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女の子だから、男の子だからをなくす本/いい本だけど一部疑問あり

絵本『女の子だから、男の子だからをなくす本』を読みました。
子どもたちに「既存のジェンダーロールを押し付けない」という気概が伝わってくる内容で、ほとんどが良心的な内容です。
ただし、一部に観念的すぎる箇所があり(大人気『存在しない女たち』の主張とも激突する)、子どもの多様性を考慮した上で「九割五分は良い本だが、残りの五分が(手放しでは)薦められない」かな……と思いました(疑問に感じた個所については後述)。


【女の子たちへ】

こちらの本は基本的に「男女」ではなく「女男」という表記が用いられており、最初に少女たちへ語りかける構成となっています。

「すぐに譲らないで」優しい女の子としてチャンスを譲らずに自信を持ってチャレンジする
「女性のロールモデルを見つけよう」尊敬できる女性の偉人を探そう
「体をありのままに好きになろう」キレイじゃなきゃいけないに騙されるな
「いい子にならなくていい」他者の期待に応えるよりも本音を大切に
「大人は間違える」おかしいと思ったら「なぜ」と聞こう
「あなたのやり方で世界を変えよう」レゴに意見して商品を変えた女の子のエピソードなど
「いいえ・イヤの意思を伝えよう」嫌なことに理由はいらない
「容姿の評価としての可愛いはいらない」女の容姿は他人のオモチャじゃねえ
「発言しよう」ケンカを恐れるな

など、大人の女性が読んでも励まされる内容が盛り沢山です。
ここら辺は本当に素晴らしい。


【男の子たちへ】

男子へは、いわゆる旧弊な男らしさから解放されることを薦めるような訴えかけがなされています。

「優しくなろう」「怖がっていい」「泣いていい」「言いたいことは言葉で伝えよう」「傷ついたと伝えよう(男は傷ついちゃいけないに我慢するな)」「料理しよう」「小さな夢を持っていい(男だから立派な大きな夢を志さなくてもいい)」

「小さな夢を持っていい」に関連して、「プチベスト」の実践を提言しているユーチューバーさんもいます。これは人類みな実践したい。

「家事ができないパパを変えよう」「きちんと洗ってきちんと着替えよう」という「それ男どうこう以前に人として基本なんちゃう?」というメッセージもあり。
そんな普通のことまで丁寧に忠告してもらえる男の人ってスゴイですね!(※皮肉)

これはすごいなー、と思ったのは「あなたがどちら側にいるかを知ろう(男は特権側)」というメッセージもサラッと加えている所。


【ステキな人になりたいみなさんへ】

子どもたちに「素敵な人」とはどんなことができる人か? を優しく伝えています。

「自分で思った、感じたことを言葉で説明できる・他者の話に耳を傾けられる」
「助けが必要な人に手をさしのべられる」
「自分とは違う相手も認める」「分からないことは分からないと言う」「本を読む」「運動する」

などが紹介されています。
これはジェンダーに囚われず「人として」ステキな感じだね。


【わたしたちがくらしている世界の、女と男】

この章では、「社会生活」におけるジェンダーバイアスへの疑問・今までの価値観に囚われない視野を投げかけています。
「仕事」「漫画のキャラクター」「見た目」「おもちゃ」など、性役割に縛られず本当に好きなものを選ぶことって大切だよね、みたいな感じ。

私は小さいとき(男児服を好んで着てたらしい。今も特に変わらない)可愛い女の子の絵ばかり描いていて、大人から「女の子らしいね~」と言われていた。
それから二十年後、見事「萌え工口漫画家になった」というオチでしたね(遠い目)……大人たちが言った「女の子らしい」の言葉、今でも理由が分からない。
小学校時代のあだ名は「オトコオンナ」だったな……。みんなテキトーなことしか言わねえなあ、と幼心に思ったものです。

また「家の中の女と男」として、家庭内で既存の性役割に囚われないことも訴えています。ケア労働を女に押し付けんな、みたいな。
ちょい保守的な「わきまえた女」系の職場の先輩も、「息子には『家事ができないとお嫁さんが来てくれないよ』と家事をしっかり指導してる」と言っとった。「お嫁さん来てくれないよ」は正直どうかと思うけど、保守的でわきまえた彼女ですら息子さんに家事を叩きこむ時代なのね~。


【女の体、男の体?】

この章がね……うーん。
大人気『存在しない女たち』の主張と対立する(多分)し、私はチョット同意できなかった

「男は筋肉が多いから外で働く」はもうやめよう←これはわかる。
そもそも昨今、安価で買いたたかれる女性労働者がいないと今の世の中は回らんでしょう。
(買いたたかれる女性の労働力については大大大問題で、これは社会制度からどうにかせんとあかんので、コチラの本を読んで欲しい。大人気斎藤幸平)

一番まずい所は「身体の性差は個人差」と身体の性を雑に個人差として収斂している部分
「体に基準はある?」「世の中に同じ体なんてない」などとまとめ、「身体の性差を無視」している。十年以上商業媒体で女男の体を描き続け、デッサンだけなら学校の実習室に作品が張り出されるくらい評価された(なおデッサン以外の成績は略)私としては、これはない。
「体に性の基準はある?」に関しては「個人で違いは大きく、異性っぽい身体特徴を持った女・男もいる。が、性の基準は骨格・肉付き・身体の可動域などに存在する」が回答。

確かに「体は個人によって違い、異性っぽい身体特徴の女・男もいる」。けれど、女性的身体特徴を持った男たちが「同性だからいいだろう」と男たちから過度な接触をされる現実も見たよ。ペガサスHYDE、思考はマッチョ寄りで引くことがあるけどカッコイイ😍

身体に女性的要素があれば、強者男性でも強者ならではの隙をつかれて性的加害されるって知ったときはショックだった。彼らは、身体以外は戸籍も自認も全部男だったよ。それでも加害された理由は彼らの身体的な女性要素が狙われたってことだろ。もちろん彼らの身体は悪くない。加害したやつらが悪い。

ていうか骨格の性差って見て分からんもの?
分からんなんてこたーないでしょう。
人間は人間の身体を見慣れ過ぎているので、「パッと見」や「写真」では分からなくても、「じっくり見る」「動画で見る」「定規で実測する」などを実施すると割と誰でもわかると思う。単なる物理的現実なので。
なお、この絵本の挿絵は、きちんと「女男の骨格・身体特徴」が描き分けられておる。どうなってんだ。

大人気『存在しない女たち』には、女性の身体は「社会でないことになっている」から「世の中のモノの大きさは男の身体基準」で開発されているし、本来は女男で医療に違いがあっても「女性身体のデータがないので男性身体に最適化された治療しかなく、女性が健康を害する治療法がまかり通っている」と書かれてるんだよな。氷嚢ですら女男で適した使い方が違うんだと。
「ジェンダーニュートラルトイレ」にしたら女性だけ混んだとか……。

『存在しない女たち』だと、終始「女性の身体が無視されてる」「ジェンダーニュートラルは実は女性に不利」と主張してんだよな。
私もそう思う。
医学も日用品も無視されたこの世界で「性差は個人差」は流石にお気楽すぎんじゃねえかな。
私は女性でありながら「身体の女性要素」に惹かれる(埋没FTMを何度も見抜いてしまった)ことを悩んでいた時間が長かったので、「身体の性は個人差」とか言われたってクソほども救われねえし、さらに苦しむしかねえんだわこっちは。

体の性差無視だと私みたいなセクマイの子どもは地の底に叩き落すんだよ。


その他

「性別で好きなものもちがう?(「男子はサッカーが好き」「女子はピンク、男子は青が好き」とか決まってない)」「恋愛と友情はどう違う」「手は繋いでいいのにチューはダメ?(合意があることが重要、口臭ケアしておく)」「告白は誰がすべき(男から告白とか決まってない)」「男は乱暴な方がモテる?(絶対だめ)」「イヤよいやよは嫌なんです」「同性を好きになるのはおかしい?」「誰かと付き合わなきゃダメですか?」

など、普通に良い内容が詰まっています。

「女男で好きな色」は、色々あるみたいだね……(適当)

そして今、女の子が一番好きな色は「水色」なんだね。
そういや女子のランドセル、「水色」と「フチの装飾とかがオシャレなブラウン」をよく見る気がする。

ほんとーに九割がた良い本だと思うんだけど……個人的には「身体の性差は個人差」は流石に観念論すぎるとしか思えないので、そこを「子どもに読ませたい」と思うかどうかが難しいな……。
こういうのが必要な子もいるんだろうが、他方で地の底に叩き落される子もいる。私はちょっと納得できないし救われることは全くない。むしろ絶望に落とされる。そしてキラキラレインボー界隈はそういうセクマイをガン無視するよね。権力も面白味もない当事者は無視する政治的カテゴリである「LGBTQ」なんて「SDGs」と同じ我田引水おためごかしの大衆のアヘンだよ。知ってた。何が「誰一人取りこぼさない」だよ。身体的課題を抱えたセクマイをゴソッと崖の下へと叩き落すくせに! クソったれだよ。


でもこの絵本自体は基本的に良い本だと思います。

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