医学部地域枠の「9年勤務義務」はなぜ過酷と言えるか
昨日の「地域枠問題」テーマの続きです。
今日は地域枠の「9年勤務義務」がなぜ過酷と言えるかについて考えていきます。(そんなに地域枠制度に詳しくない素人の私見ですが、あしからず)
まず、先日のAbemaTVの「地域枠問題」特集でも「9年は長い」という反応が見られてましたけれど、実際には9年どころかその前に6年間の医学部生活があるわけですから、実質的に合計15年間の拘束でもあります。
とてもとても長いですね。
とはいえ貸与型の奨学金制度自体は他でも存在していますから、今回はあえて在学中の年数は無視して、より「地域枠制度」特異的である「9年の勤務義務」についてフォーカスします。
「この9年の勤務義務は長すぎるから過酷だ」とただ言うだけでは主観的評価でしかなくなってしまいますから、客観性をもたせるためにちょっと他の基準と比較をしてみましょう。
さて、通常の有期雇用の契約期間の上限は何年間であるかご存知でしょうか。
答えは3年間です。
ただし、医師などの高度の専門的知識を有する労働者では上限は5年間になります。
なぜこのように契約期間の上限が存在しているかというと、長すぎる労働契約期間は労働者の自由を過度に拘束するおそれがあるからです。
高度の専門的知識を持つ労働者は、一般的な労働者よりも、使用者と対等の立場で労働条件を交渉することができるはずだという前提があるため、少し長い5年間になってるのだとか。
しかし、それでも5年間です。
翻って、医学部地域枠の勤務義務期間はなんと9年です。(しかもその前に6年間の事実上の拘束もある)
対等な交渉力を持つとされている「高度の専門的知識を持つ労働者」でさえ上限が5年間であるにもかかわらず、事実上の「債務者」であるためにもはや一般労働者よりも立場が弱いと考えられる「地域枠入学者」が9年間の拘束なのです。
「自由を不当に拘束することになってはいけないから」と定められた一般的な基準を大幅に上回っています。
これが過酷でないとは言えないでしょう。
これ、医師の残業時間規制が一般労働者よりも遥かに過酷な基準まで特例で許されてるのと似た構造で、どうも世の中では医師に関してはアレコレ非人間的な条件を通して良いとみなされているようです。
医師は人間ではないのでしょうか。
(なお、もちろん、地域枠の勤務義務は、病院を移ることもあるでしょうし、あくまで労働契約とは異なる概念です。ただ、その「働き続けなければいけない」という労働への拘束性は一般の労働契約と類似するところがあり、有期労働契約との比較は意義があると考えます。)
そして、このような一般的には考えられない過酷な長さの拘束期間について、18歳などの若年であるはずの受験生にこの決断をさせることはなおさら問題があるでしょう。
社会人経験もあるベテラン労働者や高度の専門的知識を持つ労働者でさえ、3~5年までの拘束にしておきましょうとしているのに、9年間(+6年間)の拘束の判断を18歳の高校生にさせようというのですから。
そんな若い受験生はまずもって「医者がどういう仕事か」や「9年間という拘束期間がどういう意味か」の実感はほとんどないでしょう。
果たしてそんな大きな決断をさせてよいものでしょうか。
また、ほとんどの受験生は立場上、受験の意思決定に関して親に依存がある状態です。それこそお金や住まいの問題もあるでしょうから、進路を真の意味で自分の自由で独立に決められる受験生は少ないでしょう。
この「受験生が親に依存してる状態であること」と「地域枠制度」の組み合わせが相当に危険と思うのです。
どうしても我が子を医師にしたいというスパルタ親がいる場合、本人には抗いようがなく地域枠を半強制的に受けさせられる場合がありえるからです。
我が子を医学部に入らせようとして勉強を強いる虐待を繰り返した結果、親が子に殺害されるという痛ましい事件もありましたし、子どもが親の言いなりで地域枠に入学させられるということは全然ありえる話です。
にもかかわらず、それで30代前半までの自由を拘束されるのは、事実上進路を決定した親ではなく受験生の方です。
しかも、その時の地域枠入学の決断を「自分で決めたことだろ、離脱なんて甘えだ」などと言われるのです。
なんと理不尽なことでしょうか。
以上のごとく、やっぱり地域枠の9年の勤務義務は過酷すぎると、江草は考えるのです。