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医療者も陥りがちな「効果がある→やるべき」論の問題点

昨日は地域枠制度に関連して「効果がある→やるべき」という論法を批判しました。

しかし、地域枠に限らず、この「効果がある→やるべき」という安直な論法はしばしば見受けられます。
残念なことに医療関係者もけっこうやっちゃってます。


たとえば、先日も反健康主義的な著作で知られる大脇氏がいつものごとくTwitterで議論くちげんかをされてました。

全く詳しくないので江草は小児におけるワクチンのエビデンス自体は分かりませんが、この議論のフレームだけで言えば正直なところ批判者(Io302氏)の方が論が甘いです。

大脇氏が「有効性があるのと言えるかもしれないけど十分でない」とのニュアンスの語り口で「正味の便益」について念頭を置いてるのは明らかなのに対し、批判者は「効果がある」としか指摘していません。
「効果があるから→やるべき」という問題の論法に陥ってるわけです。



一般に何かを「効果がある」として「やるべき」と言うためには、以下のステップを踏む必要があります。


Q1.それは本当に「効果がある」か

↓ ある

Q2.それを行うことに付随するデメリットも把握しているか

↓ はい

Q3.「効果がある」というメリットが付随するデメリットを上回る「正味の便益」が確かにあると言えるか

↓ はい

Q4.それを関係者に納得してもらっているか、もしくは、正当な手続きを踏まえているか

↓ はい

やるべき!
江草による制作


なので「効果があることを示すエビデンスがある」から急に「やるべき」を言ってしまうと途中のステップをぶっ飛ばしてしまってるんですね。
それでは「やるべき」という主張に対して要らぬ反感を買うのは当然と言えます。


SNSではとくにQ4が無視されがちなのが問題です。

「関係者の納得」というのは医療現場で言えばインフォームド・コンセントです。医療者側が「正味の便益がある」と信じてるだけでいきなりやるべきではない。そういうパターナリズムへの反省に基づいた医療倫理の精神を私たちは知っているはずなのです。

また、「正当な手続き」として、わかりやすいのは「法的な根拠」でしょうか。
いくら正当な目的、善意からであっても違法行為はよくないとする精神です。「目的が手段を正当化しない」というやつですね。
これも普段はみんな知っているはずです。

でも、カッとなるとついつい忘れてしまいます。


大脇氏も要するにそうした「慎重な議論」「手続き的正義」を大事にしているスタンスで、それで怒ってらっしゃるわけですね。


しかしあろうことか、Io302氏はそうした途中のステップの軽視を批判している大脇氏に対して「反ワクチン」とレッテルを貼っています。

これは健全な議論を阻害する極めて危険なやり方です。

「やるべき」かどうか以前のレベルの、「やるべき」とするための理路や手続きの雑さを批判することは、「やるべきでない」と主張することとは似て非なるものです。


この弁護士の平氏のツイートが(一般論として)まさしくこの問題を指摘しています。


別に江草は大脇氏に与するものでもありませんが(ワクチンも積極的に打ってますし医療大好きっ子なので)、誰に対してであろうとこういったずさんな批判の論法は良くないと思うのです。


で、もともとの「効果がある→やるべき」論に話を戻しますと。


途中のステップを軽視し、「効果を示すエビデンスがあること」をもって「やるべき」といきなりみなしてしまう態度は、いわゆる「有意症」とか「p-hacking」と同じ病根があるように思うんですよね。
すなわち「こうすべき」「こうであるべき」という自身の信念から逆算してエビデンスを探してもってくる、あるいは作り出すような姿勢です。
こういった姿勢は「確証バイアス」や「信念バイアス」に基づいており、適切な合理的態度とは言えないでしょう。
ましてやプロとして活動している医療従事者であればなおさら問題です。

もちろん、人というのは弱いもので、「確証バイアス」から逃れるのは誰にとっても容易ではありません。江草だって多分やっちゃってると思います。(江草は確証バイアスが人類最強の敵の一つとまで思ってます)

でも、だからこそそれを他者から指摘された時には謙虚に受け止めねばならないと思うんですよ。「指摘していただいて感謝」ぐらいの気持ちで。


個人の発言として適当につぶやいてるだけならまだしも、医療や公衆衛生の代表みたいな顔で医師がSNSで発信しているならば、やっぱりそれ相応の責任は発生します。

昨今のSNS上での医療者に対するバックラッシュも、一部医療者アカウントの「効果がある→やるべき」論法みたいなずさんなパターナリズムの実践が一因にあるのではと感じてます。

もちろんそんなことで全医療者が批判される筋合いはないわけですが、やっぱり、ずさんな論法を振りかざしている身内がいるならば、できる限りちゃんと内部の者からも批判をしなければ、医療者全体が信頼を失いかねないわけです。

とくに医療者は、査読システムに代表される内部での相互の「批判的吟味」を信頼の担保として誇っているわけですから、それを真摯に実践している態度を見せる必要はあるでしょう。

あまり「身内に甘い姿」を示すのは良くないです。


最後に「専門家がすべきでないこと」をきれいにまとめてくださってるツイートがあったので載せておきます。

(4)がまさに今回のテーマであったわけですが、他の点もとても大事ですので、これらに注意しながら発信していきましょう。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。