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「分断を煽るな」と煽るな

「分断を煽るな」というコメントよく見るじゃないですか。

先日も、例えばこの記事に「分断を煽るな」というコメントがそこそこついてました。

(この記事の内容自体もかなり興味深いものがあるので語りたいところではあるのですが、ちゃんと書こうとしたら1万字とか下手したら10万字ぐらいになりそうなのと、本日はあくまで違うトピックについて注目したいので割愛します)

主旨からして分断を煽るどころかその解消を図る新たな道を提言してる内容なので、そもそも「分断を煽るな」というコメント自体が的を射てないところがあるのですが、それはさておきこの記事タイトルのような対立構造を提示しただけで「分断を煽るな」と反応される、という世の傾向がよく表れている事態であるといえましょう。

つまり、議論の中で「○○」VS「××」的な構図を示しただけで、「分断を煽るな」と言われてしまう雰囲気があるわけです。

確かに、敵味方に分かれて分断する事態は好ましくはありません。むしろ、徹底的に避けるべき事態ですらあります。

しかし、ちょっと対立構造を挙げただけで「分断を煽るな」と反応することもまた議論の健全性を失う風潮だなあと思います。

実のところ、日常生活の中では私たちは意識せずに(健全な意味で)分断を受け入れていることは少なくありません。

例えば、野球の阪神と巨人の応援の場面を考えてみましょう。熱心なファン同士が対立し、時には激しい応援合戦を繰り広げる様子は、まさに分断の一例と言えます。しかし、この分断は誰も問題視しません。それどころか、スポーツの一部として楽しんでいます。

ここで「プロ野球でチームを分けるのは分断につながるから止めろ」とか「個別のチームを応援するのは分断につながるから止めろ」などと言うのはナンセンスでしょう。

もちろん、時にガチで過激化する人たちはいないでもないですし、特に同じスポーツで言うとオリンピックやワールドカップなどは国別に対抗するのもあって、ナショナリズム的な対立意識に全くつながらないかと言えばそうではないので、注意は必要です。

ただ、私たちはこのように健全な意味での「分断」は既に受け入れているし、その必要性も理解しているはずです。単純に「○○」VS「××」的な構図が出ただけで「分断を煽るな」とするのはあまりに拙速であろうかと思います。

で、冒頭の記事のような社会的な議論においてはどうしても便宜上、立場を分けて考えることが必要な場面があるんですよね。どういう点で異なる意見や立場があって、それらがどのような意味で対立しているのかを分析しないと議論になりません。

異なる立場の意見を総括することで初めて問題の全体像が俯瞰できるし、新しい洞察や解決策につながります。だから、議論において対立構図を整理することは重要なのです。

ここで問題になるのが、議論での立場の違いを深刻な人間的な分断ととらえてしまうことです。健全な議論とそうでない議論があるとすれば、その違いは後者に「立場の違いを即座に敵味方に分ける感覚」が伴っていることにあるでしょう。つまり「立場が違う者は敵である」という暗黙の前提です。そして、これぞまさに「分断を煽るな」と言ってる時に生じている感覚ではないかと思います。

「分断を煽るな」と拙速に高圧的に反応してしまうことは、実のところその背景にある「立場が違う者は敵である」という暗黙の前提を他者に押しつけようとしている態度であり、それこそかえって潜在的に分断を煽っているとさえ言えます。

それぞれが阪神なり巨人なりを応援することが、別チームのファン同士の深刻な対立や戦争という意味になるのではなく、ともに同じく野球シーンを盛り上げる一員であるにすぎないのと同じで、健全な議論は立場や意見が異なっていてもそれを深刻な人間的な分断として捉えないことにその本質があるでしょう。

もちろん、これは「言うは易く行うは難し」の典型で、特に社会問題についての議論においては、意見や立場が違う者に寛容であることは実に難しいものです。

江草も以前『敵とのコラボレーション』という本を読んで書評を書きましたが、この本がまさに「敵」という表現を使われてる通り、社会問題では何かと「敵味方」に分かれやすいことも現実でしょう。

ただ、それでもやっぱり、そうした敵味方の分断は、それぞれの立場の違いを明確化せずにうやむやにして「みんな仲良く」と言ってるだけで防げるものではなく、むしろ立場の違いを明確化し、整理しながらも、それでも互いにつながりつづけることでこそ防げるものだろうと思います。

つまり、表面上、対立してないかのように取り繕えば済むわけではないのです。それは、臭いものに蓋をしているだけです。そうではなく、そうした表面的な取り繕いよりも、現実に「対立はしていても決定的に分断していないこと」の方がより本質的に重要だろうということです。

実践は難しいけれど、しかしそれでも大事なこととして常に意識しておきたいところです。

もっとも、「あいつらは敵だから付き合うな」みたいな、文字通りガチで「分断を煽る」言説にはちゃんと「分断を煽るな」と言うべきですから、「分断を煽るな」というコメントが必ずしもおかしいと言ってるわけではありません。

ただ、「世の中こういう異なる立場があるよね」と対立構図を整理する作業にまで「分断を煽るな」としてしまうのは、やり過ぎな場面もあるだろうと思った次第です。

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