運動と脳機能の研究~大学院生奮闘記 博士課程編⑬~

ドイツへの旅立ち

期待と不安の気持ちを抱えながら、ドイツへと旅立った。国が違えば、文化も違う。電車の乗り方さえ、国が異なれば分からない。分からないことは現地の方に聞いた。全てを分かってから動くのではなく、分からないことをその都度解決した方が、物事が円滑に進むことのほうが多いことに気付いた。

研究実施開始

日本とは異なる地で研究を実施するのは初めてだった。日本では当たり前のようにできていたことも、国が違えば当たり前ではなくなる。研究計画は、ドイツに旅立つ前の日本に居るときに、先生方と協議済みだった。研究の準備もできる限り日本で行った。万全だろうと思って、ドイツに乗り込んだがなかなか思うようにならない。特に苦労したのは、脳波取得だった。本実験に入る前に、プレ実験などしていたが、ノイズが混入して実験中止の寸前まで来た。ドイツには技術者という人がいて、その方に相談して特別なアース線を作成してもらいノイズを除去することによって何とか研究できる形になった。

研究は朝9時から夕方5時くらいまで集中して行った。9時から実験ということであれば、その1時間半前から実験の準備をして、参加者の方を待たせないよう最善の配慮をした。実験が終われば、後片付けで1時間くらいかかる。これら全て一人で任されていたので、責任がある分やりがいを感じた。この研究で取得したデータは、翌年ドイツで開催されてヨーロッパスポーツ科学学会にて発表した。

研究と同時に、日本で投稿していた結果が返ってきた。結果はメジャーリビジョン。とりあえずリジェクトは避けることができたが、大幅な修正が必要。平日は研究・論文の修正。休日は論文の修正で時間が過ぎて行った。特に大変だったのは、共著の先生と論文の修正に関して協議するときに、時差の関係で、ドイツの真夜中過ぎに会議をする必要があった。時には、実験を行った後に夜な夜な論文の修正を行い、夜明けに会議をしてまた実験をするということもあった。今となっては良い思い出だ。

ドイツでの研究や生活の話は、以前所属していた大学のHPにアップロードされている。このリンクを参照。ただし英語で書かれている。

ドイツで筋トレに目覚める

これまで研究生活に忙しく、また100kmを走るということもあり3年間ぐらい筋トレを辞めていた。ドイツに来て、周りの身体の大きさに圧倒された。これじゃダメだということで、少しでも体を大きくしようと考えた。また、異国の地で慣れない環境で研究をして責任がかかる中、筋トレが自分にとって心の安らぎだった。この時は、上半身のトレーニングがメインで行った。ドイツから帰国後、体重が5kg増えて帰国した。帰国した際に、研究室のメンバーは、何よりも自分の身体つきが変わったことに驚いていた。ソガはドイツに筋トレしに行ったとまで言われるくらいの笑い話になった。ここから、徐々にマラソンを辞め、筋トレ重視の生活に変わっていく。

ドイツ生活で得られたこと

言葉を知らない異国の地で生活できたことは、自分のなかで自信になった。言葉が通じる国なら絶対になんとかなるという訳の分からない自信が生まれた。また、異国の地で研究を遂行できたことから、これからどこの国に行っても研究できるという自信にもなった。

ドイツ生活で一番得られたこと言えば、人との出会いに間違いない。大学の関係者の方々、日本の留学生の方々、週末の旅で出会った様々な方々、一人一人の出会いが財産だった。日本にいたら絶対に出会わなかっただろう人々に出会えることができるという点でも、海外に住むことは大きな財産になる感じる。また、自分のようなポンコツは、他人の助けなしに生きられない。今回のドイツ滞在でも多くの人に助けられた。彼らの助けなしに、ドイツでの滞在は成し得なかった。次は、自分が助けるような存在になりたいと切望している。

ドイツ滞在を通して、研究によってデータを取得し、筋トレによって筋肉を得て、何より様々な人とつながり、どこでもやっていけるという訳からない自信を得て帰国した。

日本に帰国。学位は取得できるのか?

日本に帰国後、博士の学位取得に向け、博論の執筆と口頭審査の準備をすることになる。ただ、まだこのころには卒業できる要件を満たしていなかった。本当に博士課程を修了できるか。。。途中で満期退学の文字がちらつき始める。。。そんなこんなで博士4年となった。この一年で学位が取得できなければ本気で辞めようと考えていた。