暴論を各個撃破するよりも良い方法
一歳未満の子どもにハチミツをあげてはダメなのはボツリヌス菌のせいというのは知っていたけれど、「ではなぜ一歳になったらあげてOKなのか」が恥ずかしながらわからなかった。実は過去に学んでたのかもしれないのだけれど、すっかり失念していた。
こっそり調べてみると、どうやら1歳未満の子は腸内細菌叢が未熟でボツリヌス菌の増殖を許してしまうかららしい。
なるほど。
おそらく離乳食もそこそこ進んで腸内細菌叢が安定する時期がちょうど1歳ということなのだろう。
この腸内細菌叢による防御というのは、ちょうど昨日の「言葉のブレーキ」の話に通じるものがあるように感じる。
昨日も述べたとおり、世の中、言葉のブレーキが壊れてしまい、言葉が感情とともに暴走してしまう時や人がしばしば見られる。
そうした暴走を止めるための方策としてまず思いつくのは一つ一つに丁寧に反論することだけれど、おそらくそれはうまくいかない。ボツリヌス菌を排除しようとして、一匹ずつピンセットでつまんで取り出そうとしているようなものだからだ。そうこうしているうちに菌はどんどん増えていく。1匹つまんでる間に、何百何万と増えているかもしれない。なにせ相手は指数関数的な増殖なのだ。
Twitterでも有志が不合理な論一つ一つに丁寧に反論していく姿がしばしば見受けられるけれど、それが現実には焼け石に水なのはこのためなのだろう。
だから賢い戦略はそれこそ細菌叢を構築することなのだろう。
各個撃破するのではなく、単純に悪玉菌が増殖するスペースがなければよいのだ。
言葉というのは周りに影響を与え増殖しようとする性質がある。まさに細菌だ。だから、各所で多様な言葉が力を持って互いに互いが増えすぎないように敷き詰めれば、悪玉菌が混じり込んで来ても大きな問題にはなりにくいはずだ。
自分の言葉を持たない者は未熟な赤子の細菌叢に近い。自身に「言葉の細菌叢」がないゆえに、すぐに他人の言葉の侵食を許してしまう。
そうしたナイーブな人々が社会に多ければ多いほど、悪玉菌が拡大する危険性は高くなる。
従って、悪玉菌の暴走を懸念する者がやるべきことは、いちいち悪玉菌にからんでいってつまみだしていくことではなく、とにかく先に社会をナイーブな環境から脱出させ、なにかしらの細菌叢で敷き詰めることであろう。
それは一種類の菌でなくてよい。どんな善玉菌に見えても増えすぎるとたいがい害が出てくるものなので、むしろ多様である方がよい。
人が自分で考え、自分の言葉を紡ぐようになれば、おそらく自然に多様になる。
そうして、各個人が簡単に他人の言葉に右往左往せず、洗脳されず、適切に懐疑するそういう文化を、いわば社会内細菌叢を、健全なバランスで構築することができれば、悪玉菌に社会の免疫が追いつかなくなる敗血症を防げるはずだ。
それはすなわち社会が乳児期を脱する成熟とも言えよう。
もちろん、これは全くもって簡単なことではないが、危険な言説を各個撃破するよりは可能性があるように思うのだ。