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イタリア生まれの最強幸せメソッド!~不幸なあなたもこれで幸せに~


 今年は私にとって、セルフコントロール(自分の感情や行動を自分で制すること)がいかに大切かということを痛感した年であった。自制することが大事だということには大抵の人も同意してくれると思う。我々は、自らの感情に振り回され、苦しむ生き物だ。しかし、できるなら苦しみセットの人生ではなく、ハッピーセットな人生を送りたい。この願いを叶えるツールとして、今回はストア派哲学者であるエピクテトスの思想を語る。これであなたも幸せになれますよ!残念ながら期待してらっしゃるものとは違うと思いますが。
 というわけで手始めに、幸せになりたいあなたがエピクテトスを参照した方がいい理由から説明しよう。

よみがえる心理 VS. よみがえる真理

 過度に不安や不幸にさいなまれる人というのは、精神的、あるいは物理的に引きこもりがちだ。だが、「どうして私はこんなにも不幸なんだろう」と繰り返し思い込んで1人で心を閉ざすことは、性急な判断である。なぜなら人類は、マイナス感情をなんとかしようと、少なくとも古代ギリシャの時代から一生懸命に理屈をこねていたからだ。
 仕事や片想いが辛いとか苦しいとか、親子、兄弟、友達や夫婦の人間関係がしんどいとか、自分は不幸だとか運が悪いとか、能力が人より劣っているとか器量が悪いとか云々かんぬんという現代人の悩みの基本的なものは、あなただけのものではない。むしろ、個人的なお悩みの典型パターンはほぼ既出である。人間は歴史上の過ちと同じく個人の感情のレベルでも、似たような失敗を繰り返し続けているのだ。しんどい気持ちを1人で抱え込むそこのあなた!まずは人類の知の遺産を頼ってみてはいかが?
 ところで、現在相当な数の人が苦しんでいるらしい抑うつ状態への対処法として、最近の心理学・精神医学の分野で研究が進められているのが、認知行動療法(CBT)である。

 CBT(Cognitive Behavior Therapy)とは、非専門家で非心理学部卒の私が簡単に一言でいうと、うつ病の人やうつっぽい人がマイナス思考しかできなくなってしまっているのを「行動」を変えることでいい感じにしよう!という心理療法だ。
 もちろんCBTの歴史は大して長くない。それでは、負の感情の悪影響に先人たちはどう対処していたのか。哲学をしていたのである。なんと、約2000年前のヨーロッパの哲学と現代社会の心理療法は意外にもリンクしているのだ。
 2021年に翻訳された『認知行動療法の哲学 ストア派と哲学的治療の系譜』(原著 Donald Robertson, 2020,『The Philosophy of CBT Stoic Philosophy as Rational and Cognitive Psychotherapy Second Edition』)では、以下のような指摘をしている。

現代のCBTの起源は、二〇世紀初頭の合理的志向をもった心理療法家を介して、ソクラテス派哲学の古代の治療実践、特にギリシャとローマのストア主義にまで遡ることができる。

(東畑開人・藤井翔太監訳,2021)
「全体の要約」の項目より一部抜粋。

 CBTは、科学的なエビデンスを必要とする、心理学や精神医学という比較的歴史の浅い分野で扱われている精神療法(心理療法)だ。しかし、この療法は大昔に哲学者が担っていた仕事の一部と類似している。

 エピクテトス先生をはじめとしたストア派哲学者の哲学で語られたことやその方法は、現代社会のCBTという違う畑で受け継がれた。この事実は、児玉聡のミルを引用したポストから孫引きした言葉によって重みがますだろう。つまり、個人の精神のヘルシーなあり方のコツとしては、ストア派の金言は何度も振り返られてきたので、真理を突いているといえるのではないか、ということだ。 
 古代ローマの後期ストア派を代表する哲学者、エピクテトスの『人生談義』上下巻(國方英二訳,2020・2021)を読んだ今の私は、ゼウスに誓って(断言して)、ドラゴン桜の阿部寛の勢いで、こう言いたい。

「落ち込んでるやつと悩んでるやつこそ、(ストア派)哲学をやれ!」

 以上の理由とパッションのため、ここからは後期ストア派の代表格である、エピクテトスの思想を紹介する。

エピクテトスの言ってること

エピクテトス哲学の核心部分

山本 「エピクテトス哲学の核心、そこをいじってしまってはもはやエピクテトス先生の哲学ではなくなってしまうようなポイントはなにか。」

吉川 「ここまで読んでくれた人には明らかかもしれない。」

山本 「うん。まずは、われわれの権内にあるものと権外にあるものの区別。」

吉川 「そして、われわれの権内にある唯一の能力としての、理性の使用。」

山本 「その心は、論理的に思考し (論理学)、正しく自然を認識したうえで(自然学)、よく生きる(倫理学)こと。」

吉川 「なんと、三行でまとめられるね。今北産業な人でも大丈夫。」

(山本貴光・吉川浩満,2020:190)
山本と吉川の対談形式の書籍であるが、
発言をわかりやすくするために、引用したうえで、カッコで発言の区切りを補っている。

 権内とは、自分のコントロールできるもののことだ。理性の正しい使用をするためには、自身のあらゆる物事(それ自体は良くも悪くもない)の受け取り方をコントロールしなければならない。例えば、他人のことはもちろん自分のことであっても、富や健康、病気や死などの事柄は、自分でコントロールできるものではない。すなわち、権外(意志外)のできごとである。これらの自分ではどうしようもない事柄に振り回されるのはナンセンスだ。そう考えて常に心の持ちようを正し、権内でよい態度を取り続ける努力をしましょう。よい態度とは、自然にしたがい、気高く、自由で、(権外のことに)妨げられも邪魔されもせず、誠意と、慎みをもつということです。
こうすれば誰でも、どんな状況でもどんな境遇でも幸せになれます!

 非専門家の私の勝手な解釈では、エピクテトスはおおむね、このようなことを言っている。

 主な注意点を補足すると、エピクテトスは権外のことから自分を遮断するのを進めているのではない。それらのことに対してどういう態度をとるかが大切だと言っている。「人生で起きる悲しい出来事を押し殺せ」、とも言っていない。泣きたいときは泣けばよいのだ。「涙を抑えることがストイックな生き方ではない」(國方 2019:177)。むしろ、繰り返しになるが、そのような出来事に出会った場合に、私たちがどのような態度をとるのかが重要なのである。嘆くべき時には嘆いたらいいが、心底から嘆いてはいけない(幸せな場合も然り)、ということだ。
 したがって、究極的には無理に生きることを強制しない場合が発生する。国や友人のための自己犠牲や、治癒不可能な病人の自ら行う安楽死、自分の尊厳を守るための自死を認めている(國方 2019:184)のは、これらのような自らが死んだほうがいい流れに抵抗して生きても、その「人間の尊厳や人格が失われ」(國方 2021:486)てしまうためなのだ。
 ここから明らかなように、エピクテトスの哲学は「やせ我慢の哲学」ではない。求めているのは諦めからくる忍耐でなく、どんな出来事にも権内/権外の区別を正しく行なえる、意志の強さだ。
 ちなみに、彼自身は生涯にわたって妻帯することはなかったが、ストア派の立場を守っており、結婚は勧めている(國方 2019:160)。

「勉強だ勉強、勉強しろ勉強オレ」

 もちろん、「権内/権外の境界線は、時代や場所に応じてある程度は動くものと考えたほうがいい」(山本・吉川 2020:194)。当然のことだが、古代ローマと今は状況が異なっている部分も多々ある。

吉川 「そう考えると、まずはいまの自分がそなえている知や技術の現状を棚卸しして、不足がないかを点検するところから始めるのがよさそうだね。」

山本 「言い換えればそれは、いまの自分の権内の範囲を確認することでもある。」

吉川 「汝自身(権内)を知れ。そして拡張せよ。」

山本 「ただし、世界(権外)を知らねば自分のことも分からず、拡張もおぼつかない」

(山本貴光・吉川浩満:210-211)
カッコは筆者が後から補ったもの

 イヤなことも辛いことも、日々権内か権外か仕分ける。平静を保つ。
 意志の強さを得るには、今の自分の権内がどこまでであるのか理解する必要がある。そのためには勉強する努力も肝心だ。
 それと同時に、ストイックな心持ちがあれば、「挑戦しても敗北が目に見えているような事柄でも、自分が相応の努力をするならば、結果いかんに関わりなく、私たちはそのことによって心の満足を得ることができるだろう」(國方 2019:170)ということも理解しておかねばなるまい。

自己啓発本の極北としての『人生談義』

 ここまで読んで「俺もストイックに生きたいぞ!」、と意気込んだ人に、先生の思想のエッセンスを一つ、勝手な私の解釈付きで紹介する。

人びとを不安にするのは、事柄ではなく、事柄についての思いである。例えば、死はなんら恐るべきものではなく――そうでなければ、ソクラテスにも恐ろしいと思われたであろう――、むしろ死は恐ろしいものだという死についての思い、これが恐ろしいものなのだ。だから、われわれが妨げられたり、不安にさせられたり、苦痛をあたえられたりする場合は、けっして他人を責めるのではなく、自分自身を、つまり自分の思いを責めるようにしよう。 自分がうまくいっていないことで他人を非難するのは、教育を受けていない人がすることである。むしろ、教育を受け始めた人なら自分を非難するし、教育を受けてしまった人なら他人も自分も非難しないであろう。

國方英二訳 エピクテトス 『要録』5

妨げられたり、不安にさせられたり、苦痛をあたえられたりする場合の
エピクテトスレベル別反応集

レベル1 自分に起こったイヤなことを他人のせいにする。
レベル2 イヤなことがあったと思う自分の方が悪いと思う。
レベルMAX イヤなこと=権外のことすべてにあらかじめ絶望したうえで、感情は動かされても、他人も自分も非難せず、しかし、決して自分を見失わない。

 目指せ、レベルMAX!そのためにも、常日頃から自分の心像とバトルをして経験値を積もう!幸福への道のりは険しい。

結び

 急激に環境を変化させてきた現代社会に生きるホモ・サピエンスは、生まれ持った大昔からの、生物学的に規定された精神の傾向性をベースとして抱えている。それにも関わらず、個人は置かれた世界に合わせて自身のOSのアップデートを一所懸命していかなければならない。結果として、頑張っているがゆえに、感情に様々なレベルで無理が生じてなんらかのエラーが起きることもある。
 この前提を飲み込めば、「運命の必然」たる死が訪れるまでは粛々と、自省をしながらストイックに生きていくのが吉だ、という意見に賛成してくれる人はけっして少なくないだろう。
 私が小津の『東京物語』の平山周吉さんと紀子さんに感じる美などはまさに、ストイックであろうとする人間の美である。
 人生は山あり谷ありだが、そのピークやボトムにおいては、大事なことが忘却されがちだ。流れにまかせて幸福に浸るのも絶望に浸るのもいいが、その落差を減らしたいならば、エピクテトス先生をあなたの頭の片隅に住まわせるのは悪くないだろう。まぁ、若者としては平らな山のようなほどほどの幸福よりも、エベレストのように尖った最高の幸せが欲しいところであるが。

関連文献・引用楽曲

『認知行動療法の哲学』のストア派セラピーのやり方のPDF(公式)

https://www.kongoshuppan.co.jp/files/1906.pdf

ジョセフ・ヒースの先延ばしに関する論文をまとめたブログ


参考文献

國方英二,2019,『ギリシア・ローマ ストア派の哲人たちーーセネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス』中央公論新社.
國方英二訳,2020・2021,『人生談義 [上] [下]』岩波書店.
研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター,「認知行動療法とは」
https://cbt.ncnp.go.jp/contents/about.php,12月29日アクセス)
東畑開人・藤井翔太監訳,2021,『認知行動療法の哲学 ストア派と哲学的治療の系譜』金剛出版.
山本貴光・吉川浩満,2020,『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。 古代ローマの大賢人の教え』筑摩書房.