論語から学んだことはこちらの記事でまとめています。
今回も論語に続き、癖のない訳文で、豊富な注釈で分かりやすい野中根太郎さんの全訳シリーズから『菜根譚』を基に学びをシェアしていきたい。
他人への忠告はよく考えてする
人が思い出したくない過去の失敗や悪事をいつまでも覚えておかない
ネズミと悪人には逃げ道を用意しておく
他人の過ちには寛大であれ。他人の苦しみには手を差しのべよ
他人の責任追及と自己反省
誰かに忠告をする、注意をするというのは難しい。
菜根譚には人に優しく、自分に厳しくという教えがたくさん出てくる。
デール・カーネギーの名著『人を動かす』には、人との争いを避ける術が書かれている。
・聞き手にまわる
・議論を避ける
・(相手の)誤りを指摘しない
・(自らの)誤りを認める
・遠回しに注意を与える
・自分の過ちを話す
・顔をつぶさない
人によって自分を見失うことがあってはならない
今でこそコンプライアンスやパワハラというのは当たり前の考えだが、はるか昔に書かれていたことがスゴイ。特に『菜根譚』には現代に通ずると感じるところが多く、『論語』以上に驚かされることが多い。
もちろん『菜根譚』の方が後発であり、儒教・道教・仏教のおいしいところをうまく取り入れているとも言えるが。
他人から感謝の見返りを求めない
返報性の法則という言葉を知らなくても、人から施しを受けたら返さなければいけない気持ちになるのは世界共通。マーケティングや行動経済学の基本原則の一つだ。
見返りを求めて相手から反応がない場合、嫌な思いにとらわれる。僕は人に物を借りたり、貸したりすることが苦手だ。
借りるくらいなら自分で同じ物を買うし、自分のお気に入りの物を貸して戻って来なかった場合、催促するのも気が引けるので、あげた方がマシだと思う。見返りは求めない、代わりに自分がしたくてそうしたのだと考えた方が気が楽だ。
良かれと思ってした行為についてはこうある。
善行を人に知られたいと思うのは良くない
アドラーは承認欲求を否定する。それは学校や親に代表される賞罰教育の影響であり、上下関係というタテの関係を人に求めることが承認欲求を作り出す。
誰かが見ているところだけゴミを拾うという意識を育ててしまう。あるいは誰かがゴミを捨てていることに怒りを覚えてしまう。誤解していることもある。気の持ちようで解釈は変わる。相手は相手の理屈で自分を見ており、逆も然り。
恩と仇は水に流すのが最善である
子どもの頃、ちょっとしたこづき合いが止まらなくなった経験は無いだろうか。握りしめた拳をおさめるのは難しい。しかし、止めなければ止まらない。人間には自分の考えを伝える言葉があり、心がある。怒りは見返りを伴う。
他人から感謝の見返りを求めない
人から受けた恩は忘れてはならない
見返りを求めるなとは言うものの、物事の順番は大事だという教えもある。
他人に恩恵を施したり威厳を示す際の秘訣
小さいことに手を抜かず、失意のときも決して投げやりにならない
自分のことを一番見ているのは自分。自分の評価は他人が決めるが、たとえどう評価されても自分に恥ずかしくなければいい。
自分が正しいと考える意見は持ち続ける
SNSなら匿名でも意見ができる時代。付和雷同。自分の頭で考えて発言に責任を持つことは難しい。
すっかり人との距離を取るのが当たり前になってきた。だからこそ、人を信頼したくもなる。そんな時の戒めがこちら。
うかつに人をほめたり、悪口を言ったりしない
『白い巨塔』のドラマの中で、財前に愛人が言う。
「誰からも好かれる人はいない。だって、そういう人間を嫌う人がいるから」
人が三人集まれば諍いの目が生じる。世界が二人っきりなら離れても人恋しくてまた近づくだろう。しかし、実際はたくさんの人と出会う。そんな時どうすればいいか。
いろいろな人と付き合える度量が必要
極めて心の冷たい人の特徴
人の評判はあてにならない。必ず自分で確かめること
友人はよく選んで付き合う
最後まで読んで頂いてありがとうございました。気づきがあればぜひ読んでみてください。