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人生最初の記憶



 記憶というのは何歳まで遡れるモノなのだろうか。

 私には1歳の頃の記憶がある。どうしてそれが1歳の頃なのかわかったかというと、母に話したからである。扁桃腺が腫れて私は病院に行った。行く前に私はおむつを代えた。そして、古いおんぼろの乳母車に乗せられて出かけた。扁桃腺にイソジンのような薬をつけるのに、割り箸の先に脱脂綿をはさんだようなヤツをのどに差し込まれた。それが苦しくて、私は泣いた。全力で泣いた。痛くて怖くて苦しくてとにかく泣いた。


 自分にはずっとその記憶があって、成人してから母にその時のことを尋ねると、1歳の頃のことだという。そして「どうしてそんなことを知ってるのか?」と訊かれた。確かにそうだ。母は我が子が語る昔話がとても不思議だっただろう。


 幼い頃、私は入院したことがある。鼠径ヘルニアという病気で手術したのである。股間にその時の手術痕が残っていて、今はすっかり陰毛に隠れてしまったけど、子どもの頃はその2センチほどの二つの傷跡がなんだか恥ずかしかった。もっともそんなところを人に見られることはないのだけど、今でもその手術痕はしっかりと残っている。そこだけ陰毛が生えないので、白くくっきりとした筋になっているのである。

 手術をする前にどんな症状だったのか全く覚えていない。病室の窓から見た景色らしき記憶はあるのだが、季節がいつだったかも覚えていない。しかし、病院に行くときにタクシーに乗っていて、低いガードをくぐる坂道があったことは覚えていた。そのガード下の道が天王寺区小橋町の交差点のところだったことをずいぶん後に自転車でそこを通ったときに気がついた。自分が入院していたのは大阪赤十字病院だったのだ。寺田町に住んでいた伯母の次男(つまり私の従兄弟)も同じ病気で、それで同じ病院に一緒に入院していたということだった。これもすべて自分の記憶に残っていたことである。80歳を越えた母は当時の私がどこの病院に入院したかさえも忘れていた。確かにそんな前のことなど普通は覚えていないだろう。


 私は前頭部に1円玉くらいの大きさのハゲがあった。円形脱毛でもなんでもなく、そこだけ毛がなかったのである。ただ、最近はおでこが拡大してきてそのハゲを飲み込んでしまったので、今はもうない。どうしてそんなところにハゲができたのか、私は母に訊いたことがある、最初は「ケガをしたから」と言ったが、別の時に訊いたら今度は「なんかできものができたから」と答えた。真相は未だにわからない。これはなぜか自分でも覚えていないのである。


 小さい頃はどろんこ遊びが好きだった。幼稚園の近くに西除川という川が流れていて、当時は水もきれいでよくその河原で遊んだ。ダムを造って流れる水をせき止めたりしてみたりした。小学生の頃も雨が降った日は校庭の隅っこにある水たまりのところでどろんこ遊びをした。ただ、ある日仲良しだったお友達と川で遊ぼうとして西除川に行ったとき、水がどす黒く濁っていてあたりにドブの臭気が立ちこめていた。その日以来川で遊ぶことはなくなった。


 幼稚園に通っていた頃、母がお弁当に焼きめしを入れたことがあった。冷えて硬くなった焼きめしはちっともおいしくなくてほとんど残した。幼稚園はいつも午前中で終わっていたはずなのでなんでお弁当の日があったのかわからない。母がふだんどんなお弁当を作ってくれたのかも覚えていないのだが、その食べられなかったお弁当だけは覚えている。


 古い記憶はどんどん失われていく。中学の同窓会が4年ごとに開催されるのだが、小学校・中学校と一緒だった人たちと話すと、自分が覚えていることでも相手が全然覚えていないことがある。小学校のクラス対抗リレーで超人的な速さだったTくんは、自分の小学生離れした快速のことをちっとも覚えていなかった。しかし、当時大柄で立派に思えた彼の体躯は、今はそうでもなかった。小学校2年の時に私よりも算数ができたはずのSさんは、そんなことちっとも覚えてなかった。「えーっ、私そんなにできたの?」と驚かれた。

 

 中学生の頃、好きだった女の子がいた。手紙を書いたがしっかりとふられた。同窓会にももちろん彼女は来ていたが、昔の面影を残しているとはいえすっかり熟女になっていた。その失恋は自分にとっての黒歴史でもあるので彼女が思い出さないことを祈っていたのだが、同窓会の時に彼女とは一度も言葉を交わしていない。ふった側としては、そのことに触れないことが思いやりであると彼女は思ってるのか、それともすっかり忘れてしまっているのか。


 今の自分が持っている膨大な「記憶」は、自分の死と共にすべて失われてしまう。そしていつか自分のことを覚えてくれている人もいなくなって、そうして自分は忘れられてしまうのだろうか。


 こうしてネット上に「自分の記憶」を残しておこうとすることは、デジタル遺跡という形で自分の生きた証を残しておきたいということなのかも知れない。




 そんな自分にとって、人生最後の記憶というのはどんな瞬間になるのだろうか。最後に自分は何を考えているのだろうか。





 いつか自分の子孫が、「江草乗」と名乗っていた変なオッサンが自分の先祖であることを知って気恥ずかしくなって思わず画面右上の×をクリックして画面を閉じてしまうのだろうか。この文章はいつまでネット上に存在するのだろうか。100年先にもあるのだろうか・・・



  

モノ書きになることを目指して40年・・・・ いつのまにか老人と呼ばれるようになってしまいました。