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ベーシックインカムは「大きな政府」なのか

ベーシックインカムの導入については、政府支出が拡大する面をとらえ「大きな政府」と表現されることがしばしば見受けられます。

たとえば、江草も推しの本の『WORLD WITHOUT WORK』もベーシックインカム導入を提唱しているのですが、その状態を「大きな政府」と副題で大々的に表現しています。

ただ、個人的には、ほんとにベーシックインカムは「大きな政府」と言えるのかなあと表現として違和感があるのですよね。正確に言えば、確かに政府予算の規模としては大きくなるかもしれないけれど、政府の権限は必ずしも強くはならないのではないかと。

実際、Wikipediaの「大きな政府」の説明も、政府の権限が拡大することを特徴として記しており、ただ規模が大きいだけの話ではないはずなんですよね。

大きな政府(おおきなせいふ、英: big government)とは、政府・行政の規模・権限を拡大しようとする思想または政策である

大きな政府 -Wikipedia

なので、権限が拡大しないなら、必ずしも典型的な「大きな政府」にはならないのです。

でもって、ベーシックインカムというのは、機械的に万人に平等に現金給付する政策です。額面の多寡を操作する権限はあるにせよ、「誰に給付するか」という権限を政府は持たない政策になるんですよね。

ただ、みなさんもご存知の通り「誰に給付するか」「何に財政支出するか」という決定権が政府の予算権限における根源です。誰に給付するかの決定権を政府が握ってるからこそ、誰もが「私たちにこそ支援を!」「うちの業界こそが日本の経済を立て直す力がある!」とアピールするわけです。

ところが、ベーシックインカムについては「他でなく私たちにくれ!」と言うアピールが意味がありません。だって、全員に一律に配るという政策ですから。

だから、確かにベーシックインカムの予算規模自体は多くの方が指摘されるように莫大なものになるとしても、政府の権限自体は必ずしも強くなるわけではないんじゃないかと思うのです。言ってみれば、「大きな政府」ではあるかもしれないけれど「強い政府」にはならないはずで。

それに、仮に潤沢にベーシックインカムが配られたとしたら、残りの従来通りに政府の決定権に基づいて分配される財政支出分も相対的に影響力が減るわけです。だから、場合によっては「大きな政府」かつ「弱い政府」となることさえありえます。よくよく考えれば、人々に「お金」という現代社会の力の源を配るのですから、政府の力が弱まるのは自然な話なんですよね。

もっとも、ベーシックインカムをきっかけに「政府が権限を強める」動きも可能ではあります。たとえば、「ベーシックインカムの財源にするから税金を上げるよ」とか「ベーシックインカムがあるからあなたへの福祉はやめるよ」などと言う場合。そうすると「自分からは税金を取らないでくれ」「我々への福祉はやめないでくれ」という政府へのアピール合戦になるでしょうから、結局は今まで通りの形式で政府の権限が残るとは言えます。その状況を逆手にとって、政府権限を強化することもありえなくもないでしょう。

ただ、それも、ベーシックインカムと増税あるいは福祉の撤退具合のバランスの問題であって、ベーシックインカムという制度そのものに政府権限の強化が含意されてるわけではないのではないでしょうか。あくまで、ベーシックインカムは給付分配の制度形式に焦点を置いた概念であって、その財源をどのように確保するか、他の制度をどうするかまでは規定されていません。

だから極論、MMT×ベーシックインカムみたいなラディカルな発想をもってすれば、財源確保の側面についても政府権限を高めない形で構想することはできます(その是非はひとまず置いておいてプランとしてはありえるでしょうという話です)。


というわけで、「(予算規模は)大きな政府」であっても「(権限は)小さな政府」(弱い政府)にはなりえるのです。たとえば、地球の大気は人間にとって無限と言えるほど大きいですが、でも空気を吸う権利を万人に無料で与えてくれていますよね。その時に「地球はでっかいなあ」と思っても「地球の権限が強い」とは思わないじゃないですか。

だから、ベーシックインカムを、一般に権限の強さも含意してるとされている「大きな政府」と表現するのは、それはそれで従来の「政府の生殺与奪権」や「財政規律」を暗黙の前提としてしまっており、誤解が生まれやすい言い方かもしれないなあと思うのです。

とくに、普段から「小さな政府」志向がある方々において、本来は彼らの思想とも必ずしも対立する概念ではないのに、「大きな政府」と聞いて脊髄反射的に反対してしまう要因にもなりえると思うので、もったいないんじゃないかなと。

まあ、いずれにしても、ベーシックインカムはベーシックインカムだけで成立することはなく、適切にその狙いを実現するためには、他の様々な制度や社会文化の変容も当然必要になります。なので、適当に導入しただけではやっぱり大変な社会的齟齬が発生するおそれがあります。周辺の色んな影響や調整も含めて丁寧に考えていきたいですね。


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