人間讃歌は酒のようなもの

悪酔いしている人のなんと多いことか。

人間讃歌。
定義が難しい言葉ではありますが、『「人間らしさ」を肯定し賛美する諸思想』とでもしておきましょうか。

よく例示される作品としては、相田みつを氏の「にんげんだもの」を始めとした諸作品であるとか、荒木飛呂彦氏の「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズであるとか。
造詣が深いわけでもないので、あまり事例を出しすぎると失礼にあたりそうです。

上記の作品に代表されるように、エンタメとしての魅力は疑う余地もありません。
強烈な肯定に昂りを覚えるのは人間の性です。
大歓声に呑まれるのと同じ類の興奮がそこにはあります。

ただ、実際に哲学として正しいか否かは別の問題です。単に「人間讃歌」と言っても何種類・段階かに別れているので、分類しつつ自分なりの見解を綴っていきたいと思います。

1.消極的許容

「人間は人間的である、それをまず認めよう」という考えですね。
"人間的"要素の性質に対してどのような評価を下しているかは関係ありません。現時点で存在する事実を認めていれば当てはまります。

これは哲学的行程としても非常に大事な話です。
まず現状を可能な限り正しく認識すること。
過去は勿論、現在すら変更できないのが人間の限界です。今この瞬間に起こした言動の影響は未来に対してのみ及びます。
であれば過去と現在はひとまず丸々受け容れなければなりません。

時々「過去はどうでもいい、過ぎたこと」という声を耳にしますが、「現在の世界は過去の世界の解答に過ぎない」点を軽視した意見です。
言い換えるならば、変化に対して不誠実です。
この話は詳しくやると長くなるのでこの辺にしますが、何にせよ「過去と現在を認識し受容する」行為はどんな時でも未来への第一歩です。

2.積極的許容

「消極的許容」を深化させ、現存する"人間的"要素のうち負の性質を持つものについて、敢えて肯定的承認を与えようとする思想です。
「やってしまった事は仕方ない」的発想がこれにあたります。

これは完全に是々非々ですね。
世界は解決しがたい問題で溢れています。
"最終的解決"の他に根本的な改善が望めない場合、人は皆自身の真善美と生存本能との間で折衝を図る必要があります。
そして見落とされがちなことですが、結論として醜い生を選んだとしても、彼の真善美は独立して保全されます。
ただ美が彼等の手元を離れるだけです。それが許容できる事態であるかは個々人の問題でしょう。
自己存在をもって殉ずることが正しさの証明になるかと言えば、全くそうではありません。
全ての言論についてあらゆる資格は無意味なのです。

ただし一つだけ明言できるのは、「解決が望める問題は確実に解決を目指すべき」ということでしょう。目を背けなければ何も損なわれないのです。

3.積極的肯定

「積極的許容」を発生させる原因そのものを事前に肯定しておく思想です。
前述した相田みつを氏の作風の根幹にあたるのではないでしょうか。
人間と人生と自分が持つあらゆる性質を全て承認する。
一般に「自己肯定」などと言う際も、こういった類の内容が語られがちです。

これは個人的にあまり好みではありません。
あまりに受動的、あまりに無気力、あまりに盲目ではないですか?
そりゃあ世の中度し難い話ばかりです。
それでも抗う姿勢を完全に放棄するのはいただけません。
人間は間違う生き物ですが、だからといって間違いを肯定し始めたらお終いですよ。
「こんな自分を愛したい」みたいな。
自分の嫌な所くらい自分で直していけよ!と心から思います。

そもそもこういう言説が歓待されがちなのは、世間一般の人間が「自己肯定」を勘違いしているからですよ。
今の社会に溢れているのは「"条件付き"自己肯定」です。生きがいとか、プライドとか、何かしら自分を納得させる材料がないと自信が持てない、脆弱な人生観です。アホらしい。

自己存在というのは無条件に肯定されます。
自意識のみが世界の源泉だからです。
これは数学で言う所の公理です。

いわゆる「"根拠のある"自信」は、その根拠が失われれば消え去ります。
美しい容姿・冴え渡る頭脳・築いてきた社会的貢献などが自己肯定感の源の方、それらが失われたらあなたは死ぬんですか?
どうせ殆どの方は死にません。何故なら彼らは「与えられた社会的優位性」に満足しているだけだからです。
ごく一部死ぬ方もおられるでしょうが、それも享楽か恥辱に身を殉じただけの話。むしろ真の自信のなさを証明しています。
生き残った厚顔無恥な人々は、ひとしきり絶望ごっこをした後、さっぱりした顔で次の生きがいを見つけていること請け合いです。

ただまあ、ここまで扱き下ろしてもなお「好みの問題」であることは間違いないですね。
実際の現実を逆算的に肯定することは、生物としてみれば非常に効率的なので。
前述したような「愚かな自信もどき」に縋ることなく、「生きるために生きる」空虚さに満足できるというのなら、それは正しい行いの一つだと思います。

4.盲目的賛美

「人間は間違える、だからこそ素晴らしい!」
「人間は死ぬ、だからこそ美しい!」

もうね、大概にせえと。

よくCPUやAIと人間を比較する際に言われますね。それは流石に無理があるよ。

確かにミスや終わりがあった方がエンタメ的には盛り上がります。でも人生は見世物じゃないので。

「間違えるからこそ成長できる!」みたいなフォローも見当違いですね。
はなから完全なら成長する必要もありません。
魅力がない?ご冗談を。
僕は可能なら今すぐにでも不老不死全知全能になりたいですよ。もしなってみて面白くなければそれも受け容れるだけの話です。
出来ない方が良いことなど一つもありません。

締め

こんなところでしょうか。
一言で書くなら「嗜む程度にしておこう」。
巷で言われる「人間讃歌」はだいたい地に足がついていませんので、エンタメに過ぎないと自覚した上でほろ酔い程度に楽しみましょう。

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