「『批判』批判」批判
「批判するのは良くないと思います!」とか、「口だけならなんとでも言える」とか、
「◯◯のくせに偉そうに」とか、
「対案を出せ」とか、
「匿名で批判は卑怯」とか、
ちょっと他の言い回しが思い出せないですけども、まあよく聞く話ですね。
僕はこの手の言説に納得したことが全くありません。
考えなしの人々を封殺する詭弁として便利なのはわかるんですが、発言者本人すら正論と信じて疑わないようでは空恐ろしく感じます。
とても低レベルな話で申し訳ないんですが、
「発言に資格は必要ない」んですよ。
ご存知でしたか?
ネガティブな話は聞きたくないとか、発言者の人間性や立場が気に入らんとか、非建設的な内容であるとか、説得力や有効性に欠けるとか
そういった話は"批判"を受け取った後に考えるもので、発言者の口を塞いだり人間性を糾弾したり出来る便利グッズではないんですよ。
逆に聞きたいんですが、上に挙げたような発言を繰り返す方々は、一体何を根拠に誰かの発言権を奪えると考えているんでしょうか。
的外れだ、取るに足らない、そう思うなら真正面から批判を粉砕すれば良いではないですか。
やってから言え?やってからでは遅いんですよ。この世の選択は全てトレードオフ、どんな選択をしても必ず失うものがあります。批判は将来の損失を防ぐために存在しており、「何も生まない」というのは大きな勘違いです。
全てが終わった後、間に合わなかったと嘆く批判者に彼らは「何を今更、済んだことだ」と唾を吐きかけるでしょうね。
殴られたからと言って殴り返しても、付けられた傷が治るわけではありません。
傷付けられたくないのなら、相手の殴打をかわすなり受け止めるなりする他ないのです。
昨今では発言の匿名化が進み、批判を軽視する風潮はより高まりつつあります。
匿名の発言に信用なんかない?匿名なら何とでも言える?
いくらなんでも寝惚けすぎでしょう。
何の要請も見返りもないのにわざわざ発言してくれる、見方によっては実名付きの発言より信用できますよ。
もちろん誹謗中傷やデマと言った問題は存在します。でもそれは実名でも同じことですよね?
まさか名乗りさえすれば人を貶したり騙したりして良いとお思いで?
コメンテータとして活躍中の某芸能人なんかは、まさにそう勘違いしているようですが。
批判を受けるのが嫌という気持ちは多少理解できます。ですが周囲がイエスマンばかりでは脳が腐ります。
特に僕なんかは能力的な自信が欠けているので、賞賛ばかりでは不安で仕方ありません。自身の欠点に無自覚な状態が一番怖いですからね。
誹謗中傷の大半は"感想"に終始しています。
逆に言えば、"感想"に留まらない批判は受け止める価値があるものですよ。
批判的発言が広く認められ、最初に挙げた暴論が一掃されることを願っています。
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