奥行きがかなりあるため実際はかなり広かった。思わぬところで良い体験をした。

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今切の渡しの渡船場跡。ニシビガマブシ。今は渡し舟などないので歩いて新居宿へ向かう。

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東海道線とともに浜名湖を渡る。

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ピントが合っていないが浜松市を抜けて湖西市に入った。静岡県の最西端だ。

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新幹線がフルスピードで抜けていく。N700Sも随分運用に入るようになったなぁ。

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城風の謎の廃墟。珈の文字があるから喫茶店だったのか?

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そして新居宿に到着するも時刻はすでに16時。新居宿には関所があるが、見学時間は16時30分までだったので時間が足りないと感じ次回に回すことに。新居町駅から電車に乗って帰った。

本日の総歩行距離は35.6km。疲れました。

以上

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