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大天文学者が見た謎の閃光の正体は隕石衝突だった160年以上を経て実証

今から一世紀以上前の1853年4月19日、こと座流星雨がピークを迎え、世間を賑わせていました。この夜、この時代の天文学の第一人者であるウィリァム・ハーシェルは流星の観測をそっちのけで、ある「怪現象」を解明するために月へ望遠鏡を向けていました。

そして根気強い観察の結果、彼は月面の異なる場所でで比較的明るい閃光が生じるのを3回にわたって目視し、彼自身はこの体験を月表面の火山活動を垣間見たもの考えて閃光のおおよその位置を観測記録に残しました。

月面閃光はその名の通り月面で短時間の発光が観測される現象です。毎晩アマチュア・プロを含めて多くの天文家が様々な目的で月を見上げその表面を観察しています。それにも関わらず、月面閃光は稀にしか報告されません、そのほとんどは偶然に肉眼観測してる間に閃光を見たというもので、頻度の低さと発生の予測困難性のために何世紀にもわたって現象の存在自体は知られていたにもかかわらず正体は不明でした。客観的な記録が残るようになったのはのも20世紀になってからです。

月面に無数に存在するクレーター。かつてはその成因は火山活動説と衝突説がありました。これを反映して月面閃光の正体は火山活動説と衝突説が対立していました。現代では月にはほとんど火山活動がないことが分かっておりクレーターも月面閃光も衝突説が有力になってきています。ハーシェルが他でもない流星雨のピークの夜に月を観察していたのは、衝突説に基づけば、地球に多くの流星が飛び込む時期であれば月面にも衝突に伴う閃光が起きる可能性が高いとみられていたからです。

近年では自動観測技術や画像処理技術の発達によって閃光の検出・観測には大きな進展が見られます。一方で、過去に発生した閃光の「跡地」の調査というアプローチからの研究も進んでいます。

目視に基づく報告の中で有名なものが前述の1853年にハーシェルが報告したものです。この年の4月19日こと座流星雨が降り注ぐなか、ハーシェルは月の観察を続け、3回の閃光を記録しました

プエルトリコ大学の2人の研究者、William Bruckman氏とAbraham Ruiz氏はNASAの月周回探査機ルナー・リコネサンス・オービター (LRO, 2009-)が月周回軌道から撮影した写真と同探査機に搭載されていた「Diviner」という名の赤外線温度計で作成された月面の温度マップを利用しました。Bruckman氏らはハーシェルが閃光を見たという位置の付近に月面の表面温度が周囲より2℃だけ低い領域を発見しました。その中央には直径750mのクレーターとそこに対応した高温領域がありましたBruckman氏らの見立てでは表面温度の違いは岩石や砂の状態の違いによる熱の吸収や放射の効率の違いを反映したもので、面積の広い低温の領域は、月面を覆う一般的な土壌である「レゴリス」に少量の溶融岩石が降り積もったもの、クレーター付近の高温の領域はクレーター形成に伴う溶融物が多く存在して熱の放射が妨げられている部分として説明がつくといいます。

これらの特徴やクレーターのサイズはハーシェルの見た閃光の明るさに一致することや、地形が宇宙放射線等による風化の影響を受けておらずごく最近に形成された「新鮮な」ものと見られることから、この低温領域とクレーターがハーシェルの視認した月面閃光に対応する地形の有力候補とされています。

なお、当該クレーター周辺の地形や鉱物組成には火山活動の痕跡は認められず、クレーターを作った爆発の原因は隕石の衝突だったと見られます。

一方Bruckman氏らはハーシェルの閃光に加えて、1953年に物理学者のA.H. スチュア-トによって偶然写真撮影され「スチュアートの月面閃光」として知られる出来事についても残された写真をもとにこの時に形成されたとみられるクレーターをピンポイントで特定しています。このクレーターの周辺でも、降り積もった溶融物の影響とみられる高温の領域が見つかっていますが火山活動の痕跡は見られませんでした。


物的証拠に乏しく、永らく謎に包まれていた月面閃光現象は隕石の衝突である可能性が高いことを今回の研究は示しています。


画像:Bruckmln &Ruiz 2021 Figure2より引用。可視光により撮影された地表写真に温度マップを重ねたもの。赤色が高温部。

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