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夢の達成に他者の承認は必要なのか

先週の回なのですが、この週末にNHKプラスで『映像の世紀バタフライエフェクト』の「宇宙への挑戦 夢と悪夢 天才たちの頭脳戦」の回を見ました。

主役となる二人の対照的な描写になかなか考えさせられるところがありましたので、ちょっとその感想を書いてみます。

主役は宇宙に魅せられた二人の男、フォン・ブラウンとコロリョフ。それぞれ米ソの宇宙開発の立役者です。

フォン・ブラウンは、第二次世界大戦時代はナチスに協力しておきながら、戦後はすぐさまアメリカに移住しアメリカに忠誠を誓っています。その変わり身の早さから日和見主義者と非難されながらも、目的のためには手段を選ばず、ただひたすらに宇宙旅行という自身の壮大な夢の達成に邁進した姿が描かれてました。
結果、アポロ計画で人類初の月面着陸という偉業を果たすことになります。

一方のコロリョフはソ連の政争に巻き込まれ一時収容所生活を送る羽目になりながらも、獄中でもロケットのスケッチを書き続けていて、宇宙への情熱を絶やさなかったそうです。その後、宇宙開発の技術を買われ、恩赦を受け出獄。ソ連の宇宙開発の中心人物となります。スプートニクやガガーリンの成功の立役者が実はこのコロリョフでした。
フォン・ブラウンとまた違った形での宇宙愛の静かな強さが感じられました。


国は違えど、二人とも宇宙への強い想いを持った優秀な宇宙開発者という点では共通しています。実際に二人ともかなりの成果を成し遂げたという点も。

しかし、二人には対照的な点もありました。

フォン・ブラウンはアポロ計画を成功させたとして時代の寵児となり全世界から称賛を受けました。人類史上に残る一大事業を成し遂げたわけですから、それはそうなりますよね。

一方のコロリョフは、なんともソ連らしいというか、あまりに重要人物だとして、暗殺を恐れた当局からコロリョフがソ連の宇宙開発の責任者であることは秘密にされてたのだそうです。
だから、世界初の人工衛星スプートニクが成功しても、ガガーリンが初の宇宙飛行を成し遂げても、その功績者がコロリョフだということは誰にも知られることはありませんでした。当然人々から称賛されることはなく、ソ連国内のパレード会場からさえ他の一般人と同様にあぶれて締め出されるほどだったとか。
死後ようやくその功績が公表され、名誉を与えられたそうなのですが、本人にとっては生涯を通じて日陰の人であったわけです。


番組の、表舞台で華やかに活躍し称賛を浴びるフォン・ブラウンと、生涯秘密裏に黙々と仕事をしたコロリョフの対比がとても興味深かったのです。

こう見せられると、公に讃えられたフォン・ブラウンの方が恵まれていて、たいして褒められもしなかったコロリョフの方が悲劇の人のように最初は思いました。
でも、後から疑問が出てきたのです。

ほんとうにコロリョフは不幸だったのかなと。

コロリョフは当局から秘匿されるほどの人物だったためか、日記も全く残っておらず、実のところコロリョフ自身がどう感じてたのかは分からないそうです。
幸福だったのか、不幸だったのかは推測しかできません。

一方、フォン・ブラウンは露出も多い人だったようで、記録が残っています。
番組でも印象的なモノローグが紹介されていました。
確か「自分ほど大きな夢の実現が達成できた人は他にいるだろうか。仮に今死んでしまったとしても人生に全く悔いはない」とかそんな感じのニュアンスです。
なんとも、相当の達成感が伝わってきます。


でも、よくよく見てみると、あくまでフォン・ブラウンも自分の夢の実現ができたことに注目してるのであって、他者から称賛されたことは別に言ってないのですよね。
もちろん、番組で切り取られてるだけで他で言ってるのかもしれないですし、それを言うとイヤミっぽいから言ってないだけかもしれません。

ただ、私たちが「夢を実現したい」と考える時、確かに「他者からの承認や称賛」を条件には入れない気はするのです。

たとえば、「月面に人類を立たせたい」という夢を持つ人は、「月面に人類を立たせること」に貢献できたら十分に夢の実現と考えるのではないでしょうか。
「月面に人類を立たせることに貢献」かつ「その貢献をもって他者から称賛を浴びる」の2つの条件が満たされないと夢の実現と言えない、とはあまり言わないように思うのです。

であれば、スプートニクやガガーリンの成功という相当な偉業を成し遂げたコロリョフも、夢の実現という意味では十分すぎるほどの成果であり、他者からの称賛などなくとも幸福だったと考えてもよいはずではないでしょうか。


しかし、なんとなく私たちは功績や貢献が承認されたか、称賛されたかを気にしてもいます。
がんばって成果を挙げた時には、なんとなく人に知ってもらって褒めてもらいたくなります。そうでなければ不満や不幸に思いがちです。
がんばって成果を挙げた人を見かけたら、みんなに知ってもらって讃えてあげたくなります。そうでなければ不憫やかわいそうに思いがちです。

ただ、あくまで「他人から称賛されるかどうか」は夢の実現とは別の話のはずなのですよね。


そうなると、私たちは「夢の実現そのもの」と「夢を実現したという偉業を讃えられること」のどちらを本当は求めてるのかという問いが生まれます。

人に知られずとも自分の夢がかなえばそれで良いのか。
自分の夢がかなったなら必ず人に知ってもらわないといけないのか。
人が抱く夢には自然と「他者の視線」が含まれてしまうものなのか。


たとえば、「世界平和」みたいなとてつもなく大きな夢を考えてみましょう。
なんと、あなたのすごい能力や努力によって世界平和が実際に成し遂げられるとしましょう。とてつもなくすごい偉業です。
しかし、あなたの貢献を世界は誰も知らず、全く讃えてくれないことが分かっているとしても、あなたは世界平和に向けて尽力するでしょうか。
もっと極端な話、世界平和が実現する代わりに、なぜかあなたが人々からけなされたり嫌われるというひどい設定だとしても、果たしてあなたは尽力するでしょうか。

もし、それで諦めるのであれば、夢の実現には「他者の視線」が不可欠な条件として重要な役割を果たすということになります。

夢そのものが実現するだけでは足らず、他者からの承認も欲しいのだと。

なんかモヤモヤしますが、そうなっちゃうのです。


いやはや、夢ってなんなんでしょうね。

番組の趣旨とは全然違いそうですけれど、そんなことを考えさせられた回でした。

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