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震災の日に思い出す森岡毅さんのことば。

1月17日。関西人にとっては、あの時代に生まれていた者にとっては忘れられない日付。僕はまだ大学生だったけど、幸いにも奈良に被害は無かった。大学は関西なので、被害に遭われた方もいたけれど、不幸な話は聞くことが無かった。

当日の朝、やけに揺れが長いなと思ったことを覚えている。

ネットの無い時代、情報源はラジオとテレビだった。

毎朝寝起きに点けていたラジオからそのニュースは始まった。

wikipediaにも記載があるその放送を僕は聞いていた。

大阪の毎日放送で当時早朝に放送されていたラジオ番組『おはよう川村龍一です』では、芦屋市に住んでいた番組パーソナリティの川村龍一が毎日放送へタクシーで向かいながら現場をレポートした。その中での「阪神高速3号神戸線)は、落ちました」という発言は、非常に重い意味を持つこととなった。このレポートはどのメディアよりも早く高速道路の橋脚倒壊を伝えたものである(NHKのニュースでは、8時49分にヘリコプターで上空からの神戸の現状が映し出された。民放も同時間帯にヘリ映像が入った)。おはよう川村龍一です#阪神・淡路大震災発災(1995年1月17日)当日の対応も参照。

Wikipedia

「高速道路が信じられない光景です」という実況が今でも耳に残っている。しかし、それは音だけの情報なので後のテレビの映像を見るまでは実感できなかった。

一体、何が起こっているのか?

スマホさえ無い時代。その後に溢れ返る甚大な被害の報告。毎日読み上げられる名前の数々。前年に大学受験をした僕には、受験生が寒いグラウンドで心もとない照明の下、寒さに震えながらも勉強している姿が我がことのように気の毒で辛かった。

あれから随分経った。職場の若者には生まれていない人さえいる。

神戸に行くこともあるけど、近代化した街並みは今の若者には過去の映像でしか知り得ないものなのだろう。

森岡毅さんのベストセラーの本の中にとても心を打つ文章が載っている。

森岡さんは学生時代に震災を経験していた。若者向けに書かれたその素敵な文章をここに紹介したいと思う。


神戸大学の学生時代に、私は阪神淡路大震災を経験しました。

倒壊した家屋や炎と煙で包まれる街をぼう然と眺めながら、当たり前の日常なんて、一瞬で地獄絵図に変わることを実感しました。

神戸大学は多くの学生を失いました。私と仲の良かった留学生の学友も寮の倒壊で死んでしまいました。

駆けつけた母国のご両親と一緒に大阪北の斎場から彼女を見送ったときの光景が、今も心に焼きついて離れません。

彼女は、日本人と同じようにセンター試験を日本語で受験して合格した才女で、日本人よりも美しい日本語を話し、性格も朗らかで明るく、思いやりがあって素晴らしい人でした。

笑っていた彼女の屈託のない柔らかな表情と、変わり果てた彼女の苦悶で歪んだままの死に化粧の表情が、今でも時折私の記憶に交錯します。

火葬されて白くなってしまった彼女を、ご両親と我々友人達で泣きながら拾いあげたときのあまりの軽さの衝撃が忘れられません。

そして、あの時の斎場の光景も

あまりに多くの人が一度に亡くなったので、棺が足りず、ご遺体は合板のようなもので作られた粗末な箱に入れられていました。

それが10tトラックに山積みにされ、まるで工業資材のように次から、次に何百と運び込まれ、どんどん積み上がっていくのです。

そのどうしようもない量の棺を出来る限り多く処理するために、強火の短時間でひたすら焼き続けている、それは嗚咽する人々の悲しみとは、あまりに対照的な、工場のような空間。

あの時の光景が圧倒的に無機質な理不尽が、今でもまぶたに焼きついています。

あの時に私は思ったのです。人間なんていつ死ぬか本当にわからない。死ぬのは純粋に「確率」であって、彼女のような素晴らしい才能に溢れた人間でも、彼女のような本当の善人でも、全く容赦はされないということを。

誰であれ、あっという間にトラックに大量に積み上げられた粗末な箱の一つになってしまうことが、目の前のリアルな現実でした。

私もいつまで生きていられるかわかったものではない。それまで「死」を意識していなかっただけで、実は常に「生」と背中合わせでずっと一緒にいたのだということがわかりました。

地震でなくても、事故や病気、その他いくらでも「死」は背中合わせのところにあったのです。

そして思ったのです。突然、その確率の死神に捕まってしまった時に、彼女は何を思ったのだろう、そして私は何を思うのだろうかと。それを想像すると、とてつもなく怖かったのです。

死ぬのが怖いというよりも、自分が何も達成せずに、死ぬことをとても怖いと感じました。せっかく生まれてきたのに、何もせずに死ぬなんて、生きた証を少しも残せないなんて、絶対に耐えられないと思ったのです。

一番多感だった時期に死ぬことをリアルに意識したせいで、私には生きることにより強い意欲と執着が湧いてきました。

貪欲で前向きにならざるを得なくなりました。いつ死神に出会ってもいいように納得度が少しでも高い生き方をしないともったいないとわかったのです。

そのせいで、周囲から「森岡さん、なんでそんなに生き急いでいるの?」と言われる生き方をするようになりました。

どうして仕事でスケジュールを一杯にしただけではなく、プライベートでも様々な趣味を押し込んで、分刻みで次々に様々なことをやっていくのか?

それは、あの地震以来、私は自分のやりたいことに対して常にポジティブであろうと決めたからです。

やりたいことをたくさん実現するために、自分の時間の使い方をより戦略的に工夫するようにもなりました。

ゴールの見えないマラソンをできるだけ楽に走ろうとするのではなく、到達したい遠くのゴールを明確に定めて、その方向へ11日を短距離の全力疾走で積み上げていく方が後悔が少ないのではないかと私は思っています。やりたいことをやらないでおくと死神に会った時に絶対に後悔しますから。

また、やりたいことに挑戦して、たとえ失敗しても、やりたいことに挑戦できたことが、それだけでどれだけありがたいか、白くなった彼女のあの軽さが私に教えてくれたのです。

まして、キャリアのリスクなんてどれだけちっぽけでどうでもよいことか、あの記憶とともに、私はすぐに我に返るのです。

仕事で失敗しても会社をクビになっても、誰かが命を取りに来るわけではないのです。

よく考えると「リスクって何?そんなものってあるの?」という話です。

70年前の日本人は、焼け野原の中でそれを知ったでしょうし、東日本大震災で死神の理不尽を実感された人も多くいるでしょう。

生きていること、好きなことに挑戦できること、様々な苦労に泣き笑いできること自体がもう十分に素晴らしいのです。

どうか多くの方々が、一度しかない人生を今、自分が泳いでいることの奇跡を感じてほしいと願っています。

特に私よりも若い人たちには、一度きりしかない人生で、自分が持って生まれたものを輝かせることにもっとポジティブにならないともったいないことに、早く気がついて欲しいのです。

そして「欲」を持ってください。自分の野望や夢ややりたいことを、素直に「目的」として明確に掲げてください。

目的をしっかり持って、それを意識すれば、その方向へ人生は近づいていくはずです。それを戦略的に追い求めればなおのこと、もっと近づいて達成していくことができるでしょう。

仮に努力したのに目的を達成できなかったとしても、無目的に生きるよりは、よほど人生が輝くはずです。

たとえ大きな失敗をしたとしても、失敗しない人生よりははるかにマシです。あなたはいつかきっと輝くはずです。失敗しない人生なんて、何にも挑戦しなかった臆病者の命の無駄遣いです。そんな人生こそが最大の失敗だと私は言いたいのです。

自分の人生の主役は自分しかいません。

失敗を恐れず、目的を持ってポジティブに人生を歩んでいく人が増えることを願っています。

そうすれば、きっと我々は自分が思っているよりも高く飛べるはずです。

その高さから見えるまだ知らない景色を見るために、私は今日も生き急ぐことにします(笑)

この文章は引用の範囲を超えているとは思いますが、人生に悩む一人でも多くの方の励みに、また生きることに弱気になった僕が読み返せるようにnoteで紹介してみました。

突然命を奪われたみなさまのご冥福を心よりお祈り致します。


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