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なぜ私は留学することにしたのか

忙しい人の為の結論

 「Heart Of Gold」を探しに行くため

じじい全開で恥ずかしい限りであります。

(注 以下の文章ではある程度構成を考えて省いたり、敢えて語っていないことが多く存在するが、そのことは必ず念頭において読んでもらいたい。ある程度の長さの人生を現代の都市社会で過ごせば、人は重層的かつ複雑に様々な要素が絡まって構成されざるを得ないし、それをすべて正確にうまく語ることが不可能なことは、自己紹介が得てして自身の断片しか述べられないものであることからも分かってもらえるだろう。)

1 (爺の長い話につきあってくれる人のための)はじめに

 おそらく私は突き詰めれば形而上学的なものを常に追い求めているのだと思う。きっと「Heart Of Gold」の答えの中身は変遷するし、うねること間違いなしであるが、探求することを辞めると死んでしまう気が、少なくとも今は、している。今回の旅は、その探求の一環であると言える。

 留学は、中止にさせられたり、これから渡航までの一か月半ですべてが無に帰す可能性をいまだ捨てられない。しかし、それでもなお、渡航して、後述する「満足の行く結果」が得られるという前提でこの記事は書き切る。

2.0 <海外>に恵まれなかった、恵まれた私

 そもそも、なぜ私は留学などしたいと思ったのだろうか。ここでは主要と思われる様々な影響を挙げてみる。

2.1 家庭からの影響

 私の親、特に父親は典型的な欧米(白人)は優れていると思っている日本人で、その影響で欧米のものはいいものだと漠然と幼少期には思っていた。音楽も、親父はサザン、おかんは宇多田ヒカルが好きで、今思えばいずれも英語詞を巧みに歌詞の中に織り交ぜているミュージシャンだ。英語圏への留学は、平時であれば応援してくれるような両親である。

2.2 学校生活からの影響

 社会科が好きだった私は、教科書の資料集を授業中に一生読んでいた程度には世界に強い関心があったが、それを同級生と話す経験はなかった。高校進学までの私の周辺の友人は、全くと言っていいほど海外には興味がなかったといっていいだろう。あるとしても、親から刷り込まれた嫌韓意識ぐらいである。社会の先生やALTのイングランド人(敢えてイギリス人とは書かないでおこう)とはそういった類の話を少しだけしていた記憶があるが、それでは満たされなかった。(中学生時代の、海外への興味関心が湧いた主要な要因の一つである音楽について文章を書く気になったら、細かい話はそこでする。この記事では省略しておく。)

 なので、高校では海外に視野を広げてくれるような教育を他の公立高校よりはしてくれる学校に行ったつもりであったが、例えば外国語学部などの進路を選ぶような同級生と特別仲良くなるといったことは残念ながらなかった。

 学校には自費負担ほぼゼロの海外派遣制度があったのだが、それに選ばれるにはそれなりの競争が当然ある。部活と受験勉強、そして派遣生徒の選考のための企画発表準備という三足のわらじの生活に限界が来ていた私は、一年時こそ台湾への派遣に選ばれたが、NYやイタリア行は(国の予算削減で多額の出費を強いられるものに変容していたものの)選ばれし者には学校が道を用意していたにも関わらず、競争に敗れ、欧米行の夢は潰えてしまうことになった。

 転機は大学である。当初、SGUに採択されかつ国際学部を要する進学先には、高校時代SGHに騙されていた(詳細は省く)ので、多少不信感があった。しかし、蓋を開けてみるとそれなりに、様々な理由で外国への興味がある人(まあ主に大学教員のことなんですけど)や、国際的な出自を有する人、留学生と出会うことができた。一年時には学校開催の情報収集イベント参加や自主勉強などをして学校主催の留学の準備を進めていたが、その年度の終わりごろに憎きあのウイルスが流行して世界を一変させ、一旦海外への夢は全て消え去り、「悲しみの果て」(エレファントカシマシ)を熱唱することになる。

3.0 何と私は戦っているのか

 2020年から今現在まで、一体私は<海外>へ行くために何と戦っているのだろうか。これも、なぜ(今)留学をするのかの説明をするには外せない。それは大きく分けて4つある。

3.1 学校との戦い

 2020年は思わぬハシゴ外しをくらい、暗澹たる気持ちで過ごしていたが、学校は助け舟を私の求めている形で出してくれることはなかった。繰り返される「今後の状況の改善次第で~」という言葉には不信感を抱いてしまったし、かといって勝手に日本を出て行こうというものに補助金を出すなどという気はさらさらないようであった。なんなら「休学費用をせしめて儲けてやるぜ」ぐらいの商魂を感じた。(それほど高い、本来必要なかった出費が休学にはかかる)

 「留学がポシャって一年経ったなあ」と思ったある日、暗い気持ちがやっと怒りに転じ、完全私費留学の道を探り始めた。この人たちが手を差し伸べてくれるのを待っていていたら、大学生活が終わってしまうと感じたのだ。

3.2 国との戦い

 文科省はすぐに予算を削る。とても頭がいい(はずの)人たちがたくさん集まった組織で決定されたことであっても、また、コロナ禍のような非常事態でなくても、税金を使った計画がきちんと、少なくとも計画年数分は想定通り実行できるように運営することは無い場合があると、高校時代に既に知ってしまっていた。(教育なんて、長期的スパンでみて必要と思われたことに安定した予算を確実に投入するのが必要不可欠の分野であるはずなのに、おかしな話であるが)

 緊急事態宣言下に家で無慈悲に過ぎゆく大学生活を、パンデミックが終わったときに補填してくれることも期待できなかったし、どうせ文句を言っても「大学教育とか贅沢なことだから」とか「留学しなかったのは自己責任です」と言われることも目に見えていた。そもそもこの国では高等教育の優先順位は下の下なのである。

 加えて、不出来な人間の私が、バカ真面目に「今は留学が歓迎されるタイミングじゃないから~」と日本に閉じこもって就活をし、無事就職できて大学生活を終えたとしよう。その時、留学に行った、または行こうとしているような人を目にして、<働く「行かなかった」社会人の俺>は嫉妬を感じずにいられるだろうか、いや、いられないだろう。醜い感情が湧かない素敵な大人になれるよう努力をするより、自分の執念を早く成仏させることの方がてっとり早く「良い人」になれると思えた。

3.3 俺の人生

 パンデミックの収束という淡い期待を抱いていても、時間は止まらない。私は老いていくし、円は安くなっていく。少子化は進むし、ジェンダーギャップは解消されないし、かつての技術大国はアナログ大国になって、時代遅れ小国へと移行しつつある。移民や技能実習生にひどい扱いをしてもほとんどの国民は気にしないし、日本に来ようという留学生はコロナ禍で、厳しい入国制限を課されている現状がある。入国管理局にいたっては人権思想のある人間はいないように思われる。教育にもロクにお金をかけない割に、欧米人にほめられることは喜び、政治家は質の低いナショナリズムに縋りつこうとする。そんな場所から一度距離を置いてみたかった。

 あまりに悲観的過ぎると思われるだろうか。しかし、人口の減りゆく中で、外から人に来てもらうのは嫌、それでも来る人からは搾取する、でも国民にはしないから期間が終われば帰れと言う。すでに必要不可欠である女性の社会的地位向上に関する施策は腰がいまだに重い、という現実がある。これで、ますます進む超高齢化社会を支えられるのだろうか。

 そのようなことを考えながら生きている(異常者な)ので、国を脱出するための選択肢を持っておきたいと自然に思うようになった。相対化する目線を主観的経験として持っていない私のこの意見が、海外での生活を経て見えていなかった日本の良さを発見し、いかに変わるかも楽しみである。

4 これからの展望

 今後さらに厳しくなることが明らかである社会で、これといった資格を持たない自分はどうやって生きていこうか。私は残念ながら、新自由主義の社会には適していない。終身雇用神話が崩壊せず、アナログな社会で真面目に日々仕事をこなせば老後は安心で経済は右肩上がりなのなら、「これからの時代に自分は天寿を全うするまで生きのびていけるだろうか」という焦りは生まれなかっただろう。大学まで行かせてもらったことや、持ち合わせの自身の能力、肩書に「これで十分だ」と感謝し、社会のレールに沿うことに疑問を抱かなかったかもしれない。しかし、幸か不幸か、恵まれた教育機会が私に現状を詳細に伝え、道を外れることを勧めたのである。

 自分の好きじゃないことはそこに関心をもてる社会的背景が見つけられなければ興味を持てない、マルチタスクできない、数学できない、プログラミングできない、頭でっかちの、自分のできることとやりたい理想のことが途方もなくかけ離れた哀れな青年(趣味はじじい)は、何か一つ、自身の関心が向いており究めたい動機がある、かつ社会で潰しのきく、「人生のコスパ」がいいことをやる必要に駆られてしまった。

 そこで、留学の目標、すなわち「満足のいく結果」として、

①マイノリティとしての自身や周囲の外国人の扱われ方を感じ取る。

②クラシックロック、ハードコアパンク好きの友人を作る 

③国際的に有効な英語の試験で、使い物になる点数を取れるまでの道のりを  想像できるようになる 

④日本を相対化する視点を自身の主観的経験として持つ

といったものを掲げていくことにする。

5 終わりに

 「英語圏に行っただけ」で世界が(浅い意味で)変わるとか、英語がペラペラになるとか、モテて彼女ができるとか(私のこれまで出会った人間の中でなぜか、留学しに行ったはずなのに日本人の彼女を作ってニコニコ帰ってきたものが二名いる)、そんなスピードラーニング的な期待はしていない。しかし、自身の専攻である社会学の知識をもとに、面白いことならあらゆる点についてフィールドノートを取るつもりでいるし、国際的なコネクションを得んと努力するつもりである。

 ここでは、人生の一大イベントの過程を書きなぐってシェアしていきたい。母親以外は物を分け合う文化を持たない野蛮な家庭で育った、自己中心的な私にできる、世界をよりよくするための行動で思いついたのはこんなことであった。

 最後まで長い戯言を読んでくれた利他心溢れる器の大きい人々へ、大きな感謝と敬意を。こんなヤバいやつが勝手に必死に藻掻いている、ということを知ってもらえたのなら幸いである。

6 この文章ででてくる怒りの対象や焦りの根源(の一部)

文部科学省,2009,「平成21年度文部科学白書_05」

https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab200901/1295628_005.pdf

悪質な技能実習生斡旋業者もそうだが、入管の酷さにも信じられないものがある。上の動画はその実態をほんの一部だが伝えている。閲覧注意だが、心に留めておくといいと思う。

黒田兼一,2019,「日本の人事労務管理の変容ー競争民主主義的労働者支配から自己責任とフレキシブル化の労働者支配へー」『経営学論集第 89 集』47-59ページ  

https://www.jstage.jst.go.jp/article/abjaba/89/0/89_47/_pdf/-char/ja