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黒歴史的な生い立ち(幼少期〜学生時代)

こんにちは。
自己紹介のついでですが、僕の生い立ちについて少し詳しく説明していけたらと思います。


・幼少期

1999年12月、大阪府で生まれました。

他の人と比べて言葉の発達に少し遅れがあるとのことで母親が違和感を感じた後に、おそらく1歳ぐらいのときに「※広汎性発達障がい」と診断されました。

そのため、幼少期の頃は約3〜4年間、障碍を持った子どもたちが集まる保育園に通っておりました。

普段の生活でも、無くしものや忘れ物が多くちょっとしたことでも癇癪を起こし感情的になることがよくあり、親や兄弟を始め周りの人たちを困らせることがよくありました。さらに、物事へのこだわりもかなり強かったです。

ばいきんまんのぬいぐるみを気に入って持っていたのですが、どこかでなくしてしまい見つからなくなってしまいました。
その時に母親が新しいぬいぐるみを買ったのですが、前に持っていたぬいぐるみの匂いが好きだったため、新しく買っても気に入らず、母親を困らせてしまったというエピソードもあるくらいです。

好奇心もこのときから旺盛でした。知らない女子高生に話しかけたり、犬を散歩連れしている男性にもついて行くことがあり、そこでどこかに行ってしまうことも、、
それ故に迷子になり、警察沙汰になることもあり親に迷惑をかけることもありました。

これが海外に行きたいという夢を持ったきっかけかなと思うのですが、それは後ほど。

※発達障碍については、随時詳しく紹介させていただきます。

・小中学生

小学生の時はひたすらゲームをするだけの超インドア派な人間でした。ゲームをしすぎて何回も親に怒られていました。時には宿題を後回しにすることも多かったです。
友だちをつくることもありましたが、物事のこだわりが強すぎることが多かったことため、よく揉めることが多かったです。
そのため、友だち関係は長くは続かないことが多かったです。
そして、仲良くする人も限定的で支援クラスに通っている同じハンデを持った人がほとんどでした。

中学生の頃は、幼い頃から動物図鑑を読み漁るくらいの動物が好きだったため、自然科学部に入部します。ですが、このとき部員は最高学年の2人、新入生が僕一人だったため、部活動を一人で引き継ぐ自信がなかったため、文化祭終了後に退部することになり、その瞬間に廃部になることに、、
その後は、テニスに挑戦したいと思い、軟式テニス部に入部。
しかし、友だちが事前にテニス部に入部していました。そのため、テニス部の同期からは友だちが入部しているから自然科学部を退部してテニス部に入部したと思われ、どうせ真面目にやらないんだろうとみなされたため、同期からは白い目で見られ新しく入った部活でも馴染められませんでした。それにより、友だちとも喧嘩をすることも多くなりました。ここでも友だち関係を長く保つことができませんでした、、、

部活動を引退しても、テニス部の同期と同じクラスになっていたため、未だに陰口を言われることが多く、当時は運動音痴だったため、球技大会や運動会でミスをすると、陰でかなり責められてました。
また、人と仲良くしたいと思い、楽しく話しかけようとすると、調子に乗るなと言われることも多かったです。
そのため、人間関係にいつも悩みいつも癇癪を起こして椅子や机を蹴ったりすることで感情を爆発していました。人がにくいと思うことだってありました。

このときに、人間不信に陥りやすくなっていき、自分への自信を失っていました。

・高校生

ESS部だけでなく、陸上部やボランティア部と3つの部活動に挑戦しました。
ESS部では部長を、ボランティア部では大阪マラソンのボランティアに務めていきました。
(とはいえ、ESS部とボランティア部は活躍する機会は少なかったですが、、)
様々な部活動に参加したことで、新しい友だちもでき僕のやることに応援してくれる人も増えてきた気がしました。

なによりも高校1年生のときに出会った担任の恩師にはお世話になっていました。
中学生の時の辛い思い出をたくさん言葉に吐き出しても、真摯に受け入れ向きあい、やりたいことにも傾聴してくれました。このことで、自分のやりたいことに向き合うきっかけが少しでき始めました。

ボランティア部もその恩師からの紹介でした。
今でも、その恩師とは仲良くしていただいております。
出会ってくれてありがとうございます。

・大学生

高校卒業後の進路に迷いながらも恩師の勧めで大学に進学することになります。
ですが、このとき大きな不安を抱えてました。

自分は大学を卒業した後、社会人としてうまくやっていけないんじゃないか、人間関係を良好に進めることができないんじゃないか、アルバイトでミスをしまくるんじゃないかと挙げるときりが無いくらい。その不安が募りすぎたがあまり大学に進学してもいいのかと思うことだってありました。

その不安通り、アルバイトでジュース屋とコンビニの接客を経験しましたが、作業の段取りを上手くつかめず、慌てすぎてしまったがゆえにミスすることも多かったため、2つとも干されてしまいました。

普段の大学生活でも大学の同期からも何を言いたいのかわからないと言われるなどコミュニケーションに支障をきたすこともたくさんあり、益々自分はだめな存在だと思い込んでしまい、自信をなくしてしまいます。ついには大学を辞めるべきではと思うようになり、大学の勉学にもなにもかも意欲をなくしてしまうようになります。それにより、礼儀正しさや社会的な常識を疎かにしてしまうことにもつながってしまいます。

大学4年生で就職活動を行いましたが、その意欲の低下による社会的なマナーの欠如か発達障碍の特性によるものなのか年内、大学卒業までには内定をもらえず、、
そしてその翌年の6月から現在、障害者雇用として勤務することになりました。

もちろん障害者雇用のほうが働きやすいため、結果この道な間違っていないんだと思いながらも正社員としてスキルを積んだほうが良かったのではないかとたまにモヤモヤと思うこともありました。

・最後に

長々とした辛辣な黒歴史的な学生時代を綴ってしまいましたが、実は僕は人にやさしくもなれないし、すぐに自分は何もできないと思い込んでしまう超絶マイナス思考な人間です。
そのマイナス思考で、たくさんの人に迷惑をかけてしまいましたし、発達障碍というコンプレックスとも向き合い続けています。

ですが、こういう黒歴史も今となっては自分を輝かせるための材料であり、こういった黒歴史な一面もあったからこそ今自分と向き合い続けられているんだと思っています。

僕もこういった黒歴史を辿ることでかなりのマイナス思考や自分の無力さ浸り陥ることもありましたが、それも自分の最善の道を見つけるうえで必要なことだったんだと気づくことができ、今でこそ自分のやりたいこと、夢に向かって挑戦し続けていきたいという思いをもち続けています。

これまで色々な辛いことをできる限り思い出せる限り綴らせていただきましたが、今はそういった思い出も感謝しながら自分を輝かせる潤滑油として活用していきたいものです。そして、人生は日々学びだと気づかせながらも生きていることに感謝していきます。

最後まで熟読していただき誠にありがとうございました。

今日があなたにとって特別な日でありますように。

出会いに感謝いたします。

それでは、アデュオーッス!

Tawicky


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