「利益相反はあってはならない」という文化はモラル的マネーロンダリングを生む
昨日の続き。
前回は、
誰もが利益相反に無縁ではないこと
学術研究発表での利益相反明示はあくまで大きな利益相反を牽制するためのものであること
やみくもに「利益相反はありません」を強調しすぎるのも「利益相反が全くあってはならない」という文化形成につながりかねないという懸念
などを述べました。
今回は「利益相反が全くあってはならない」という文化だと何がマズイのかについての私見を述べてみます。
前回の最後に記した通り、その文化から醸成される「営利が悪」「非営利は善」とする短絡的な二項対立思考を心配してるのですが、もうちょっと細かく説明しますね。
時々見かけるのですが、「収益は全額寄付に回してます」と言う人がいますよね。ここnoteでも見かけたことがあります。
江草の観測範囲の偏りもあると思いますが、とくに医師アカウントに多い印象があります。
で、あえて穿ったことを言いますと、そうやって「収益は全額寄付に回してます」とアピールすることは、そのお金で自分の世間体的善性を買っている、いわばモラル的マネーロンダリングの側面があるように思うのです。つまり、もらったお金をそのまま「自分は善人であるという社会的承認」の購入に回してると言えるのではないかと。
もちろん、「寄付は悪いこと」と言ってるわけではないんです。寄付をするのは自由ですし、困ってる人を助けたいと思うのは当然の行いです。
でも、そんなこと言わずに黙って寄付することもできますよね?
なのにわざわざ「全額寄付しています」と強調することに違和感があるのです。
だいたい、ネット上の活動では「本当に寄付したか」読者は確認できないですし、言ったもの勝ちなところがあります。
類例として「この活動では一円ももらってません」と強調する方もありますね。
こういった「お金を懐にいれません」と強調することで自身の清浄さをアピールする方法は、「利益相反はあってはならない」という文化ともつながるところがあるように思うのです。
別に、お金を稼ぐこと自体は悪いことではないのに、それを悪いことかのように強調してしまう点でどちらも問題を含んでいます。
なにせ、みなさんも御存知の通り、実際にはほとんどの人がお金を稼がないと生きていけない世の中です。
にもかかわらず、「自分はこのお金を懐に入れません」とアピールする人が善い人扱いされるとなると、その「お金」が必要な人を追い詰めることになります。
政治家でも、議員の収入を削りますとか、自分のボーナスを返上しますとか、公務員の給料を削りますとか言って国民にアピールする方々がいますよね。
全く荒唐無稽の案というわけではないのですが、あまりに議員や公務員の収入が低いと、もとから家が豊かで金銭的に余裕がある人たちしかなりにくくなりますし、賄賂の温床にもなりえます。
公的な地位に立つ者が、そういったリッチな層の出自ばかりになるように誘導するのは、多様性の面でも問題があるでしょう。
このように「無償でなくてはいけない」という文化は、参入障壁を上げすぎることにつながりうるのです。
「無償こそ善」が行きすぎると、とくに「無償活動がしやすいフィールド」「無償活動をアピールしやすいフィールド」では、他で十分な収入がある者がモラルを金で買う場所となりかねません。
たとえば「noteの収入を全額寄付します」と言うのは、もともと十分な収入源を持ってる医師にとっては容易いことですが、noteをメインの仕事のフィールドとしてがんばってる人にとっては難しいことです。
コラムリストの故小田嶋隆氏も、最期の原稿でライターの収入源の乏しさを指摘してらっしゃいました。
小田嶋隆氏も期待を残された通り、文章の質に値段がつくと信じて、noteで文章を書いて生活のための収入源の足しにしようとしている人は少なからずいることでしょう。
そうしたnoteを収入源にしてる人たちを尻目に、「noteの収入を寄付する自分」が清い人間であるかのようにアピールすることは、むしろ人の仕事場を価格破壊で荒らす嫌がらせに近い汚い行為とさえ言えます。それが他で大きな収入源を持つ人間であればなおさらです。
noteは公式自身がクリエイターが課金ビジネスを始めやすいようにしているところがありますし、その面でも適切ではないでしょう。
このように、「営利が悪」で「非営利が善」という二項対立を前提にしてしまうと、「非営利活動をする余裕がある者」ばかりが善性を得ることが容易になってしまいます。
それはフェアではないと江草は感じます。
念のため注記しておきますと、江草はなにも「無償のボランティア活動が悪」と言ってるわけではありません。
市場原理なんて全然完璧ではないのですから、無償のボランティア活動は社会にとって不可欠です。
ただ、無償活動が推奨されるのはできる限り緊急かつ臨時な場面に限るべきです。慢性的にボランティアに支えられておきながら社会にとって継続的に必要な活動は十分な金銭的収入の導入を検討すべきでしょう。それによって善いことにお金を出すという姿勢、「お金をもらう=悪」ではないという文化につながると思うのです。
少なくとも、無償でボランティア活動をする生活の余裕が無い者を、悪と貶めるような扱い方は危険でしょう。
なので、江草もあえて自分のブログやnoteにアフィリエイトをつけてるところがあります。
リンクを記事に貼りやすいという利便性もあって好きなんですけれど、「頑張った結果で収入が得られる」という文化を毀損したくないという想いもありまして。
めちゃくちゃ弱小ブロガーなもので正直アフィリエイトはびっくりするぐらい利益ないんですけれど、わざわざ無償活動でなくしてるのです。
そういうわけで、江草は「(ほんのちょびっとだけど)利益相反はありま〜す」と高らかに宣言したいと思います。
江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。