『成瀬は天下を取りにいく』読んだよ
宮島未奈『成瀬は天下を取りにいく』読みました。
本屋さんに行くとよく平積みされてたり、宣伝ポスターみたいなんが貼られてたりしていて、以前から気になっていた作品。
ジャンルとしては滋賀を舞台にした青春小説らしい。江草もちょいちょい小説読みたいバイオリズムになるのもあってついに買ってみたのでした。
そして、読了。
いやー。良い。良いですな。さすが推されてるだけある。
心が洗われる感じがいたしますね。
まず、とにかく読みやすいのでサラリと読めました。
主人公である成瀬あかりを軸に全ての話は展開はしていくものの、本作は構成としては短編集に近いです。本書では彼女の中学〜高校時代が描かれてるのですが、章ごとに作中の時系列を少しずつ移動していく仕組みなんですね。この区切りが明確な構成のおかげで読み手はちょくちょく息継ぎができるので、とてもとっつきやすいです。まあ、全体のボリュームもそう多くないので一気読みも全然可能です。
それにしても文体も内容もライトな口触りでスッキリ爽やかです。
青春小説ではありますが、本作は変に暑苦しくないし、恋愛要素強めでスイーツスイーツなんてことにもなってないのが、この喉越しの良さにつながってるんですね。
たとえば世のポカリスエットのCMなんて典型的な青春イメージですけれど、アレでもちょっと本書に比べると押し付けがましいかもしれませんね。
主人公成瀬のさっぱりしたキャラクターがなせる技だと思うのですが、とにかく爽やかで清々しい気分になれます。多分、琵琶湖の色や湖面は、ポカリよりも青みや塩分や甘味が控えられたクリアな淡水らしいたたずまいなのでしょう。
こう書くとなんか淡白な作品なのかなと思われちゃったかもしれないですが、全然そんなことはありません。
確かに、宇宙人の侵略から世界を救ったりもしないし、人里離れた洋館で密室殺人が起きて探偵が推理を始めたりもしないし、泥沼の三角関係で男女の愛憎が渦巻いたりもしないし、現役女子高生がかるたクイーンの座を奪ったりもしません。そのような大事件は本作では一切起こりません。
起こるイベントといえば、大津の西武百貨店が閉店したりとか、M-1グランプリの予選に出てみたりとか、地域の夏祭りが開催されたりとか、ことごとくローカルで等身大で地味なものです。タイトルこそ「天下を取りに行く」と大きなことが書いてありますが、実のところそんな「天下布武」的な状況には全然ならないんですね。
にもかかわらず、主人公成瀬のたたずまいに私たちは「天下」を見てしまうのです。なんなら私たち読者に限らず、作中の登場人物もみな成瀬にそう感じさせられてしまってます。この主人公成瀬の圧倒的存在感が本作の素晴らしい魅力です。
昨今のグローバル時代にあって「大きな仕事をしないといけない」「成功しないといけない」「歴史に爪痕を残さないといけない」といった強迫観念にとらわれがちな私たちにとって、滋賀ローカルの範囲で「天下」感を見せつけてくれる成瀬の姿は恐ろしくまぶしく映ります。
作中で成瀬は時に「ホラ吹き」扱いもされてしまいますが、むしろ見栄で大きなことばかり言ってるくせに本当は内心で臆病で汲々としている世の大人たちの方がよほど「ホラ吹き」なのではないでしょうか。真に「天下を目指してるかどうか」には、「グローバルな仕事かどうか」とか、「大金がかかってるプロジェクトなのかどうか」とか、「史上初の偉業なのかどうか」とか、そんな外形的なことではなく本人の内面的なことの方が大事であることを成瀬は教えてくれます。「天下取り」には舞台の大小は関係ないのです。
自分に正直で物怖じしない成瀬の姿勢に憧れない大人はきっといないでしょう。けれど、つい憧れてしまうということは私たちがそうした姿勢を失ってしまったことの裏返しでもあるのです。
そういう意味では、この青春小説はちょうど青春真っ盛りの子どもたちよりも世間にまみれた大人たちの方がぶっ刺さるかもしれません。
育児期真っ盛りの江草も、乳児や幼児の振る舞いから自分が忘れてしまった大事なことを思い出させてもらってるなと日々感じます。子どもたちには大人たちの「人生の忘れ物」を指摘する力があります。本作でも、純粋で真っ直ぐに伸び伸びと生きている若き成瀬から、大人たちは自分たちがいかに小さくまとまってしまっていたか、いかに自分を曲げて生きているかを思い知らされることでしょう。
青春とはやはり真っ直ぐさ。
その真っ直ぐさがストレートに味わえる本作は、まさしく青春小説の真骨頂なのです。
さて、本作、ある種の群像劇になってるのも魅力です。
主人公成瀬が圧倒的中心にいながらも、その成瀬から影響を受ける周囲の人々の様子にこそ実は結構スポットライトが当たってるんですね。
成瀬の言動が意外なところで人間模様に変化をもたらす。つまり、成瀬個人単位の、いわばローカルな「天下」プロジェクトも結局は個人のうちにとどまらず周囲に影響を与えるわけです。
誰かが周囲に影響を与える時、その周囲がさらに周囲に影響を与えて、と連鎖して、個人の影響は結局は真にグローバルな意味での「天下」につながっていく。なんなら、本作の主人公の成瀬がそうであったように、自分の影響を受けた人からの影響を自分自身が逆輸入的に受け取ることもある。
こうしたローカル性とグローバル性のつながりの描き方には、つい仏教の「縁起」的な考え方を感じますね。作者の方が意識されてたかはわかりませんが、全てのものが相互作用し合ってるのが「天下」だとする仏教の縁起の感覚からすれば、本作最後の(そして続編最初の)あのキメ台詞もなかなかに深い含蓄が感じられます。
そして、ローカル性の描き方で言えば、とことんまで滋賀ローカルネタが詰め込まれてるのが本作の特徴でしょう。
江草は滋賀にほとんど縁がなく、正直なところ本作にふんだんに施されてるローカルネタは分からないこと尽くしなのですが、その描写の細かさに圧倒的なリアリティを感じざるを得ません。
西武大津店の閉店などは史実通りらしいので、「リアリティ」などと言うと変かもしれないのですが、現地ローカルを知らない人間からすると「行ったことないし知らないけど実際にこんな場所がありこんな雰囲気なんだろうな」と感じさせてもらえることは、まさしく「リアリティ」と呼ぶべき感覚でありましょう。旅行や出張で知らない土地に行った時に、普通に家が立ち並び人々が生活している様を見て、なんだかしみじみするあの不思議な感覚とも似ています。
そう、この「知らない場所なのにリアリティを伴って存在を感じられる」ということ。この世界には自分の知らない場所や人々がたくさん存在していて、現実の「天下」そのものが壮大な群像劇なんだなと感じさせてもらえるのが、本作の精細なローカル描写の素敵な効果なのです。
滋賀県民はもちろん楽しめると思いますが、全く現地のことを知らない滋賀民以外でも「知らない土地の空気」を吸う旅行気分が味わえるという意味で素晴らしく楽しめる作品となっていると思います。
ってか、滋賀行ってみたくなりますね、これ。
とまあ、そんなわけで、本作でとても爽やかで前向きな気分にさせていただいたので、江草も天下を取りにいきたくなってきました。
人生は面白い可能性に満ちている。
やったるでー。
※なお、続編も買ったので、早速読み進めております。
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