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『考える技術・書く技術』読んだよ

板坂元『考える技術・書く技術』読みました。

本の断捨離作業の中で本棚から発掘されたもの。
多分、少し前に知的生産技術関連の本を買い漁ってたころにまとめて買ったまま積んでしまっていたようです。

内容はオーソドックスな知的実用書。頭のトレーニングから本の読み方、メモやノートの取り方、アイディアの出し方、文章の書き方と、ほんと一通り押さえてあります。

これだけ聞いたらよくあるビジネス書の一冊のように聞こえてしまうかもしれませんが、本書を今読むにあたって最も特徴と言える点は本書が1973年に出版された本であることです。知的生産技術ジャンルの往年の名著、梅棹忠夫の『知的生産の技術』や川喜田二郎の『発想法』とほとんど同時代(本書が一番後輩にあたるようですが)の書籍です。
したがって、私たちが毎日触っているスマホはもちろんパソコンだって全然登場してない時代の実用書なんですね。なので、メモを取る媒体をルーズリーフにするか、カードにするか、筆記具は何を選ぶか、鉛筆の芯を何で削るかなど、とにかくアナログなノウハウが並びます。

節々に雑談的にはさまれる時事ネタも、当時のアメリカ大統領であったニクソン大統領への皮肉であったり、三島由紀夫の事件についてだったりで、めっちゃ昭和です。それがほんと「最近の話」として生々しく語られます。これが現代からすれば逆に新鮮で、とても面白いのです。

とくに、現代の私たちからすると一番驚くであろうことは、著者が「この情報過多時代においては情報をいかに捨てるかが大事である」と説いていることです。当時はまだ1970年代ですよ?たとえば日々発刊される雑誌の情報をどう押さえるかなどで著者も頭を使っているのです。
その後のデジタル機器の発展やインターネット世界の開闢によって、もっともっと莫大な天文学的な量の情報に圧倒される時代を知ってる私たちは「なんてこった」と頭を抱えざるを得ないでしょう。当時の情報量ですら人間にとって過大であったなら、今の私たちの時代はそりゃ情報をうまく扱えるわけもないなと。


じゃあ肝心の知的ノウハウはアナログ過ぎて役に立たないかと言えばそうでもありません。

もちろん、さすがに現代では陳腐化した話もあります。録音にテープレコーダーを使っているという話の時に、著者は「ポケットサイズのテープレコーダーがあったらなあ」と嘆いていますが、今の私たちはスマホで余裕で録音できる世界に住んでいます。やっぱり時代による技術の圧倒的な差は否定はできません。
ただ、現在の方がいくら技術が発達しているとはそれを私たちがうまく使えてるかといえば話は別でしょう。たとえばスマホの録音機能を私たちはうまく使えているでしょうか?メモ機能は?電子書籍は?
いくら高度な技術でも何も考えずに使っていれば、あるいは全然使っていなければ、宝の持ち腐れです。

手法がアナログすぎて今ではさすがに使いにくいノウハウも、「なぜそうするのか」というその本質的なねらいを聞くことは学びになります。
また、先の「情報をいかに捨てるかが大事だ」もそうですが、昔の時代に語られたことにもかかわらず、今でも全くそのまま通じる教えもあります。
時代が違っても技術力が違っても、共通する大事な考え方がそこにはあるのです。

少し昔の本を読むことの効用はこういうところにあります。
まさに同時代を生きる人によって綴られた最新書籍を読む時、確かに最先端の話を追えてる感覚があります。ただ、それは流行りに浮かされた本質的でない幻である危険性も同時にあるでしょう。
しかし、少し昔の本を読むことで、私たちは私たちの時代や技術を俯瞰して見つめることができます。
限界はあるにせよ、あえて現在から離れ、時代や技術によって左右されにくい視点を時々得ることは、流行りに流されない冷静さを取り戻す上で時々はしてみるのも良いんじゃないでしょうか。


そんな温故知新な感覚を呼び起こさせてくれた読書体験でした。

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