運動と脳機能の研究~大学院生奮闘記 博士課程編⑧~
研究室での大事件
研究計画を練る生活が続く中、実験をどのように行うかヒントを得るために、研究室にあるとある研究装置を扱っていた。その研究装置は、刺激といって文字や記号などの視覚情報を提示したり、音声などの聴覚情報を提示する装置である。これらの刺激を提示しながら、脳波で脳の活動を計測する。前にも述べたように脳波はミリ秒単位で計測する。この刺激提示装置が提示のタイミングのブレが無く、常に一定のタイミングで提示されなければ、脳波を取得してもどのように脳が活動したか把握することができない。そのため、脳波の研究において、刺激提示装置の精度はかなり大切である。
その研究装置は、導教教官の先生がとても大事にしていた。かなり正確に刺激が提示されるため、研究室の研究の重要な研究装置として扱われていた。また長年使用されてきたこともあり、先生の愛着が非常に強かった。何より、その装置の取り扱う会社が無くなり、壊した場合に修理は一切できないという状態だった。
そんな中、その装置を壊してしまうとい大事件を自分が引き起こす。まだ研究室に所属して二ヶ月あまり。。。全身の力が抜けた。その日は日曜日だったので、先生は学校に来ていなく直接話すのは翌日となった。日曜日の夜は、寝付けないまま夜が明けた。
月曜日に先生に直接話すと、「長年使っていて、いつか壊れる日くるから仕方がない」と言っていたが、目の奥には怒りの炎が燃えていることは間違いなかった(と自分の中では勝手に解釈していた)。部外者の自分がいきなり研究室に入ってきて、大切な研究装置を壊したら、それは怒るだろう。進学して二ヶ月あまり、夢虚しく自分の博士課程は早くして終了のホイッスルが鳴っていた。
奇跡が起こる
研究室のみんなで、電源を入れ直したり、あらゆる手段を講じたが全く動かなかった。壊れたのが確実だとみんなが確信した時、研究室の先輩が電源の接続部で不調が起こるあるから、そこを見てみたら良いというアドバイスをもらった。電源の接続部を付け直してみると、、、、、なんと装置が正常に動き出した。奇跡をみた瞬間だった。指導教官の先生の目の奥に燃えていた炎も無事に鎮火した。試合終了のホイッスルは撤回され、試合続行のホイッスルに変わった。この日の夜のビールの味は最高だった。ただ、この日以来、この装置をいかに使わずに博士課程を過ごすかという新たな課題が増えた。結局博士取得まで、その装置をほぼ使用せずに乗り切った。今では、この事件は研究室の笑い話だが、その時は1mmも笑えなかったことを覚えている。
100kmマラソンとTOEIC
博士進学後、忙しくなったという理由で筋トレを辞めた。(この辞めたことが原因で、後に筋トレのリバウンドを引き起こすが、その話はまた別の機会で)。運動は、ランニングだけになった。ただ、ランニングの時間は作れなかったので、自分のアパートから大学までは片道約5kmで、行きと帰りの合わせて約10kmを走って通学していた。雨が降った日にはカッパをかぶって走り続けてた。ただ、自分にとってこれだけでは十分な運動を行えていない状態だった。運動が行えないストレスがたまり、このころから、休日の前夜は睡眠を一切とらずに夜明けまでひたすら走り続けるという奇行にでだす。一人オーバーナイトランニングだ。眠気が襲う中、走るラニングはなんか幻想的だった。研究室で夜11時くらいまで勉強し、そこから日が昇るまで走り続ける。走り終わって、シャワーを浴び、また研究室に戻るという流れだ。出発前はいつもワクワクした。何か旅行にでるような感覚だった。眠気が吹っ飛ぶと一時的にはハイテンションになる。このハイテンションのなか走るランニングはなんか一種の恍惚感を覚えた。しかし、こういう無理は続かない。結局体調が悪くなり、このオーバーナイトランニング二ヶ月ほどで辞めることになる。そんなこんなでランニングを続け、この年も100kmマラソンを完走した。このころから、コースを途中ではずれ、レース中に温泉に入るなど、100kmを心行くまで堪能するようになっていた。
TOEICはこのころから受けなくなっていた。TOEICを受ける意味がよく分からなくなってきたのもあった。今までは、大学院の進学にも必要だったから受験しているということもあったが、今後TOEICを使う機会が見当たらない。また、4年も勉強して900点に届かなかったから、もう勉強しても無理だろうとあきらめていたところもあった。これから約1年半TOEIC受験から離れることになる。博士課程はTOEICよりも、研究に邁進しようと決めていた。