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「時間をじっくりかけること」の大切さ

ぷーおんさんの「倍速視聴」について考察されてるブログ記事に触発されまして、今日は「時間のかけ方」をテーマにしますよ。



このぷーおんさんの記事。何を倍速で観て、何を等速で観るのか、フローチャートも用いて丁寧に整理されていたのはさすがでした。こんなふうに自分なりの視聴速度ポリシーを明文化してる人はかなり少ないのではないでしょうか。

特に、記事から得られる大事なメッセージは「倍速視聴で得られる学びは倍速視聴なりの浅いものになってしまうから学びたいなら時間をかけるしかない」という点でしょう。


これには愕然としました。何時間も費やして得たはずの情報が、次の日にはどこかに霧散してしまう。観たという記憶を引き出すことはできても、そこから何を得たかを説明できない。できたとしても、費やした時間とは到底釣り合わない「薄っぺらな要約」や「浅い感想」しか出てこない。

これは本当に「学び」と言えるのだろうか? もしかして僕は、膨大な時間を無駄にしていただけなのではないか?

倍速視聴とは何か – コンテンツとの付き合い方を考える


ぷーおんさんを含めた知的生産技術界隈では、ObsidianやLogseqなどの最新ツール、ZettelkastenやEvergreen notesなどの高度な知識整理ノウハウの話が飛び交っています。

彼らの話を一見しただけの方は、ひょっとするとこうしたツールやノウハウをマスターすればひょひょいのひょいと知識が簡単に短時間で得られるようになるのだと錯覚してしまうかもしれません。

ですが、彼らは口をそろえて言います。

「考えることや学ぶことに楽はできない。頭を使い時間をかけるしかない」と。

あくまでツールやノウハウはその補助であって、省略できる作業を省力化してくれるだけです。
核となる考える作業や学ぶ作業はどうしても時間と労力を費やすしかないのです。


そう。

「じっくり時間をかけること」の大切さ。

「いかに時間をかけないか」ばかりが意識されている倍速視聴の世にあって、悲しいことにこれは多くの人に忘れられてしまってると思うのです。


たとえば、最近頻繁に紹介している書籍『限りある時間の使い方』『何もしない』においても、人生において「時間をじっくりかけること」の大切さが訴えられています。

これらはあくまで別々の書籍でありながら、どちらも美術作品をじっくり鑑賞する体験を語られていたのが印象的でした。

多くの人は美術作品ひとつにせいぜい数分間程度しか足を止めません。なぜなら美術館の中にはまだまだ多くの見るべき作品があって、限られた訪問時間の中でそれらも回って見たいからです。だから一作品にそんなに時間がかけられない。そして、実際に時間をかけません。

ですが、あえて一作品をじっくり(たとえば数時間)鑑賞した話が両書ともに出てきています。その詳細は書籍をぜひ読んでいただけたらと思うのですが、それだけじっくり鑑賞すると作品を一見しただけの時と違って作品のディテールの見え方の深みがまるで変わってくるのだと言います。

どうやら短時間の鑑賞では、私たちは残念ながら美術作品を十分に味わえてないようなのです。

YouTubeに多くの観たい動画がある中でも、ちゃんと学びたいのなら特定の動画をゆっくりメモを取りながら観ることも必要だとする、ぷーおんさんの記事にも通じるところがありますよね。



これらのことから、「いかに時間をかけないか」ばかり考えて、なんでもかんでも倍速視聴のように人生を生きてしまうと、残念ながらそれは浅い人生体験にしかなりえないと言えるでしょう。

学ぶにも味わうにも、人生には時間がかかるものなのです。


だから、もし、人生に味がしなくなったのなら「できる限り時間をかけないように生きていないか」の点検が必要です。

なんでもかんでも倍速で駆け抜けてひたすら多くのことをこなしたからといってその豊潤な風味を味わえるわけではないのです。
たとえば、ホットドッグの早食い競争中にちゃんとホットドッグの味がすると思いますか?


だから、誰もが、等倍速、いえ、いっそのこと1/2倍速で、じっくり味わうような何かを人生において持っておくべきなのです。

自身でじっくり味わおうと思い、じっくり体験している何かを。

たとえ多くの他人がそれを足早にスキップしていたとしても、それでも自分はじっくり時間をかけようと信じられる何かを。

そのようなじっくり時間をかけているものがないのなら、人生が無味乾燥になるのも当然なのです。
一人で勝手に人生の早食い競争をやってるだけなのですから。


もちろん、全てのものごとにじっくり時間をかけるのは不可能です。
ところどころでどうしたって倍速視聴的に「時間をかけないようにしないといけない場面」も出てくるでしょう。

ですが、何かにはじっくり時間をかけましょう。

それだけはぜひとも死守しましょう。

そうでなければ、まとめブログに載ってる「自分の人生のあらすじ」だけ読んで人生を済ませるような「ファスト人生」になってしまいかねないのですから。




(なお、「時間をかける」と「時間がかかる」は厳密には別の概念でして、この違いに注目するのも非常に面白いテーマなのですが、これについてはまた機会があれば書くかもしれません。今回はあまりこの辺を区別せずに曖昧に使っております)


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