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新興宗教の思い出




 大学4回生の頃、オレには交際してる女性がいて、その方は豊橋に住んでいたのだが、手紙を頻繁にやりとりし、一緒に旅行したりした。オレが住む京都のアパートに彼女が泊まったこともある。就職してしばらくしたら結婚するものだとオレは普通に思っていたし、きっと彼女もそう受け止めていたはずである。




 ただ唯一の問題は、彼女は「世界救世教」という宗教の信者であり、いつもそのお守りを身につけていたことだった。オレはその宗教に入信する気は全くなかったし、彼女もオレの前ではそういう話は全くしなかった。




 彼女の母親は、娘が信者ではない一般男性と交際していることに反対していたようで、彼女に向かって「信者ではない人とは結婚させない」と度々言っていたようである。オレはそういう彼女の苦悩について全く理解せずに、いずれ自分についてきてくれるものだと思い込んでいた。なんの信仰も持たないオレは、信仰を持つ彼女の気持ちを全く理解できていなかったのだ。




 名古屋でデートしてるときに、彼女から「親に交際を反対されてる」と告げられたとき、まだ22歳のオレは「そんなん無視してうちに来たらええやん」と無神経にも答えていたのである。あのときどうして彼女の家に乗り込んできちんと話ができなかったのだろうか。家まで行って連れ出さなかったのだろうか。





「あなたについていく自信がありません」という内容の手紙が届き、それ以降ふっつりと連絡は途絶えた。家に電話をかけてもすぐに切られた。就職したばかりでオレは忙しく、面と向かってきちんと話もできないままに二人の仲は自然に消滅していった。ただ思い出すのは、デートの時にオレが買ってあげた大きなウサギのぬいぐるみである。子どもでもあるまいし、なんでそれを「買って!」とオレにねだったのだろうか。そのわけは未だにわからない。それから長い月日が経ってしまった。豊橋のもとの住所にもう彼女は住んではいないだろう。





 統一教会のことが話題になり、信者2世の方々の体験がネット上で語られることも多い。世界救世教の教義がどのようなものであるのか、オレは彼女に一度も訊かなかったし、彼女もまたオレが宗教に全く興味を持たない人間であることを理解していたはずである。だったら二人の気持ちがそのまますれ違うという運命しかなかったのだろうか。





 もしも彼女がそういう信仰を持たなかったら、何の障害もなくすんなりと結婚していたのだろうか。そもそも自分はまだ20代前半の頃に結婚することを望んでいたのだろうか。





 オレは不首尾に終わった過去の恋愛のことをいつまでも思い出してくよくよする人間である。もちろんそれがうまくいかなかったからこそ次の恋愛があったわけだし、そうしたさまざまな経験を通じて自分という人格が築かれてきたわけだ。すべての過去の失敗は今の自分にとって大切なプロセスだったに違いない。しかし、時々ふっと思うのである。彼女が手紙に書いていた「二人が同じ部屋にいて同じ空気を吸っている幸せ」の意味を考えてしまうのである。


だからこそこの詩は、私の胸に突き刺さる。

そこにひとつの席が


そこにひとつの席がある
僕の左側に
「お坐り」
いつでもそう言えるように
僕の左側に
いつも空いたままでひとつの席がある

恋人よ
霧の夜にたった一度だけ
あなたがそこに坐ったことがある
あなたには父があり母があった
あなたにはあなたの属する教会があった
坐ったばかりのあなたを
この世の掟が何と無造作に引立てて行ったことか

あなたはこの世で心やさしい娘であり
つつましい信徒でなければならなかった
恋人よ
どんなに多くの者であなたはなければならなかったろう
そのあなたが一夜
掟の網を小鳥のようにくぐり抜けて
僕の左側に坐りに来たのだった

一夜のうちに
僕の一生はすぎてしまったのであろうか
ああ その夜以来昼も夜も
僕の左側に
いつも空いたままでひとつの席がある
僕は徒らに同じ言葉をくりかえすのだ
「お坐り」
そこにひとつの席がある
         

黒田 三郎     詩集「ひとりの女に」所収  「現代詩文庫」思潮社



 大学4回生の夏、私が彼女に自分の好意を伝えたとき、彼女は私の腕の中で「わたし、幸せになんかなれないと思っていた」と言って泣いた。そのときのオレは、心の中で「絶対にオレが幸せにしてやる」と思っていたのじゃなかったのか。なんでその時の決心を簡単に自分はあきらめてしまったのか。オレはそのことを今でも後悔している。もしも大学生の自分に戻って人生をやり直せるならば、彼女とちゃんと向き合いたかったと思うのである。もちろん、過ぎてしまった時間はもう戻せないからこそ、オレは無責任にもこんなことを書いているのかも知れないのだが。

モノ書きになることを目指して40年・・・・ いつのまにか老人と呼ばれるようになってしまいました。