コンビニのメビウス

<表>


 今週もひと段落ついた。土曜の夜の仕事終わり。今日も今日とて、僕はコンビニに向かった。真夜中の暗がりに差し込む一条の光は、まさに仕事終わりの疲れを癒すオアシスだ。その光に吸い込まれるように、僕はいつものコンビニに入っていった。

「いらっしゃいませ~。」

 僕は反射的に会釈した。聞きなじんだ声。もうここに通うのも何回目か。『実家並みの安心感』などと言われる比喩表現があるが、まさにそれだ。下手したら今住んでる一人暮らしの部屋より落ち着くんじゃないかな。

 入ってすぐのコーナーを右折し、出版物が陳列されてる一角で立ち止まる。お、どうやらあの漫画の新刊が出たんだな。劇中でマスクの口元だけ開けてるシーンあったけど、この表紙だと逆に口元だけ隠れてんなぁ…対比かなぁ…。今日はこれ買って帰るか。帰って呑みながら読むのも一興。

 漫画を手に取り、奥のお酒のコーナーへ足を向ける。いつもの鬼殺しにするか、それともちょっと高い方にするか…いや、ここは鬼殺しにしよう。節約して推しに貢ぐんだ。

 鬼殺しも手に取りそろそろ物が手に収まりそうにない事に気づいた僕は、入り口の近くにカゴを取りに戻った。毎回こうなるんだから学べよと思うが、いつものクセだしなぁ…などと思っていると、レジの前で何となく暇そうにしている店員さんと目が合った。一秒ちょっと見つめ合ってしまったところで、気まずくなって取り合えず会釈して奥に逃げた。

 いやいやいや…恥ずかしいわ。いい人そうなのは何となく知ってる。何度かレジで対応してもらった事があるから。ただ…その…可愛い人の前て緊張しちゃうじゃないですか。皆もあるよね?そういうのあるでしょ?あるって言いなさいよぉ!

 …などと一人で考えながら、奥で飲み物を選ぶフリをして10分ほど時間を潰した。さすがに店員さんの顔と名前が一致するほど記憶力は良くない。いや僕がコミュ障なだけだろうけど。いるのかなぁ店員さんの事まで覚えてる人…。

 取り合えず羞恥心が晴れた所でおつまみを買いに動いた。酒は鬼殺しだし、いつもの柿ピーとあたりめのセットにしよう…と思ったが、昨日親知らずを抜いたばっかだしなぁ…あんまり噛まなくていい奴にしよう。そう思って、柿の種単体のやつにした。

 さてと、そろそろお会計…あ、そうだ食玩なんか出てるかな…。そう思ってお菓子コーナーに顔を覗かせる。メダルあるかなぁ…お、マックスさんの置いてんじゃん。そういえば買い忘れてたんだよな…置いててよかった。忘れないうちに買っとかないと。リブットさんのは持ってるしゼノンさんの来たらワンチャン…。

 などと考えながら、メダルをカゴに入れて今度こそレジに向かった。

 レジに到着して早速気まずいんですが…。さっきの店員さん。何となく目を伏せながら商品を渡す。年上のお姉さんっぽいな…ロングヘアーが似合ってるな…やべ、タバコ切らしてたんだった。

「あの…あと40番のメビウスもください。」

「あ、はい。少々お待ちください。」

 商品をバーコードリーダーに読ませ、タバコを取ってくれる店員さん。後ろを振り返った時に、髪がなびきフワッと良い匂いがした。何のシャンプー使ってるんだろ…いやそこじゃなくて。店員さんがこちらに向き直る。…ヤバいな、恥ずかしくてまともに顔見れねえわ。

「あの…。」

「…はい?」

 何…?店員さんから話しかけてきた。何…?これ怒られるやつ…?

「その…いつもの組み合わせじゃないんですね。おつまみ。」

 …知ってたんだぁ…。僕のいつものおつまみの組み合わせ覚えてくれてたのか…。え…なんか申し訳ない…こっちあんまり覚えてないのに…。

「あ…はい。たまにはちょっと変えてみようかなぁ~…なんて…。」

 何を中途半端な嘘ついてんだ対して変わんないだろ…恥ずかしさでどうにかなってるわ…。もう今日は帰ろう…帰って呑んで寝よう…。

「ありがとうございました~。」

 手早く支払いを済ませ、足早に店を立ち去ろうとして外に出た。もう秋か…。中が暖かかったのと恥ずかしさで火照ってたから涼しく感じた。すぅぅっ…っと鼻から深呼吸をする。この時期ってなんか空気おいしく感じるんだよなぁ…寒くて澄んでるからかなぁ…。

「すみませ~ん!」

 多少歩いたところで、後ろから声が聞こえた。さっきの店員さんだった。今度は何…?悪い事ではないんだろうけどなんか怖い…。って、こんな事思ってるあたり根っからのコミュ障丸出しじゃないか…。

「ハァ…ハァ…あの…お釣り…少なかったみたいで…。」

 息を切らしながらこちらに駆け寄ってきた彼女の手には確かに小銭が握られていた。あとレシートも。

「あ…わざわざすみません…。」

 そう言って僕は手を伸ばした。店員さんはその手にお釣りを置き…ん?『手を置き』とか冷静に言ってる場合じゃねえ!…女性と手が触れあってるんだぞ!?

 僕は緊張で硬直してしまった。だが、店員さんもなぜかずっと僕の手を握り続けている。彼女は手を放すどころか、むしろギュッと手を握り直し、その手の温もりを僕の冷えた手に伝わらせていた。どうしていいかわからず、僕はそのまま立ち尽くしていた。

 数秒の均衡の後、店員さんが何かに気付いた様子で手を放した。そして申し訳なさそうに顔を下に向け、顔を手で覆うような仕草をしている。

「あ…あの…ありがとうございます。」

 僕から先に切り出してみた。どのみち、お礼は言わないと失礼だろ。

「いえいえ、そんな…。」

 店員さんも手を顔の前で横に振りながら遠慮がちに答える。彼女はまだ何か言いたげだったが、まるで言葉にできないような仕草を取っている…ように見える気がする。

「あ…それじゃ失礼します。あの…ホントありがとうございました。」

 その場の空気に押し潰されそうで、先にそう言って帰ろうとした。

「あ…!ちょっと待って!」

 店員さんが呼びかける。やっぱり何か言いたいことがあったのかな…。

「あの…また来てくださいね!私…ずっと待ってます!」

 それだけ言い残して、彼女は逃げるように店の方に戻っていった。どこか他にも何か言いたげな雰囲気を感じたが、やっぱり気のせいかな。

 預かったお釣りを収めようとして財布を取り出し、小銭を入れる。そして一緒にレシートも入れようとした。が、何か裏に書いてある。暗くてよく見えない…。不思議に思いながら歩いていると、ちょうど街灯の真下に来て文字が見えた。するとそこには、

『私の事、どう思ってますか』

 と書かれていた…。僕の中で何か落ちる音が聞こえた気がした。

 24歳、彼女いない歴=年齢の普通の会社員。毎日仕事に追われ鬱になりかける日々。そんな僕でも、ここのコンビニだけはなんか落ち着けた。あと、あの店員さんも…。こんな僕でも、もう少し彩のある人生を送れたりするのかな…。そんな事を考えながら、僕は浮かれた足取りで自宅への帰路に就いた。




<裏>


 今週もこの時間がやって来た。あの人、今週も来てくれるかな…。私はそんな事を考えながら、人が少ない時間帯のコンビニのレジの前に立っていた。

 『あの人』…っていうのは、いつもメビウスのタバコを買っていく常連のお客さんの事。私は彼の事を『メビウスくん』と勝手に呼んでいる。彼はお酒とおつまみを買いに来てるけど、それと一緒に毎回タバコも注文する。その時の『40番のメビウスください』というワードの方が記憶に残ってるからそう呼んでる。直接のやり取りだし、記憶に残りやすいんだよね。それに『おつまみくん』じゃ締まらないし…。

 こういう職業柄、時々…いや割としょっちゅう、横暴で自分勝手なお客さんが多い。けどそんな中、あの人は違った。あんまり感情が読めないし、なんか暗そうだけど、他のお客さんのような横暴さが一切ない。見た目は少し暗いけど、本当は優しくて礼儀正しい人なのかな…と、少し彼の事が気になっている。

 あと…たまに目が合った時に会釈してくれるのも素敵。会釈そのものをしてくれるお客さんは他にもいるけど、メビウスくんは何か少し違う感じがする。ちょっとした仕草から、丁寧さを感じられる。そんな会釈をする人。

 これってどういう感情なのかなって、自分でも考えたことがある。不思議な感情だ。ただ礼儀正しいだけのお客さんのはずなのに、来てくれるだけが毎週の楽しみになってしまっている。これって…まさか『会いたい』って事なのかな…?それってもう『恋』ってやつなのでは…?…なんてね。


 人がめっきりいない時間帯になった。外は暗く、また季節的にもそろそろ寒くなってきた頃だ。こうなってくると、冬の近づきと年の瀬の近づきを実感する。

 しかし暇だな…なんて思ってたら、ウィーンと自動ドアが開く音と、外のひんやりした空気が店内を包んだ。ドアの方を見ると、例の彼が…メビウスくんが来ていた。

「いらっしゃいませ~。」

 私が決まりの挨拶をすると、彼はいつも通りの会釈をこちらに向け、すぐに右折して奥の方へ姿を消してしまった。今日も来てくれた…。そんな安心感を覚え、同時に僅かに高揚していた。別に秋の紅葉とは掛かってないが、心はその赤や黄色に勝るとも劣らない彩りと明るさを感じていた。

 でもあそこ、本とか売ってるコーナーだよね…。メビウスくんって…Hなのとかって読むのかな…。こっそり覗いてみよ…。

 そうして少し前かがみになって覗いてみた。そうすると、こちらに向かってきたメビウスくんと目が合ってしまった。や…ヤバい…。え、どうしよどうしよ…なんて言えばよろしいか、えっとその…。

 こっちが混乱してるうちに、メビウスくんの方が会釈し、カゴを取って再び奥へ戻っていった。…気まずぃぃぃ…。何て思われた?!覗いてきて変な奴だとか思われてないかな?どうしよ…。

 そして会釈がまたキレイなのなんなのよ…。サラッとしてるけどそれもいいわぁ…。え、何わたし会釈フェチにでもなったのかしら…?

 あと手の中にはいつものお酒と漫画らしき本が一冊入ってた。Hなのは買わないか…いや、きっと立ち読みしてるかもしれないから後で監視カメラチェックしとこう…。

 それから15分程して、彼はレジに戻ってきた。何か気まずい…。変な女だと思われてなきゃいいけど…。

 私は黙ってバーコードリーダーで商品を読み取っていく。やっぱりHなのは買ってないか…さっきの漫画ってこれだったんだ…。よく知らないけどなんかカッコいいかも。こっちのガムもそういう作品のなのかな。

 商品を読み込ませながら、そんな事を考えて気を紛らわせる。さっきの事をなんて思われてるかわからなくて、感情を表に出せない…ん?

 あ、目を伏せてる…。これ絶対ダメなやつだよね…?大丈夫かな…?

「あの…あと40番のメビウスもください。」

 来た…いつもの。この言葉を待ってましたとばかりに、私の心はタップダンスを踊り始めている。大丈夫かな…表には出さないように…。

「あ、はい。少々お待ちください。」

 何となく素っ気無い感じで答えてみた。顔を後ろに向けたが、色んな感情が交錯して表情筋を押し殺すのが大変だ…。今の顔を絶対に見られてはいけない…。恥ずかしくて死ぬ…。

 そういえば、最近シャンプー変えたけど気づかれたりするかな…。よし、これで印象変わってるかもしれない。大丈夫…嫌われてない…。

 私は向き直り、メビウスのタバコを袋に入れようとして気づいた。おつまみがいつもと違う。さっき読んでた時に何となく違和感があったけど、これかぁ…。なんかあったのかな…いや考え過ぎ?でもちょっと気になる…。

「あの…」

 聞いてみよう。そしてついでに相手の出方で嫌われてないか確かめよう。

「…はい?」

 答えてくれた。この感じだと、嫌われてはないかな…ひとまず一安心。

「その…いつもの組み合わせじゃないんですね。おつまみ。」

 彼はそれに少し驚いたような表情を見せた。まあ、よくよく考えたらそうだよね…。まさか自分の買い物の内容を把握してるとか思わないか…。

「あ…はい。たまにはちょっと変えてみようかな~…なんて…。」

 まずい、引かれてるかも。頭がパニックになる。その後の数秒の記憶が飛んだ。よりによってお金の受け渡しだったが、混乱してめっちゃ適当に返してしまった。ダメだな…こんなんじゃ。

「ありがとうございました~。」

 とりあえず一旦帰したが、絶対計算ズレてる。私は改めて彼が置いて帰ったレシートを見ながら計算し直した。案の定、お釣りの金額が足りてない!早く返したい…けど、このタイミングでおかしな事を思いついてしまった。

 レシートの裏に書いて聞いてみよう。私の事をどう思っているか。あの人にだけは嫌われたくない。私は急いで『私の事、どう思ってますか』とだけ書いたレシートとお釣りを持って外へ駆け出した。

 風を切って走る。寒い。手がかじかむ。けど、彼はまだそう遠くない所にいた。良かった…渡せる。

「すみませ~ん!」

 寒さでかすれそうな声で呼びかけた。聞こえたか一瞬不安だったが、彼は気づいて振り向いてくれた。

「ハァ…ハァ…あの…お釣り…少なかったみたいで…。」

 私は息を切らしながら彼に手の中の物を渡そうとする。

「あ…わざわざすみません…。」

 そういって差し伸べてくれた手に、私はすがり付く勢いで手を置き、握っていた手の中身を渡した。

 …触れてる手があったかい。この寒さだからなのもあるかもしれないけど、この人の手は芯から暖かい。まるで、彼の心の奥を感じたような気がした。やっぱり、クールに見えるけどいい人なんだよね…。できるなら…ずっと彼と手を繋いでいたい…。…ん?手?

 やばいやばいやばいやばい!手繋いじゃってた!私なにしてんの?!

 急いで手を放した。が、もう遅い…これは恥ずかしすぎる…。あまりの恥ずかしさに、私は顔を手で覆い俯いた。もう穴があったら入りたい…。

「あの…ありがとうございました。」

 メビウスくんからの一言。ありがとうって言いたいのはむしろこっちなのに~!やめてよ…これ以上私をどうしたいの君は…?

「いえいえ、そんな…。」

 私は片手で顔を隠したまま、もう片方の手を横に振るような仕草で返した。もう恥ずかしさでこんな返ししかできないよ…。今メビウスくん、私の事どう思ってるの…?

「あ…それじゃ失礼します。あの…ホントありがとうございました。」

 そう言って、メビウスくんは踵を返そうとした。…まだ帰ってほしくない。

「あ…!ちょっと待って!」

 私は反射的に引き留めてしまった。どうしよう…。何て言えばいいのかな…。図々しい事は絶対に言えない。でも今の私から言えるのはこれしかないよね…。

「あの…また来てくださいね!私…ずっと待ってます!」 

 …もう限界。恥ずかしすぎる。帰ってほしくないのと、この現場における私のSAN値の減少が同時多発テロを起こしてる。

 私はそのまま逃げるように店に戻っていった。色んな感情が回りまわり、捻じれてはまた同じところを通って駆け巡る。まるでメビウスの輪のように、私の感情はぐちゃぐちゃに捻じれて回り続ける。これはもう…恋と認めざるを得ないみたいだ。

 25歳、彼氏いたこと無し、未婚のコンビニ店員。毎日の仕事に病みそうになりながら、何とか生きてる。そんな私にも、好きな人が出来てしまったみたいだ。あの場所で待ってたら、本当にまた来てくれるかな…。そんな事を思いながら、秋の寒空の下を駆けた。


 

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