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意外とお金のためでなく本気かつ善意なんじゃないかな

昨日の続きです。

「お金目的だ」と論敵を批判する手法がよくありますが、あんまり的を射てないのではないかというお話でした。

その理由として、

  • 人身攻撃の誤謬である

  • 「お金目的=悪い」と断定するのは難しい

の2点まで考えてみました。

では、続けていきましょう。

そもそもそんなにお金目的ではないのでは

意見を主張する人たち、とくに、過激な意見とか、逆張りな意見とか、マイナーな意見とか言う人達って、そもそもそんなにお金目的なんでしょうか。

個人の感想の域を出ないのですが、江草はあんまりそうは思わないのですよね。けっこう本気で自分の意見が正しい、社会にとって良いことと信じて主張してるのではないかと思うのです。

たとえば政治家やらコメンテーターやら、あるいはSNS上での論戦(口喧嘩?)で、ヒートアップされてる方々は良く見ますよね。
仮にそうしたヒートアップされてる方々が「お金目的」だったとするならば、彼らは「おっとここで論破されたら、収入が減っちまうぜ!」と考えながら発言してることになります。

この想定がなんとも不自然に思えるのです。
どっちかと言うと、彼らは本当に自分の意見を正しいと信じていて「(論敵に対し)こいつらはなんでこんな簡単なことがわからないんだ」と本気で怒ってると見るほうが自然な説明のように感じます。

別に自分が信じてもない主張を、お金のためというだけであそこまで怒り狂えるというのは、逆にとんでもない迫真の演技すぎるのではないでしょうか。いっそアカデミー賞級でしょう。

もちろん、そういう才能をお持ちの方も世の中にはいるとは思います。
でも、それにしては世の中、ヒートアップしてる人が多すぎる気がしてなりません。
そこまでの才能を持つ者が世の中にうじゃうじゃいると考えるよりは、彼らが心底自説の正しさを信じてると考える方がたやすいように思ってしまいます。

とはいえ、「本心からの発言なのかどうか」というのはどうしたって区別不可能ですから、推測しかできない話になります。
でも、やっぱり多くの場合「お金目的」よりも「お金目的でない」可能性の方が高いのではないでしょうか。
そうでなければ、嘘八百を並べ立てることができる性格と才能にあふれた人間だらけの社会ということになってしまいますので。

そうじゃないと信じたいです。




……さて、このあと、
「お金目的にしてはコスパ悪すぎでは」
「たとえお金目的だとしても中間目標にすぎず真の目的は別にあるのでは」
などが控えてますが、今日も時間が尽きたのでこの辺で。

こういうよく分からないことをウニャウニャ考えるのは楽しいですね。

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