見出し画像

子どもの「これかってー」を社会はどう受け止めるべきか

「パパー、これかってー」

この言葉を聞いて「くっ、やられた!」と悔しい思いをした経験を、親御さんなら誰もが持たれていることでしょう。店で買い物をしている時に、連れていた子どもが面白そうな商品を見つけて駄々をこね始めるアレです。

「アンパンマンのクリスマス靴下型のデザインのお菓子詰め合わせって、まだ11月やないかーい!」と内心ツッコミを入れたくなるものの、それを見つけてしまった子どもをなだめるには、親として毅然とした態度で断るパターナリズムを発揮するか、諦めて気が早すぎるクリスマスプレゼントを提供するしかないわけです。それだけ子どもが欲しいものを見つけてしまった時の執着パワーはすごい。

以前、トイザらスの店の前を通る時に子供の目を塞いだまま抱っこして急いで通り過ぎるパパを映した動画をSNSで見かけた記憶があります(元ネタのタイトルやURLなどは失念)。明らかなる危険地帯を察知して回避しようとする微笑ましいパパの努力に「わかるー」と共感の嵐で結構たくさんのいいねがついていました。本当に多くの親御さんが「これかってー」に苦労されてることが分かります。

困ったことにこの苦労に拍車をかけるのが、お店の側もこうした子どもの性質をターゲットに商品を配置していることです。子どもの目線の高さに合わせてお菓子を配置したり、必ず通らなきゃいけないレジ横におもちゃを置いておいたり。どうにかして子どもに商品を見つけさせて「これかってー」トリガーを引き起こそうとしているわけです。

お店の方も、子どもの執着心に訴えるのが購買に繋がりやすいことに気づいてるんですね。そこをターゲットにしています。

最近は消費者は賢くなってきています。マネーリテラシーも高まって、堅実な買い物をするようになりました。理性を持って衝動的で無駄な買い物は控える、それが大人です。だからCMを見ても「はいはい、宣伝、宣伝」と受け流すし、ブラックフライデーなどの驚くほど頻繁に訪れる大セールも冷静に必需品だけ買ってお得に使いこなすわけです(なお、当の江草はブラックフライデーで衝動的に本を15冊ほど買ってしまいました)。

その分、財布の紐が固い大人たちをなんとか動かそうと、販売側も手を変え品を変え、購買意欲を高める技術を磨き続けています。先述した連発されるセールもそうですし、何でもかんでも期間限定品だらけになってる店内もそういう試みと言えるでしょう。

いわゆるイタチごっこですが、それだけ販売者と消費者の厳しい駆け引きが現代消費社会の前提となっているわけです。まあまあのリテラシーを持ってる大人ですら、つい消費をしてしまうハードコアな世界と言えます。

ところが、子どもはやっぱり未熟な存在ですから、そうした自分を抑える消費感覚はまだ身についていません。欲しいものを見つけたら欲しくてしょうがなくなる。「割高だ」とか、「必要ない」だとか、そうした考えを頭に思い浮かべることはなく、「ただ今すぐそれを手に入れなければならない」と突き動かされてしまいます。

そんなマネーリテラシーを欠き衝動的な子どもたちは、消費者と販売者がしのぎを削る仁義なきこの消費社会では、いの一番の餌食になるのも当然です。

それで店舗では子どもたちにわざわざ見せつけるように商品が配置されるというわけです。もっとも、子どもたち自身には商品を買う資金力はないので、「これかってー」ボムを誘発することで財布を握っている親が根負けするのを狙ってるのですが。

このことは、つまり子どもを育てるというのは必然的に消費を誘発されがちになるということを意味してます。親がいくら堅実に財布を守っていても、子どもがそれをこじ開けてくる。これは過酷な現代消費社会においてとても不利な条件と言えましょう。

「子育てにお金がかかる」と言われる時、あまりこの点は意識されてない気がしてなりません。食費や教育費などの子どもに対する必需品の支出のみが注目されて、子ども自身が所有欲を誘発されて買うのをねだる贅沢品の支出はスルーされている。でも、確かにそこに消費は発生してるはずなんですよね。

たとえ頑なに親が子どもの要求を拒み乗り越えたとしても、ギャン泣きする子どもとの争いでストレスをためた親は自己抑制の余力を失いがちですから、結局は「今日は疲れたから自分のためのご褒美」などとして大人用の無駄な消費が喚起されることも普通にあり得ることでしょう。

こうした、子どもが衝動的であることからくる消費コスト。それは金銭面でもそうですし労力面でもそうですが、隠れた大きな支出なんですよね。このことを持ってしても「子どもにはお金がかかる」と嘆く親たちの声の重みがしのばれます。

そしてそれこそ大人たちが培った堅実なマネーリテラシーに基づく冷静な計算から「子どもにはお金がかかるから諦めよう」と、個々のご家庭で少子化につながる判断が下される遠因となってる可能性も否定できないでしょう。あまりに高度に発展した消費社会において、無垢な子どもを連れて歩くのは、戦場に連れて行くにも等しい大変に危険なリスク行為と判断されてしまうのです。

だから「子どもの購買衝動をどう扱うか」は実は結構な社会問題でもあるのではないかとも言えるわけです。

さて、ではどうするか。

素朴な策としては、露骨に子どもの購買衝動をターゲットにするようなおもちゃの配置やデザインをやめろという規制なり空気なりを作ることでしょうか。

ただ、いち親として「そうしてくれると助かる」と思いつつも、そうすると収益がなくなった子供用の商品やサービスを提供するお店やメーカーが潰れてしまうかもしれないなとも思うのです。

ここまで一見悪者かのように扱ってきてしまっていますが、実際には育児生活を豊かにする上で、子ども向けのビジネスをしてくれてる企業たちはむしろありがたい存在であり、彼らをいじめて潰してしまうのは得策ではないと考えています。

おそらく彼らも企業として生き残るために仕方なく子どもの購買意欲を煽ってるだけに過ぎないのでしょう。ただでさえ少子化が進み、子ども向け市場が急速に縮小していってる状態です。キツイ規制をかけて子ども向けの企業がさらに撤退してしまうと、子育て世帯のユーザーエクスペリエンスも悪化し、さらに人々が子育てしたくなくなるという悪循環にも陥りかねません。

だから、ほんというと必要なのは逆転の発想なのかなと思います。

そもそも、未熟であって当然の子どもたちに衝動を無理やり抑え込ませたり、物分かりを求めたりというのは不自然でしょう。それが不自然だからこそ、親が子を我慢の方向に誘導するときに、子の大変な抵抗にあって疲弊するわけです。

ある程度はもちろんしつけとして必要な時はあるでしょうが、それにも限度があります。全てを欲しがり全てを手に入れるのがやりすぎなのと同様に、何も欲しがってはならず何も手に入れられないのも逆方向にやりすぎでしょう。子どもは子どもらしい程度に欲しいものを欲しいと言える世の中であるべきでしょう。

しかし、世の中では子どもが欲しくなりすぎる物がこれみよがしに無節操にアチコチに置かれている。これだと頻繁に「これかってー」に遭遇する親たちが態度を硬化させるか、あるいは子の言うままに何でも買ってしまう隷属状態に陥ってしまうでしょう。そうでなくとも地雷原を生きて通り抜けようとするような行程に大変に疲弊することは避けられません。

なので、子どもの購買衝動をちょうど良い程度に解放してもらっても大丈夫なような社会的仕組みこそが必要です。親が財布の痛みを気にしなくていいように潤沢な資金援助をするとか、多少は好きに触って持ち出しても大丈夫なような(後で返せる?)スタイルを築き上げるとか。そしてまた同時に、子ども向けの店舗やメーカーが過度に刺激的に子どもを煽らなくて済むような子ども市場全体へのテコ入れも望まれます。

恥ずかしながら、正直、ちゃんとした具体的な案までは思いつけてはないのですが、何かしら社会に子どもを子どものまま自然に受け入れられるような、そうした方策がないと、結局は金銭的および労力的圧力から出産育児忌避が進むんじゃないかと懸念しています。

そしてこれらの方策を実現するには親たちや子ども向け店舗やメーカーなどの当事者たちの努力だけでは限界があるでしょうから、大きな社会的な協力を要するはずです。

「こどもまんなか」と国も活きのいいスローガンを掲げているのですから、子どもの「これかってー」に親ができる限り苦悩しなくて済むように何か思い切った手を打ってくれないかなあと思う今日この頃です。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。