悪いなのび太、このデバイスは1人用なんだ
最近思うのは個人使用が前提のデバイスが多いなと。
たとえば最も身近なのはスマホですよね。スマホは個人使用が前提で、たとえ家族であっても共有は想定されていません。もちろん、パスコードを教えて好きに使ってもらうことは不可能ではないですが、あくまでそれは個人のスマホを貸しているという形でしょう。
iPadのようなタブレットなんて、家族で共有したくなりがちなデバイスですが、これもあくまで個人使用が前提で、どうしても共有したければ自分のIDを貸し出すか、特別に家族共有用のIDを作成するなどしないといけません。
ワイヤレスイヤホンもスマホとBluetoothでペアリングしてるのが前提で、不可能ではないまでも、他人に貸して使うみたいな使用方法は想定されてない感じ。
最近のものでいうと、AppleのVision Proもそうですね。約60万円というとんでもない高額ガジェットですが、あれもユーザーに合わせて調整設定されるるらしく、個人使用です。一応ゲストユーザー機能というのはあるみたいですが、「ゲストユーザー」とわざわざ銘打たれてることから分かるように、基本的には個人使用であると想定されてることには違いないでしょう。
とにかく、個人のIDとパスワードで入るのが前提で、他人には使わせないし、共有もしないものだよという傾向があるんですよね。
そういう意味で言えば、往年の「パーソナルコンピュータ」の方が、その名前にもかかわらず、むしろ共有していた感じがあります。家族一人一人でユーザーを作成して、各自使いたい時には自分のユーザーでログインするみたいな。
そういう名前のシャレつながりで言えば、ファミリーコンピューター(ファミコン)はまさにみんなで共有して使っていた「ファミリーな」存在であったと言えますね。
お茶の間のテレビをみんなで見ていた時代から、各自が自分のスマホとワイヤレスイヤホンで個々にYouTubeを見ている。そんな時代になりました。
個人クローズドの時代。
まあ、かつてテレビを共有していた時代にチャンネル権争いが熾烈を極めたことを考えれば、それぞれの好みのものを好みのように各自楽しめるようになったのは良い面もあるのでしょう。
ぶっちゃけ、江草自身、けっこうそうやって個人的に引きこもりたがりなところがあるので、必ずしもこのトレンドが悪いとも思ってはいません。
ただ、気づいたらどんどこどんどこ個人使用想定のものばかりになってきてる気がして、このトレンドの意味するところ、行き着く先は何になるのだろうと、ふと考え込んでしまったんですね。
1人用のデバイスばかりの社会は、それはすなわち、1人プレイヤー用の社会になってるとも言えるのでもないかと。
なんかそれはそれで寂しい気はしてしまいますよね。
【余談】
そういえば、以前、1人ではプレイできない2人プレイ専用のゲーム「It Takes Two」が以前NHKの番組で紹介されてました。
このゲームにはまさしく1人用社会になりつつあることへの抵抗のメッセージが込められてるように思います。
【もっと余談】
タイトルはドラえもんのスネ夫の定番セリフからのオマージュ。