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仮想空間で変わる生活とは?

今からどれくらい前だったかは忘れてしまったけど、ある日ニュースを見ていたらオンラインゲームにトラブルがあってキャラが消失し、悲痛な面持ちでインタビューに応えている若者がテレビに映っていた。

その頃は、まだネットも今のようには普及しておらず、ゲームに興じていた子どもの僕にとっては、確かにゲームのキャラデータが消失して悲しい気持ちになるのは分かるけど、そんなに落ちこむものだろうかと思ったものだ。

でも、今ならあの頃よりもその気持ちは理解できる。

たとえば購入した音楽や電子書籍、ゲームのデジタルデータがある日突然消えたら?

契約しているサブスクが使えなくなったら?

そもそもネットが長期間利用できなくなったら?

きっと多くの人の日常生活に影響を与えるだろう。

noteを読んでいる世代の方なら、まだネットが整備されていなかった時代を知る人も多いだろうから想像できると思うけど、今さらテレビ、ラジオ、新聞、固定電話の生活に戻れと言われても、そう簡単ではないと思う。

それができるのは今でもそれが生活の中心を占めている高齢者の方くらいだろう。

これから先の未来がどうなるかは分からないにしても、今あるテクノロジーが退化するとは考えにくいし、端的に言って、通信網や通信速度が進化しない事はありえない。

仮想現実なんて、どこか夢の話だと思っていたけど、スマホ片手にライブ配信で生活している人なんて、昔から見ればすでに仮想現実で生きている未来人としか思えないはずだ。

ゲームのキャラが自分の分身のように思える。

ネットの中の自分こそが自分である。

そう言われても、少なくとも僕は昔ほどの違和感を感じない。

食事や睡眠などはさすがに生身の体で行うしかないと思うけど、胡蝶の夢に近い現実がすでにある。

VRのゴーグルやグラスをはめるのはまだちょっと面倒臭い。

けれども、昔の人から見ればスマホを充電するのだって面倒な事だろう。

人はそれが自分にとって必要なものであればそのうち慣れてメガネをかけるような気軽さで習慣化する。

今こうしてパソコンで文字を入力するのも面倒な作業には違いない。人によっては音声入力やスマホ片手にフリック入力する方が楽だという人もいるだろう。

紙に文字を書くのだって面倒と言えば面倒だ。

しかし、自分の考えを表現したいという願望は変わらない。もしも誰かに何かを伝えたいという願望や物を作りたいという気持ちが無くなったら、アバターが自動で創作する何かをただ傍観するだけの生活は随分退屈な世界だろう。

AIが単純作業を代行し、労働から人々が解放されたとしても、僕はやっぱり人間って何かをせずにはいられないだろうと思う。

そんな時代に僕が生きていたとして、僕は変わらずこうして文章を書くか、YouTubeや音声配信に代わる何かで自己表現をしているに違いない。

僕は本が好きなのだけど、テキストのみの電子データには魅力を感じない。もちろん中身が面白ければ熱中はする。でも、本には厚みや装丁、質感も大事だ。アナログ感と言えばいいか。

だから、仮想現実の中でも本屋さんには通いたいし、巨大な本棚の中を散策したい。

もしも本屋さんというものが極めて少数になり、仮想現実がもっと実感として日常生活の代わりになったとしたら、その仮想空間の中に本屋さんを作って欲しい。

そうすれば、僕はそういった本屋さんにワープして、本棚の中を歩き回り、書棚にある書物を本物のような質感で取り出し、書かれている言語を日本語に変換し、好きなフォントや文字サイズに変えて世界中の本を読み散らかすのだろう。

夢のような話だけど、もうこれは夢ではないと確信している。

今でもそれに近い真似事ならできるから、あとは需要や時間の問題だ。

デジタルが進めば進むほど、実体に対する希少価値は高まる。

今以上にデジタルと実体が融合すれば、NFTのような代替物の効かない、存在価値のあるデジタル物が本物のように機能するのだろう。

今はまだ単なるアイコンやゲームキャラのような存在だけど、冒頭に述べたデジタル所有物の喪失感はもっと深刻なものとなるに違いない。

ママゴトが好きな大人が普通になる時代は意外に早くやってくる。

職業体験のような感覚で現実にはできない事を仮想現実の中で楽しむ大人が急増する。

ゲームのキャラなら空も飛べるし、レーサーにだってなれる。

もちろんゲームの中の制約はあるけれど、これが現実レベルやそれをも超える規模で機能すれば、その中で生活が始まる。対価に暗号資産が絡めばもうそれは仮想とは言い切れない。

こうなるとリモートワークでお金をもらうのと何ら変わりない。現実にお金を稼げるゲームでプレイヤーを雇ってビジネスにする事も可能だ。まだ一般的でないだけで、現存している。

株で儲ける事はもはや架空の話ではない。肉体労働で汗水を垂らしながら働かないとダメだという考えは、僕の世代では分かるけれど、それのみ固執する時代ではない事も理解している。

YouTuberでお金を稼ぐなんて楽をしすぎだという意見は未だにあるけれど、番組の内容によっては多大な労力をかけた素晴らしいものもあるし、極端な話、大した時間をかけていなくてもその人にとって価値があれば存在意義はある。

たとえば、僕のようなド素人のYouTubeチャンネルでも、視聴回数が1万回を超えたものがある。これは単純にどんなゲームか知りたいと思った人が発売日に挙げた何の編集もしていない、大して面白い話をしているわけでもない僕のプレイ動画を見ている結果であり、その人達にとってはそれでいいわけだ。

一応断っておくと、僕のチャンネルは有益化にはなっていないので、対価を受けたわけではないが、温かいコメントを頂くだけで僕にとっては忘れられない体験になった。

きっとあなたにもこれに似た経験はあるのではないだろうか。

何気につぶやいたツイートにいいねがたくさんついたり、スキボタンを押してもらえたり、LINEで交わした楽しい会話やあつ森で誰かと交換したアイテムなど、そんなたくさんの思い出が詰まったアカウントがある日突然消えたら、それはもう現実の体験と変わらない。

もう戻れないのだ。

星新一さんのショートショートの中で、生活を自動化してくれる機械に囲まれた人間が毎日何らかの機械のメンテに追われるという話があったり、実はその人は死んでいるのに、遺体のまま毎日会社にパイプで送られ、日常業務をこなし、人と会う事もなく単調な生活を循環する話があった。

これを読んで何が面白いか分からないという世代が中心になった時、仮想現実が肉体を持った現実とどういう割合で意味を持つのか、あるいは現実こそが仮想と呼ばれるのか。

仮想現実に国境はなく、暗号資産にも国境は無い。確固としたセキュリティが個人を保護し、その上で匿名の仮想キャラが生活する。

そうなると、またそこに国境を作り、規制が生まれ、個人というものを管理し、人はまた現実の上書きをするのかもしれない。国際情勢がゲームレビューの荒らし投稿にも影響するのだから空想話として片付けられる時代ではすでに無い。

ママゴトが本物にすり変わり、それをまたママゴトに変えるというサイクルをいくつもの仮想世界で輪廻転生のように繰り返す。そこに生きているのは人間なのかデジタル生物なのか。

コンピューターの神は人間だ。

でも、誰か一人の人物ではない。

人類が創設し、人間とコンピューターが築き上げた世界が互いを包括する。

そんな世界を歴史小説を楽しむように見聞きする何か。

その何かの存在を僕が知る事はおそらく無いだろう。

僕は今これを読んでいるあなたが苦笑している体験を共有できればそれでいい。なぜならこれが僕にとっての仮想現実であり、現実なのだから。

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