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菜根譚で学ぶ「人への接し方」

論語から学んだことはこちらの記事でまとめています。

今回も論語に続き、癖のない訳文で、豊富な注釈で分かりやすい野中根太郎さんの全訳シリーズから『菜根譚』を基に学びをシェアしていきたい。

他人への忠告はよく考えてする


人の悪を責めるときは、厳しすぎないようにし、相手が受け入れられる程度を考えてするべきである。

また、人を教えて善い行いをさせるにも、あまり高すぎる目標を与えないで、相手が実行できる範囲にすべきである。

前集・二十三条

人が思い出したくない過去の失敗や悪事をいつまでも覚えておかない


人の小さな過失をいちいち責めない。

人の隠したいことを無理に暴かない。
人が思い出したくない過去の失敗や悪事をいつまでも覚えておかない。

この三つを心がけると、徳を修め人格を高めることになり、人からうらまれて害に巻き込まれることもなくなる。

前集・百五条

ネズミと悪人には逃げ道を用意しておく


悪人を除き、へつらい者をいなくするには、彼らが出ていくための一つの逃げ道を用意しておく必要がある。

もし逃げ道を一つもつくらずにいると、それはネズミの穴をふさいでしまうようなものだ。

一切の逃げ道がないと、大事なものまでかみ破られてしまうことになる。

前集・百四十条

他人の過ちには寛大であれ。他人の苦しみには手を差しのべよ


人の過ちには寛大であるべきだ。しかし、自分の過ちには厳しくなくてはならない。

自分の苦しみはじっと耐えなければならない。しかし、人の苦しみには手を差しのべるべきだ。

前集・百六十五条

他人の責任追及と自己反省


人の責任を追及するときには、過失とともに、同時に過失のない部分、評価すべき部分を指摘しつつやるべきである。そうすれば相手も不平を抱かず、よく納得する。

自分を反省するときは、過失がないと思えるなかにも、過失を見出すことに努め、よく自分を省みるようにしたい。そうであれば人間的によく成長できていく。

前集・二百十八条

誰かに忠告をする、注意をするというのは難しい。
菜根譚には人に優しく、自分に厳しくという教えがたくさん出てくる。

デール・カーネギーの名著『人を動かす』には、人との争いを避ける術が書かれている。

・聞き手にまわる
・議論を避ける
・(相手の)誤りを指摘しない
・(自らの)誤りを認める
・遠回しに注意を与える
・自分の過ちを話す
・顔をつぶさない

人によって自分を見失うことがあってはならない


つまらない人(小人)に対して、厳しい態度で接するのは易しい。しかし、その人のことをすべて否定しないようにするのは難しい(行為を非難しても人格まで憎まないようにしたい)

偉い人や立派な人(君子)に対して、へりくだって接するのは易しい。しかし、卑屈になってしまわずにふるまうのは難しい(過不足のない礼は失わないでいたい)

前集・三十六条

今でこそコンプライアンスやパワハラというのは当たり前の考えだが、はるか昔に書かれていたことがスゴイ。特に『菜根譚』には現代に通ずると感じるところが多く、『論語』以上に驚かされることが多い。

もちろん『菜根譚』の方が後発であり、儒教・道教・仏教のおいしいところをうまく取り入れているとも言えるが。

他人から感謝の見返りを求めない


人生をうまく生きていくためには、必ずしも功名(名声や地位など)を求めていく必要はない。大過なく日常を無事に過ごしていくことができれば、それが功名なのである。

また、人と交わり人に恩恵を与えたとしても、そのことについて感謝の見返りを求めるものではない。怨まれなければ、それが見返り(徳)である。

前集・二十八条

返報性の法則という言葉を知らなくても、人から施しを受けたら返さなければいけない気持ちになるのは世界共通。マーケティングや行動経済学の基本原則の一つだ。

見返りを求めて相手から反応がない場合、嫌な思いにとらわれる。僕は人に物を借りたり、貸したりすることが苦手だ。

借りるくらいなら自分で同じ物を買うし、自分のお気に入りの物を貸して戻って来なかった場合、催促するのも気が引けるので、あげた方がマシだと思う。見返りは求めない、代わりに自分がしたくてそうしたのだと考えた方が気が楽だ。

良かれと思ってした行為についてはこうある。

善行を人に知られたいと思うのは良くない


悪事をなしても、それを人に知られることを恐れるならまだ救いがあり、そこに善に向かう心がある。

善行をなしても、それを早く人に知られたく思うのは、それはすでに偽善というものであり、そこに悪に向かう芽が宿っている。

前集・六十七条


アドラーは承認欲求を否定する。それは学校や親に代表される賞罰教育の影響であり、上下関係というタテの関係を人に求めることが承認欲求を作り出す。

誰かが見ているところだけゴミを拾うという意識を育ててしまう。あるいは誰かがゴミを捨てていることに怒りを覚えてしまう。誤解していることもある。気の持ちようで解釈は変わる。相手は相手の理屈で自分を見ており、逆も然り。

恩と仇は水に流すのが最善である


うらみは、一方に徳を施すことによって現れやすい。だから、人に徳を施したら、感謝など期待せずに、徳もうらみも両方忘れてもらったほうが良い。

また、仇は、一方に恩恵を施すことによって生じやすい。だから、人に恩恵を感じさせようとするよりは、恩恵も仇も両方なくなってしまうようにするのが良い。

前集・百八条


実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みを捨ててこそやむ。これは永遠の真理である。

第一章・五条

子どもの頃、ちょっとしたこづき合いが止まらなくなった経験は無いだろうか。握りしめた拳をおさめるのは難しい。しかし、止めなければ止まらない。人間には自分の考えを伝える言葉があり、心がある。怒りは見返りを伴う。

他人から感謝の見返りを求めない


人生をうまく生きていくためには、必ずしも功名(名声や地位など)を求めていく必要はない。大過なく日常を無事に過ごしていくことができれば、それが功名なのである。

また、人と交わり人に恩恵を与えたとしても、そのことについて感謝の見返りを求めるものではない。怨まれなければ、それが見返り(徳)である。

前集・二十八条

人から受けた恩は忘れてはならない


自分が人に対して何かしてやったとしても、その見返りなどを期待するものではない(与えた恩恵は忘れるべきだ)。

しかし、人にかけた迷惑があれば、忘れてはならない。また、人から恩を受けたならば、そのことを忘れてはならない(感謝し、いつか恩返しすることを考えておきたい)。

しかし、人に対してうらみがあるならば、早く忘れ去るべきである。

前集・五十一条

見返りを求めるなとは言うものの、物事の順番は大事だという教えもある。

他人に恩恵を施したり威厳を示す際の秘訣


人に恩恵を与えるときには、初めは薄くして(少なくして)、後から厚くして(多くして)いくと良い。先に厚くして後に薄くすると、人はその恩恵を忘れてしまう(ありがたく思わなくなる)。

また、他人に威厳を示す必要があるときには、初めに厳しくしておき、後にゆるやかにしていくと良い。先にゆるやかにしておいて、後に厳しくしていくと、人はその厳しさを恨むものである。

前集・百六十七条


小さいことに手を抜かず、失意のときも決して投げやりにならない


小さいことでも、手を抜いてはならない。人が見ていないところでも、ごまかさない。失意のときでも、決して投げやりにならない。こうあってこそ本当の立派な人物といえる。

前集・百十四条

自分のことを一番見ているのは自分。自分の評価は他人が決めるが、たとえどう評価されても自分に恥ずかしくなければいい。

自分が正しいと考える意見は持ち続ける


多くの人が違う意見だからといって、自分が正しいとする考えを変えてはいけない。だからといって、自分だけの意見に固執しすぎて、他人の意見を無視してはいけない。

また、つまらない打算から大局を見誤ってはならない。さらに、世論(公論)の多さをうまく利用して、自分の腹いせをしてはならない。

前集・百三十条

SNSなら匿名でも意見ができる時代。付和雷同。自分の頭で考えて発言に責任を持つことは難しい。

すっかり人との距離を取るのが当たり前になってきた。だからこそ、人を信頼したくもなる。そんな時の戒めがこちら。

うかつに人をほめたり、悪口を言ったりしない


たとえ善人であっても、まだその人と親しくなっていないときに、うかつにほめてはいけない。なぜなら悪い人がいて、二人が仲良くなるのを面白くないと感じて、仲をさく告げ口がなされることもあるからである。

また、悪人であっても、まだ簡単には関係を絶たないうちは、うかつに悪口は言ってはならない。なぜなら悪人のほうから、ワナを仕掛けられて被害をもたらすことになるからである。

前集・百三十一条

『白い巨塔』のドラマの中で、財前に愛人が言う。

「誰からも好かれる人はいない。だって、そういう人間を嫌う人がいるから」

人が三人集まれば諍いの目が生じる。世界が二人っきりなら離れても人恋しくてまた近づくだろう。しかし、実際はたくさんの人と出会う。そんな時どうすればいいか。

いろいろな人と付き合える度量が必要


世間をうまく渡り歩くには、あまりに潔癖すぎる態度はとるべきでない。一切の汚れやけがれをすべて腹に納める度量が必要である。

人間関係においては、あまり好き嫌いをはっきりさせないようにすべきである。

世のなかには善人、悪人、賢者、愚者といろいろいて、そのことをわかった上で、広く包み込む器量の大きさが必要である。

前集・百八十五条


極めて心の冷たい人の特徴


人から受けた恩がどんなに深いものであっても、それに報いないくせに、ちょっとしたささいなうらみには、必ず仕返しをする。

人の悪い評判については、単なるうわさにすぎなくてもすぐに信じるくせに、人の善いうわさについては、明らかにわかっていることでもなかなか信じない。こうした人間は、極めて心が冷たい。こういう人間にはならないようにしたいものだ。

前集・百九十一条

人の評判はあてにならない。必ず自分で確かめること


人の悪い評判を聞いて、すぐその人を憎んではいけない。なぜなら、それは他人の悪口を讒言するくせの人が、ただ自分の怒りをはらすために言ったものかもしれないからだ。

逆に人の良い評判を聞いて、急にその人に親しむというようなことをしてはいけない。なぜなら、それは悪賢い人が自分を売り込むために言っているのかもしれないからだ。

前集・二百五条

友人はよく選んで付き合う


人を用いるには、心冷たくて厳しすぎるようではいけない。こうした扱いをするようだと、やる気のある良い人も逃げ出していく。

友人と付き合うには、誰でもいいというわけにはいかず、ちゃんと選ばなくてはいけない。そうしないで誰とでも付き合うと、媚びへつらう者など悪影響を及ぼす者も集まってくる。

前集・二百七条

最後まで読んで頂いてありがとうございました。気づきがあればぜひ読んでみてください。


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