さりげない気遣い。

さりげない気遣いというのは大事だなといつも思う。

例えば、物を貸す時にどんな袋に入れるかだけでもその人の人柄がしのばれるものだ。

もちろん相手にもよる。

ごくごく親しい友人であったり、あまり時間に余裕が無い時はコンビニ程度の袋でいいか等と済ませる。

ところが予想に反して、素敵な袋にメッセージ付きで貸してもらったりなんかするとこちらが恥ずかしい思いをしたりもする。

こちらが貸そうとしたのだから仕方無いけど、返ってきた物が乱雑になっていたりすると気に入っているものだけに悲しい気持ちになる事もある。

そんな時、一言あるだけで随分印象が変わるのになと思う事もある。

でももしかすると、自分の気付かないところで相手にもそういう思いをさせているかもしれない。だからいろんな人に貸してもらったりするけど、本当はあまり人に借りるのは好きではない。

自分の物だったら自分の中で折り合いをつけるからいいのだけどね。

本のしおりというのもなかなか気になるものだ。

大抵は最初からしおりが挟まれているわけだけど、読んでいるうちにどうもこのしおりは合わないなと思う時がある。

ちなみに僕は基本的に本にはカバーをかける方で、気に入った文庫本ならちゃんとしたブックカバーに変えて読む方なんだけど、これも読んでるうちに違和感を覚える事がある。

長時間読むわけだから、手触りというのもなかなか大事だ。誰にでもこだわりグッズはあると思うけど、僕の場合は本以外にはあまり無い。

どんなに話題の本でも文字のサイズや装丁だけで、買う気がしないものもあれば、手に取った瞬間これはイケるという本もある。

そして人から本を借りる時、その扱いを見てわりと僕は人を判断する。

ファッション好きな人が服や靴を見て判断するのと同じだ。

人の家にお邪魔して気になるのは洋服ダンスよりも書棚である。そして、書籍に対する扱いである。

僕だって決してキレイな扱いではないかもしれないが、乱雑さの中にもその人がその本にどれだけ愛着を持っているかは分かるものだ。

本というものはどんなに保存状態を良くしても紙である以上、古くなっていく。本も生きているのだ。

手垢でまみれた辞書が愛着を増すように、大事にしている本もまた愛着が増す。曲順や曲間の微妙なタイムラグさえ覚えてしまったアルバムと同じだ。

だから、本なんて中身さえ分かればどうでもいいとか読んだら捨てるという人がいるけど、僕にはなかなか割り切れないものがある。
 
もちろんスペースの問題もあれば、再読に耐えないものや雑誌のような情報の鮮度が命であるような書物もあるから、分からないでもないのだけど、本をぞんざいに扱う人とは友達になれないなと思う。

それならまだ古本屋に売るとか誰かにあげる方が納得できる。古本屋に全く行かないわけではないけれど、自分の好きな本が並んでいるとちょっと残念な気持ちになってしまう。

人柄がしのばれる気遣いという面で一番難しいのがやはり贈り物だろう。

相手が喜ぶプレゼント選びというのは本当に難しい。

何が欲しいですか?と聞いて即答する人はあまりいない。

自分の身に置き換えても、本当に欲しい物はずうずうしい感じがしてなかなか言えないものだ。高価な品だったりするとかえって気を使うわけだし。

逆にもらった物がどれくらいの値段がするものか分からない時は、お返しに悩む。相手のセンスが良ければ良いほど、悩みは増幅する。

好みやセンスというのは少しずつ磨かれていくものなので、あまり選ぶ時間が無いともう少しセンスがあればなぁと悩む。

もっとも、プレゼントはあげる時よりも選んでいる時の方が楽しく、もらう時も相手が自分のために時間をさいてくれたと思うだけで十分に嬉しいのだけど。

これはこれから先も悩み続ける永遠のテーマだな。

ちなみに天からの贈り物を感じたことは未だにない。

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