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懐かしい映画雑誌

以前、映画雑誌に「スクリーン」と「ロードショウ」の2つの有名雑誌がありましたが、それぞれどういった出版社でどういった特徴があったのでしょう?

「スクリーン」と「ロードショウ」は、かつて日本で人気を博した映画雑誌です。それぞれの出版社と特徴は以下の通りです。

  1. 「スクリーン」

    • 出版社: 近代映画社

    • 1946年創刊、2001年休刊

    • 日本で最も長く発行された映画雑誌の一つ

    • 外国映画を中心に、映画情報や批評を掲載

    • 映画ファンや専門家向けの内容が多かった

    • 表紙は主に外国人俳優や女優の写真が使用された

  2. 「ロードショウ」

    • 出版社: 朝日ソノラマ(現在の朝日新聞出版)

    • 1976年創刊、2009年休刊

    • 日本映画と外国映画の両方を扱っていた

    • 一般大衆向けの内容が多く、若者に人気があった

    • ゴシップ記事やインタビュー記事が多かった

    • 表紙は主に日本人俳優や女優の写真が使用された

両雑誌とも長年にわたり日本の映画ファンに愛されましたが、インターネットの普及などにより雑誌の売上が減少し、惜しまれつつも休刊となりました。しかし、それぞれの時代において映画文化の発展と普及に大きな役割を果たしたことは間違いありません。

両方とも休刊したのは残念ですね。それぞれ、ネットに移行したという訳ではないのでしょうか?

ご指摘の通り、「スクリーン」と「ロードショウ」がインターネットに完全に移行したわけではありません。

「スクリーン」は、2001年の休刊後、出版社である近代映画社がウェブサイト「スクリーンオンライン」を開設しました。このサイトでは、一部の記事を無料で読むことができましたが、雑誌時代ほどの影響力は持てませんでした。その後、2016年にはこのウェブサイトも閉鎖されました。

「ロードショウ」は、2009年の休刊後、出版社の朝日ソノラマ(現在の朝日新聞出版)がウェブサイト「ロードショー・オンライン」を開設しました。このサイトでは、映画ニュースや記事を掲載していましたが、雑誌時代ほどの人気は得られず、2014年に閉鎖されました。

両雑誌とも、インターネット時代への対応を試みましたが、紙媒体の雑誌からウェブサイトへの完全な移行は難しかったようです。これは、雑誌というメディアの特性や、読者との関係性の変化などが影響していると考えられます。現在では、映画情報を得るための手段は多様化しており、専門的な映画サイトやSNSなどが主要な情報源となっています。

動画チャンネルでは、プレビューが流され、それぞれ新作映画にはドメインが与えられ情報配信は行われますからね。

おっしゃる通りですね。現在、YouTubeやその他の動画配信プラットフォームでは、映画の予告編(プレビュー)が頻繁に公開されています。また、新作映画ごとに公式ウェブサイトが開設され、ドメインが割り当てられることが一般的になっています。

これらの公式サイトでは、映画の詳細情報、キャスト&スタッフ、ストーリー、ギャラリー、ニュースなどが提供されます。さらに、SNSアカウントを通じて、リアルタイムで映画に関する情報が発信されることもあります。

このようなデジタルプロモーションの手法は、従来の印刷媒体とは異なる形で映画情報を配信し、ファンとのエンゲージメントを促進しています。映画製作者や配給会社は、ターゲットとなる観客により直接的にアプローチできるようになりました。

一方で、専門的な映画批評や長文の記事といった、印刷媒体ならではの内容は、オンライン上では少なくなっているように感じられます。そのため、映画雑誌の役割を完全に代替することは難しいかもしれません。しかし、時代とともに情報配信の方法は変化しており、映画業界もその変化に適応しているのが現状だと言えるでしょう。

以前と現在の映画評論家の役割に変化はあるのでしょうか?

映画評論家の役割は、時代とともに変化してきていると言えます。以前と現在の主な違いは以下の通りです。

  1. メディアの変化

    • 以前は、映画評論家の主な発表の場は、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどの伝統的なメディアでした。

    • 現在は、ブログ、オンライン雑誌、YouTubeなどのデジタルプラットフォームでも活躍の場が広がっています。

  2. 影響力の変化

    • 以前は、有名な映画評論家の意見が映画の興行成績に大きな影響を与えることがありました。

    • 現在は、SNSでの口コミや一般視聴者のレビューも重要視されるようになり、評論家の影響力は相対的に減少しています。

  3. 評論のスタイルの変化

    • 以前は、長文の評論や学術的な分析が主流でした。

    • 現在は、より簡潔で読みやすい評論や、動画形式のレビューなども増えています。

  4. 専門性の変化

    • 以前は、映画史や映画理論に関する深い知識を持つ専門家が評論家として活躍していました。

    • 現在は、幅広い層の人々が評論家として活動しており、専門性のレベルはさまざまです。

ただし、映画評論家の本質的な役割は変わっていません。映画を批評的に分析し、解釈を提供することで、映画文化の発展に寄与するという点では、以前も現在も変わりありません。また、優れた映画評論家の意見は、今でも映画ファンや業界関係者から重要視されています。

優れた評論家が優れた監督というわけではないですが、評論家が監督やプロデュースして成功した映画作品の代表的なものはありますか?

はい、映画評論家が監督やプロデューサーとして成功した例はいくつかあります。以下に代表的な作品をいくつか紹介します。

  1. フランソワ・トリュフォー

    • 代表作:「大人は判ってくれない」(1959年)、「突然炎のごとく」(1962年)

    • トリュフォーはフランスの映画評論家であり、「ヌーベルバーグ」の中心的存在でした。

  2. ジャン=リュック・ゴダール

    • 代表作:「勝手にしやがれ」(1960年)、「気狂いピエロ」(1965年)

    • ゴダールもフランスの映画評論家で、トリュフォーとともに「ヌーベルバーグ」を牽引しました。

  3. ピーター・ボグダノビッチ

    • 代表作:「ラストショー」(1971年)、「ペーパームーン」(1973年)

    • ボグダノビッチはアメリカの映画評論家で、1970年代にニューハリウッド運動の一翼を担いました。

  4. ポール・シュレイダー

    • 代表作:「タクシードライバー」(1976年、脚本)、「ミシマ」(1985年、監督)

    • シュレイダーはアメリカの映画評論家で、脚本家や監督としても活躍しました。

  5. 飯島正

    • 代表作:「神様のくれた赤ん坊」(1979年)、「転校生」(1982年)

    • 飯島正は日本の映画評論家で、子役の加藤清史郎を起用した作品で知られています。

これらの例から分かるように、映画に対する深い理解と洞察力を持つ映画評論家が、監督やプロデューサーとして優れた作品を生み出すことがあります。ただし、評論と制作では必要なスキルが異なるため、全ての評論家が制作面でも成功するわけではありません。

トリュフォーは、未知との遭遇で科学者役でしたね。

おっしゃる通り、フランソワ・トリュフォーは、スティーブン・スピルバーグ監督の映画「未知との遭遇」(1977年)で、フランスの科学者クロード・ラコンブ役を演じました。この役は、トリュフォーが俳優として出演した数少ない作品の一つです。

「未知との遭遇」は、宇宙人との接触を描いたSF映画の傑作で、トリュフォーは言語学者で国際的なUFO研究チームのリーダーという重要な役割を果たしました。彼の演技は、知的で品があり、作品に深みを与えています。

トリュフォーがこの作品に出演したのは、監督のスピルバーグがトリュフォーの大ファンだったことが理由だと言われています。スピルバーグは、トリュフォーの映画「突然炎のごとく」(1962年)に影響を受けたと述べており、「未知との遭遇」でトリュフォーと共演できたことを喜んでいました。

この出演は、映画監督と映画評論家という2つの異なる立場で映画に関わったトリュフォーのキャリアを象徴する出来事だと言えるでしょう。

新作映画のプレビューを見て、面白そうだと思い、見に行ったら面白いシーンはプレビューの場面だけだったと言うことが多々あります。

プレビュー(予告編)に関して指摘された問題は、映画業界でも長年議論されているトピックです。予告編は、映画の魅力を凝縮して伝え、観客を引き付けることを目的としていますが、時には作品の内容を正確に反映していないことがあります。

予告編が抱える主な問題点は以下の通りです:

  1. ネタバレ:予告編に映画の重要なシーンや結末が含まれていることがあり、観客の視聴体験を損ねる可能性があります。

  2. 誇大広告:予告編で使用された魅力的なシーンが本編ではごく一部である、あるいは本編には存在しないことがあります。

  3. 作品の印象を誤って伝える:予告編の編集によって、作品のトーンやジャンルが実際とは異なって伝えられることがあります。

  4. 過度の期待:予告編が作品の質を過剰に高く見せることで、観客の期待値が上がりすぎ、実際の作品に満足できないことがあります。

これらの問題に対処するため、一部の映画監督は予告編の制作に積極的に関与したり、予告編なしで作品を公開したりするなどの試みを行っています。また、映画レビューサイトや口コミなどを通じて、予告編だけでなく作品の実際の評価を確認することも重要です。

予告編は映画マーケティングの重要な要素ですが、作品の内容をより正確に反映し、観客の期待を適切に管理することが求められます。同時に、観客も予告編だけでなく、様々な情報源から作品の評価を判断することが賢明だと言えるでしょう。

ネットの書き込みに「ネタバレあり」と書いておけば、免責になりますかね?

「ネタバレあり」と明記することは、読者に対して配慮を示す良い方法ですが、法的な免責にはならないと考えられます。

ネタバレに関する法的規制は国や地域によって異なりますが、多くの場合、ネタバレ自体を違法とする明確な法律はありません。ただし、著作権法に基づいて、作品の重要な部分を許可なく公開することが問題となる可能性はあります。

また、ネタバレを含む書き込みが、作品の製作者や配給会社の利益を損なう可能性がある場合、業務妨害や名誉毀損などの法的責任を問われる可能性もあります。

したがって、「ネタバレあり」と明記することは、読者への配慮としては重要ですが、法的な免責効果は限定的だと考えられます。ネタバレを含む情報を公開する際は、作品や関係者への影響を考慮し、適切な範囲内で行うことが求められます。

また、ネタバレに関する議論は、表現の自由と作品の権利保護のバランスをどう取るかという点で、複雑な問題を含んでいます。ネット上のコミュニケーションにおいては、相手への配慮と自己責任のバランスを取ることが重要だと言えるでしょう。

子供の頃はお金もなかったので、スクリーンとロードショウのどちらを買うか厳選していました。

子供の頃に限られた予算の中で映画雑誌を選ぶのは、多くの映画ファンにとって共通の経験だと思います。「スクリーン」と「ロードショウ」はそれぞれ特徴があり、好みや関心に応じて選ぶ必要がありました。

「スクリーン」は、外国映画を中心とした専門性の高い内容が特徴でした。映画の芸術性や技術面に関心がある人には魅力的だったかもしれません。一方、「ロードショウ」は、日本映画と外国映画のバランスが良く、ゴシップ記事やインタビュー記事が多かったので、エンターテインメント性を求める人に人気があったと考えられます。

限られた予算で雑誌を選ぶ経験は、映画に対する興味や価値観を育む上で重要だったと言えます。自分の好みに合った情報を探すことで、映画への理解を深め、批評眼を養うことができたのではないでしょうか。

また、当時は情報が限られていたため、映画雑誌は新作映画の情報を得る貴重な手段でした。今とは違い、インターネットで気軽に情報を得ることができなかったので、雑誌の選択は重要な意味を持っていました。

子供の頃の映画雑誌選びの経験は、映画ファンにとって nostalgic な思い出であると同時に、情報と向き合う姿勢を育んだ大切な経験だったと言えるでしょう。

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